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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出

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やりたいテニス、やれないテニス

[過去の思い出] 投稿日時:2020/04/23(木) 23:50

本日のスクール向けのオンラインアカデミーで、
テニスが出来なかった時、またテニスから距離を置いていた時の
話をさせてもらった。

私の場合は、大きく2回テニスと距離を開けていたことがある。
一つは現役の時、試合中に靭帯を断裂してしまった時、それから
もう一つは以前のスクールのコーチをしていた時に、会社との
関係がもつれて、テニスに専念出来なかった時。

靭帯を断裂してしまった時は、プレーが出来ない、またその
翌月に全日本選手権も控えていたので、ショックも受けたし焦りもあった。
なので、右足が動かなくても、できる範囲の練習やトレーニングを行い
2週間後にはエントリーしていた大会もキャンセルせずに出場。
とにかく大会の会場にいることと、試合のコートに立つことが出来ないと
嫌だったのだ。
やりたいテニスが出来ない、今テニスがしたい人たちには大いに共感して
もらえると思う。

でももう一つ、仕事の環境が上手くいかず、テニスから気持ちが離れてしまった
時の状況がどちらかと言うと深刻だった。
テニスが出来ないこと以上に、「何で俺だけ・・」みたいな被害妄想や
「もうどうでもいいや」と言う自暴自棄な気持ちが膨らんでくると、
テニスができるチャンスを探そうとしないし、自分のレベルダウンに対しても
何ら感じなくなる。

結果的に、それを期に会社を辞めてフリーとなり、その結果練習環境は
失ったけど、一から色んな環境を作り上げていく行動を積極的に取っている
自分は、テニスだけでなく色んな意味で成長していくことが出来たと思う。
でも、会社を辞める決断や、そこからまた練習できる環境が戻ったのは
周りの応援してくれた家族や仲間だったりする。

練習できない今こそ、子供たちにも伝えたかったことは、練習できない辛さは
あるけれど、一番怖いのは「練習なんて、もういい」「どうせ、このまま
下手になっていくんでしょ」と言う自分に興味がなくなること。
それから周りの家族や仲間の存在も重要だね。
まだまだこの先、どうなるか分からないが、とにかくテニスが目一杯できることを
楽しみにしながら、トレーニングや、素振りや、テニス動画のチェックなど、
行ってもらいたいですね。
 

試合に出続けながら苦しもう

[過去の思い出] 投稿日時:2014/01/08(水) 11:09

スペインのバルセロナで練習していた時、月に3大会ほどの
ペースで大会に出場していた。
いや、正確に言うと、月3大会出場させられていた。
毎週毎週、どこかで大会が開かれていたんだけど、コーチが
勝手に申し込んでしまうので、休みが明けた月曜の朝、
送迎バスがアカデミーに着いたと同時に
「トモ、お前は今から試合だ!」とコーチの車に乗り換えさせられる。
「聞いてないよ!!」なんて言っても、
「お前はテニス選手だろ?試合に出ないと!!」
と請け合ってはくれない。
 
初めてスペインに行った24歳の頃は、そうやって大会に
出場して、しかも殆ど一回戦負けで終わっていた。
試合に出場するとアカデミーで行われるハードな練習は
しなくて済むんだけど、知らない土地に行って敗北する
空しさを考えると、慣れたアカデミーでゼーゼーハーハー
苦しみながらも練習している方がずっと気が楽だった。
だから毎週月曜の朝に駐車場でコーチに「トーモー!!!」と
呼ばれるのが本当に辛かった。
 
金銭的にも余裕はなかったので、エントリー代を払うのも
苦痛だった。
日本の大会よりかはずっと安くて良心的な金額ではあったが
それが一回戦敗北となると1試合分の金額となるのである。
「断る方法は無いかな」って思ったりした。
今のレベルじゃ勝てない。
もっと上達してから出るべきなのでは・・・と思いながらも
結局は出続けた。
 
出続けるうちによく試合会場で見掛ける選手が増えて来た。
同じ相手に2回も3回も当たったこともある。
そうなるとまた会場で会うと「元気?」って挨拶し合う。
ほぼ毎週やっているその大会はモンティーツアーという
トーナメントなんだけど、そのディレクターの太っちょの
おじさんとも仲良くなって「トモ!!」って元気に
呼びかけてくれた。
日本人選手の中ではモンティーツアーだからモンちゃんって
呼んでいたんだけど、彼がその大会を手際良く運営している
姿は観ていてなんだか心地よかった。
相変わらず勝てないまま半年が過ぎたけど、その頃には大会に
出るべきかどうか・・・ってことは疑問に思わず、なんで
俺は勝てないんだってことと純粋に向き合うことが出来ていた。
 
