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てにすまん 高西ともブログ

通い選手 [過去の思い出]

投稿日時:2011/08/23(火) 11:58

選手として頑張っていた頃、当然賞金なんて
微々たるものなので、それで生活できるはずもなかった。
殆どの試合はエントリー代、交通費、宿泊費の方が
賞金よりも高くついたからね。。
儲けが出た試合の方が少ないんだよ。
 
なので、テニス選手と言えども本業はテニスコーチという
ことになる。
しっかりレッスンして稼がないと生活も出来ないし、テニスも
続けられないということだ。
 
30歳で独立するまでは、テニスコーチ派遣会社に所属して
テニススクールのコーチをしながら選手活動していた。
でもそこは選手として頑張っているコーチ兼選手を応援してくれて
いたので、試合の為の休みももらえたし、遠征費の補助、練習の
ためのコートを提供してくれたり、随分と選手活動を助けてもらった。
 
そういう会社に出来るだけ迷惑をかけたくない・・・という意味もあって
出来るだけ遠征に行っても、現地に宿泊しないで試合終了後は
東京に戻ってレッスンしたもんだよ。
だいたい2時間くらいの移動なら平気だから、それを目安にしてたんだけど
段々エスカレートして、山梨県の大会は通い当たり前、長野県の試合も
通ったこともあるし、新潟の試合も朝いきなり
「今日は雨で明日に順延」という決定が出た時、一度東京に
レッスンしに帰ったことがある。
 
でもさすがに長野県での試合の時は、試合終了後急いで
車で移動して、また翌日早朝出発・・・というのがあまりに厳しくて
3日目からは宿泊したんだけどね。
 
本当は選手として結果を残す為にも、ちゃんと現地に宿泊しながら
練習やコンディショニングにも専念することが大事だと思う。
でも当時の俺は、会社に感謝して試合終了後はスクールに戻って
レッスンする・・・という行動をとった方が気合は入ったよ。
本当は、試合を勝ち残っている状態で職場に戻ったら
皆に「明日も頑張って!」と励ましてもらえることが嬉しかったり
したのかも。
 
そんな感じで頑張っている選手、俺の他にもいっぱいいたな。
今もいるんだろうね。
頑張れ、選手達。

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