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てにすまん 高西ともブログ

観客ウェルカム [過去の思い出]

投稿日時:2011/08/02(火) 20:20

観られる喜びを感じるようになったのは
いつからかなぁ。
間違いなく高校生の頃は、テニスの試合の時
周りで観ている人がいると気になった。
「観るなよ~」っていう意味でね。
 
でも現役選手の頃、特に20代後半になる頃には、
観ている人がいると嬉しくて仕方が無い状態。
むしろ観ている人がどのくらいいるのか気になっていたほど。
ま、これはこれで問題あるんだけど、やっぱり選手として
コートに立って試合をしている以上観られる喜びを
感じた方が強い気がする。
 
観られることを喜ぶか気にするかの境界線は、自分のテニスに
自信を持っているかどうかが、境の一つになっていると思う。
それは「勝つ自信」ではなくて、自分のやっていることに
誇りを持っている「自信」である。
だから、負ける可能性は十分ある相手でも、信念をもって戦う試合は
やっぱり観客の人達には観ていてもらいたかった。
 
と言うことは、観てもらいたくなかった時のテニスは
信念が無かったというか、テニスというスポーツが何なのか
イマイチ理解できなくて、手探りでプレーしていた時期だっだと思う。
ちょっとリードされると慌てるし、逆にリードしていると不安になるし、
競っていたら怖くなることがよくあったその時期は、ドタバタしていたもんだ。
そんな姿、やっぱり周りには観られたくないもんね。
 
でもだからと言って、信念持ってやっていた選手時代後半の俺は
迷いが無かったかと言うと、そんなことはない。
やっぱり高校生の頃の俺と同じで、色んな状況に直面するから
プレッシャーを感じていたし、高校生の時以上に大舞台に立つことが
出来るようになっていたから、もっと強く色んな決断を試合中に
迫られる状態にあった。
 
だからこそ、観客に囲まれた状態でプレーを行い、観られていることを
意識する事で、自分の信念から逃げられないようにしていたんだと思う。
もちろん良いプレーを観てもらいたいって気持ちはあったけど
そういう監視の目を要求する事で、自分の意識を高く維持できたんだ。
選手である以上、皆も観られる喜び、観られるメリットを感じよう。
大勢の観客の中で優勝を決めると、本当に気持ち良いからね!!

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