半年過ぎてから徐々に一つ二つ勝てるようになった。
更に勝ち上がるとシード選手との対戦もあり、そうすると
ATPポイントを持った選手と戦ったりするし、それをきっかけに
仲良くなれたりもする。
試合会場に行っても、同じアカデミーの選手やコーチ以外の
人達ともコミュニケーションを取ることが出来るようになった。
 
27歳の時、2年ぶりにまたスペインでトレーニングを行った。
同じアカデミーに所属したんだけど、今度は日本人選手がなんと
10人以上も在籍。
そんな彼らと一緒に過ごしたんだけど、2年経ったその時も
変わらず月曜の朝は多くの選手達が勝手に試合をエントリーされて
大会へ駆り出されていた。
「僕は試合には出場したくない!」
中にはそうやってコーチに直談判している日本人の選手もいたんだけど
なるほど、そう言っている選手は勝てずに苦しんでいて
尚かつ金銭的にも厳しそうな選手だった。
 
その選手は、まだ大会会場よりアカデミーの方が自分の居場所と
思っているんだろうね。
エントリー代はたった1試合分の料金って思ってるんだろうね。
練習場所は単なる練習の場所であって、テニス選手は大会会場にこそ
自分の居場所と感じなければならない。
エントリー代だってケチるんじゃない!!!
なんて、その選手を観て思ったんだけど、結局俺も半年以上は
そう思えるまで掛かったわけだからエラそうなことは言えない。
もちろんコーチ達も
「試合に出場したくないと言うのなら、このアカデミーで練習を
させるわけにもいかないよ」と言って、その選手にピシャリと
言い放っていた。
やっぱり試合に出続けることだよ、それだけは間違いない。
皆、試合に出続けながら苦しもう。

テニスを観て楽しもう

[過去の思い出] 投稿日時:2013/12/28(土) 02:01

先日、東京三鷹にあるMTSで開催されたHEAT JAPANを
教えている高校生達と観戦してきた。
HEAT JAPANとは日本男子テニス界のトップにいる
伊藤選手、添田選手、それから守屋選手、鈴木選手、
内田選手が一同に介し、エキシビジョンマッチを行うのだが
そのプレーするコートに対して作られる観客席の距離は
本当に近く、打つ音、息づかい、独り言など、選手の存在を
ど迫力に感じながら観ることが出来るのだ。
ちょっとプレーする選手にとってはコートの広さが窮屈な部分も
あるだろうがそれだけ観る人の満足感を考えたイベントに
なっていて、選手達もまたその辺りのことは承知で頑張ってくれる。
 
この参加メンバーで全勝優勝を果たしたのは先日全日本選手権でも
優勝を果たした伊藤竜馬選手。
ベースラインのはるか後ろからでも一発フォアハンドストロークで
エースを決める彼のプレーは素晴らしく、一緒に行った高校生達も
興奮しっぱなしだった。
プレーだけじゃなく体も随分逞しくなって威厳もにじみ出て来た
伊藤選手だが、俺が初めて彼のプレーに魅了されたのは実はもっと昔。
俺がまだ現役として試合に出場していた頃のこと。
その中でも特に覚えているのは、6年ほど前、群馬県の草津温泉で
開催された国際大会でのこと。
 
まだ10代だった伊藤選手は俺と同じ予選に出場していた。
その日は予選2回戦で午前中に雨が降り、試合は午後からのスタート。
俺が入るコートで俺の試合の前に行われていたのが
伊藤竜馬選手対山本哲洋選手の試合だった。
もうその時点で陽が傾いていたのをよく覚えている。
まだ予選だしもう薄暗くなりかけている状態なので観客はいない。
そもそも草津温泉なので相当熱心なテニスファンじゃないと
本戦も観に来ない場所なのだが。
そんな伊藤選手と山本選手の試合を観戦していたのは、俺を含めた
試合待ちの選手くらいなものだった。
 
しかしそこで観させてもらった試合の内容は素晴らしかった。
お互い一歩も引かずに真っ向勝負で打ち合う・・・という
スタイルだから、テンポが合ったのかもしれないが、気圧の関係で
ボールが吹っ飛びやすいあの草津のコートで、ブンブンとラケットを
振り回しながら熱戦を繰り広げている姿を、俺は次に自分がそのコートで
プレーをしないといけないことを思わず忘れるほど見入ってしまった。
その時、俺はその試合を観ながらこう思った。
「こんな凄い打ち合いを、観客もいない中こうやって観ている
なんてなんと勿体無いことか。」
 
今現在の伊藤選手のプレーと比べると随分と差はあるが一つ
変わらないものがある。
それは「気迫」。
自分自身を信じてコートに立ち、一球一球ボールを打ち込んでいる
彼の気迫はまだ10代の頃の伊藤選手からも同じくらい感じられた。
そして観客というものは、そういう「気迫」を観ることで、
その瞬間のプレーを楽しむだけでなく、その選手の未来に胸を躍らせる。
そういう意味ではテニスが上手くても、今後の成長が感じられず
現実に妥協しているような選手ではやはり観客は魅力も感じないし、
当然応援する気にもならない。
試合内容は大事でだが、やはりプロとして今後大きく飛躍する
可能性をビンビンと発しているかが見応えになるんだと思った。
 
今後の日本テニス界はもっともっと成長出来る可能性がある。
それは男子も女子も選手がどんどん今のトップ選手に続いて
活躍し、海外のビッグトーナメントで良い戦績を挙げて
いくこと・・・だけでは不十分で、本当に必要なのは国内で既に
活躍している選手の試合を楽しめる観戦文化を育んで行くこと。
「観てテニスを楽しもう」というヒートジャパンのコンセプトは
テニスに携わるものとして本当に嬉しいイベントであり、こういう
見せ方をもっと他の色んなテニス大会に投影してもらいたい。
もちろんヒートジャパンのような豪華なメンバーの試合は
なかなかお目にかかれないが、それでも昔、俺が草津の国際大会の
予選会場で伊藤選手の感動する試合を見掛けることが出来たように、
今の国内活動がメインのテニス選手でも十分観戦価値のある選手は
たくさん存在する。
現在海外に出て行って活躍する選手にはもちろん海外で結果を
出してもらいたいが、国内の大会しか出られない選手達も
国内の試合やイベントだけでもっともっと注目してもらえる
テニスの観戦文化を今後作っていきたいもんだ。
そこに日本のテニスの未来がかかっているんだからね。
頑張れ、テニス選手とテニス観戦者達。

夢と希望と・・・金が必要。

[過去の思い出] 投稿日時:2013/04/25(木) 11:47

テニス選手で成功したいって思って頑張っている人は
多いけど、戦績上げてランキング伸ばしていくことって
大変なことである。
練習も近所のコートでやっているだけじゃダメで、
ちゃんとレベルの高い選手が集まる場所で、ちゃんとした
指導者に見てもらわないとなかなか芽は出にくい。
試合も出場し続けないといけないんだけど、それこそ
出場する大会を選んで出ないといけないでしょ?
そうなると家から通える会場だけじゃなくて、遠征で何日も
泊まって戦わなきゃいけい場合もあるし、何大会もハシゴして
遠征を続けなきゃいけないこともある。
飛行機で海外にも飛び出したりすることなんかも必要になってくる。
 
そうなると大変になってくるのがお金だ。
日本で賞金かかったオープン大会に出場するだけでも
予選で6000円~8000円くらい。
本戦に勝ち上がれば差額が更に5000円以上発生する。
本戦に上がれば賞金がもらえるけど、エントリーフィーを
取り返すには大会にもよるけど2,3回戦まで勝ち上がらないと
いけないし、そうなると今度は宿泊費や食事代の滞在費も
かかってくる。
もちろん交通費もかかるしね。
ITFなんかの国際大会はもう少し予選出場料金は安かった
けど、こちらは本戦に上がるのがキツいから賞金で
ペイバックされるのを期待するのは更に難しくなる。
 
練習場所としてスクールやアカデミーに所属するのも、当然
通常の一般スクールよりもお金が掛かる。
だって練習時間は3時間以上欲しいし、それを週に何日も続けなきゃ
いけないうえに、1面あたりの使用人数も、選手はシングルスをメインで
行うことを考えるとたくさんは入れられない。
コーチも経験あるコーチが必要になるから人件費も掛かる。
そうなると月謝もその分上乗せされるでしょ?
とにかく選手として頑張り続けるにはお金が掛かるのだ。
 
俺なんか選手活動を本格的に始めたのはスクールコーチとして
就職してからだから、当初はまだお金は掛からなかった。
コートはタダで使えたし、先輩コーチは皆俺より強かったうえに
俺にタダでコーチしてくれたからね。
でもその環境で続けていくにも限界はあった。
先輩と練習試合して手応えを掴んだり、大会でも少しずつ
結果を残し始めた時点で、次の環境を探し始めた。
まずは安易な考えでアメリカに渡った。
アメリカに行くと強くなると思ったからね。
このアメリカは3ヶ月間の滞在だったんだけど、費用は
およそ60万円。
でも所属していた会社が往復チケット代を援助してくれたのと、
アメリカでの練習場所は全て大学のテニスチームに混ぜてもらったから
これはかなり安い金額なんだけど、当時21歳の俺の給料から考えると
凄い出費であった。
 
帰国後は、試合出場回数を増やし、と同時に練習場所は会社の
スクールコートだけじゃなく、国内のトップ選手も集まるアカデミーに
通うようにした。
練習は一回5000円で、それを週2回か3回通った。
その為の車も購入したし、ラケットやシューズも「何でもいいや」って
思っていたのをちゃんと選んで購入するようになった。
出費は急激に増えていった。
 
そのおかげで急激にテニスを上達させることが出来たんだけど、
そうなると体がついてこない・・・ということで、トレーナーを見付けて
トレーニングを本格的にスタート。
もちろんこれも有料。
サプリメントなんかも摂取し始めたので、トレーニング関係で
月2万円弱の出費。
技術だけじゃなく、身体的なパフォーマンスも向上してくると更に
目標が高くなり「じゃあ、1年くらい海外で・・・」ということで、今度は
安易な考えじゃなく、しっかり計画を立て色んな人に助言してもらって
スペインへ行くことになった。
1年間スペインのアカデミーに所属して練習したり遠征行ったり
したんだけど、その費用は飛行機代、滞在費全て入れて300万円。
しかし、当時は物価がむちゃくちゃ安かったから、今現在はこれの
1.5倍くらいかも。
 
そしてその2年後に再度スペインで3ヶ月間の選手活動。
今度は練習よりも遠征中心にして、よりハイレベルな経験を求めて
行ったんだけど、この時掛かったのは100万円以上。
運良くある日本人選手のアパートに「料理係」としてタダで
泊めてもらったから、それでもかなり安くなったんだけど、やっぱり
遠征に行くとホテル代、飯代、交通費、帯同コーチのお金が掛かったよ。
 
結局選手活動を引退するまでにいくら使ったかザッと
計算したんだけど1000万円以上は使っている。
結局選手活動はお金が掛かるんだよ。
それでも選手ってお金を惜しんじゃいけない。
ケチった結果、新しい世界が見えなくなってしまったら成長が止まって
しまうだけでなく、自分の内面ばかり見てしまうようになり自分の
ダメな部分ばかりを感じ取ってしまい、魅力のない選手になってしまう。
次に進む道、そこに向かう方法、成功するチャンスも今いる場所ではなく
動きまくって探さないと出会わないからね。
結局俺は賞金で回収したのは100万円にも満たなかったから成功者とは
言い難いけど、それ以上のものを得たと思っている。
それから実際トッププロになって稼いでいる選手たちも、当然稼ぐ前は自分の
テニスへ俺以上に投資しているからね。
 
もちろん無駄遣いをしてはいけない。
お金を掛けた分だけ、世界が広がったかちゃんと見極めないといけない。
そしてそのお金が出たところに感謝して、結果を見せないといけない。
俺の場合は大半が自分で稼いだお金だけど、会社からの援助もあったし
親の援助もあったから、そこへ感謝の気持ちを示すことと結果の報告だね。
お金が惜しいんだったら、今すぐ選手活動は辞めた方が良いかも。
海外に行けとは言わないが、とにかく日々の選手活動で常に新鮮且つ
新たな道が発見出来る環境を作って欲しい。
その為のお金を惜しむなよ。

スペインでのホームステイ

[過去の思い出] 投稿日時:2013/04/08(月) 12:54

初めてスペインに行ったのは24歳の時。
ホームステイ先はラファエラという老婦人が一人で住むアパート
だったんだけど、ラファエラは英語が苦手だった。
それどころか、こちらが英語で会話しようとすると
「ここはアメリカじゃないのよ!」って怒るのだ。
一緒にホームステイしていたイタリア人の選手に通訳してもらい
なんとか食事のことやシャワーのことなど、生活面での必要不可欠な
ことは教えてもらったけど、イタリア人選手は何かと不在が多かったから、
俺とラファエラでの生活という時間が殆どだった。
 
ラファエラはとにかくよく怒った。
英語しか話せないことにも怒ったし、家の中での服装にもうるさかった。
冷蔵庫のオレンジジュースを朝ごはん以外に飲んだことも
怒られたし、部屋が散らかっていることも、シャワーの使用時間が
長いってことも小うるさく言ってきた。
毎日毎日、イライラしながら俺に文句を言ってくる。
テニスの練習でヘトヘトに疲れているところで、ギャーギャー
言われ続けるとホントに頭に来る。
頭に来るから必死で覚えたてのスペイン語で言い返してやった。
 
でもラファエラの性格なのか、スペイン人の特徴なのか、
すぐに怒るんだけど、次の瞬間途端に機嫌が治ったりする。
言いたい事を大声で言い切ったら、何事もなかったようになるのだ。
最初は戸惑ったけど、それが分かると小言を言われることも大して
苦にならなくなってきた。
だから彼女のことを嫌いになることは一度もなかった。
 
嫌いになるどころか、ラファエラにはとても感謝していた。
それは彼女の料理がとても美味しくて、毎晩それが楽しみだったから。
ちょうどホームステイしていた時期は自分のテニスのプレーが上手く
行かず、オンコートでは精神的にも辛い日々を送っていた。
ハードな練習が終わって、帰りの送迎のワゴンから外の景色を眺めながら
ラファエラのアパートに帰る時にはいつも、日本に帰りたいってことと、
今夜のラファエラの晩御飯のことを考えていたのだ。
 
ラファエラの料理は毎回必ず、前菜、メイン、デザートと3回に
分かれて出てくる。
いわゆるコースってやつだ。
前菜と言っても、そこで大量のパスタやパエリヤが出てくる。
チーズやサラミがたっぷりのサラダの場合もあったね。
それだけでも日本だったら余裕で晩御飯が終わってしまうほどの
ボリュームなんだけど、それを食べ終わったあとに肉や魚の
メインディッシュとなるのだ。
デザートはラファエラの手作りケーキやプリンの場合もあれば
フルーツの時もあるし、ヨーグルトのみってこともある。
ワインと食後のコーヒーがあれば最高だったけど
お酒もコーヒーもそう言えばラファエラは口にしなかった。
それでも最高の晩ご飯を腹いっぱいラファエラは食べさせて
くれたのだ。
 
食事の席では常に「今日の練習はどうだったの?」
「今日のランチは何を食べたの?」ってラファエラはずっと俺に
質問をしてきた。
「今日はね、コーチにこう言われたよ」
「今日のランチは、うさぎを食べたんだよ」
スペイン語で会話が出来るようになってきても、相変わらず
ラファエラのイライラは続いたが、笑顔も多くなってきた。
 
そんなラファエラのアパートでのホームステイは、結局半年経った時に、
他の日本人選手とアパートで自炊しながら共同生活する話が
持ち上がって終わることに決まった。
その頃にはラファエラと色んな話をスペイン語で会話出来るように
なっていた。
アパートを出る話をラファエラに伝えた数日後、ラファエラから彼女が
毎週日曜の朝に行くカフェの話を聞かせてもらった。
泊まっている選手たちに朝ご飯とランチを用意しなくていい日曜日は
彼女が一番のんびりできる時間。
そんな日曜の朝は彼女のお気に入りのカフェへ、新聞と広告を大量に
持って行ってのんびりと過ごしているらしい。
「そこのクロワッサンはとても美味しいから、トモも行ったほうが良いわよ」
 
誘いなのかどうかは分からないけど、その次の日曜日の朝、俺も
教えられたカフェに行ってみた。
すると、ラファエラは「待ってました」って表情でニッコリ笑って
迎えてくれた。
でもそのまま彼女は俺が隣に座ってもずっと新聞を読んだまま。
なので俺も隣で小説を読んだり日記を書いたりしながら一緒に過ごした。
次の週の日曜日も同じように二人でカフェにバラバラで行き、一緒の
テーブルでそれぞれ自分の時間を過ごした。
その次の日曜日、俺はラファエラのアパートを出た。
彼女は朝、俺からアパートの鍵を受け取ってから一人でカフェに行った。
 
彼女との半年間の生活は数年間のように感じた。
その最初の半年はテニスに慣れるにも、スペインという国に慣れるにも
とても重くて濃い時間だったんだけど、そこでラファエラのアパートに
滞在できたことは本当に幸せだった。
単なる優しいおばあさんではなく、イライラしてすぐ怒るんだけど
最高に料理が上手くて、そして実はじっくり付き合うと根が優しいってことが
俺に生活の刺激と活力を与えてくれた。
ラファエラは今もまだ毎週日曜日はあのカフェでクロワッサンをつまみながら
新聞を読んでいるんだろうか。
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