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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出

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今日からあなたもネットプレーヤー

[過去の思い出] 投稿日時:2013/01/05(土) 23:06

プレースタイルは何かと言われると、オールラウンドと
答えているんだけど、もともとはストローク主体のベースライン
プレーヤーだった。
でも過去2回、完全ネットプレーヤーになったことがある。
一回目は21歳の頃かな。
それまで、あまりにもボレーが下手だったんだけど、それは
「経験が少ない」と思ったから、1年間ずっとネットプレーヤーで
やっていこうって思って、自分がサーブの時はもちろん
サーブ&ボレー、レシーブの時も殆どがレシーブダッシュ・・・という
スタイルで全て試合を頑張った。
 
2回目のネットプレーヤーをやったのは、30歳の時。
体力的にもベースラインで粘り続けるプレーがキツイと
感じ始めていたし、ランキングも上がっていたので、100位以内の
選手達と対戦することが多くなり、粘り続ける俺のストロークだけでは
勝てないって感じたから。
今一度ネットプレーの要素をスタイルに取り入れようって思って、
半年ほどサーブ&ボレーをどんな相手にでもやることにした。
 
2回ともかなり大きな収穫があって、俺のテニスも飛躍させる
ことが出来たんだけど、思い切ってネットプレーを取り入れる
ことって、けっこう勇気が必要だった。
まだ一回目に行なった21歳の時って、全然戦績も出していない
から、これ以上自分のランキングが落ちることって考えずに済んだ。
そもそもネットプレーを取り入れなくても勝てなかったしね。
そんなことより、テニスコーチという立場からしても、ボレーが
出来ないこと自体マズイと思っていたから、新たに武器が
増える気がして、ワクワクしながらやっていたくらい。
 
しかし2回目のネットプレーヤーへのトライは、やはり戦績にも
影響を大きく及ぼした。
手堅くやればストレートで勝てそうな相手にも競ってしまったり
実際負けてしまったり。
何度も「完全ネットプレーヤー」を辞めて、ちょっとずつ
試合の中でネットプレーを増やしていく方針に変えようかと
思ったんだけど、そこで怖かったのはネットプレーとメンタルの
関係。
自由にネットプレーを混ぜるようにした場合、恐らく自分は
気持ちに余裕がある時しかネットに出ないだろうって思った。
そうなると、完全にリードしている時とか、相手がかなり弱い
相手の時だけしかネットに出ないだろうって。
それだと結局それまでのストローカーテニスと変わらない。
ネットプレーを自分のスタイルとして取り入れるためには、
本当にピンチの場面や超緊張した場面でも、ネットに向かって
いけるようにならなきゃいけないのだ。
 
だから、ある程度戦績が落ちる覚悟でネットプレーヤーを
貫いたよ。
でも、そこでそういう覚悟が出来た原因は何かと言うと、周りで
一緒に練習してくれた俺より格上の選手達の存在。
自分より強い選手たちを見ていると、今いる自分の
ランキングなんて、大したこと無いって感じるようになった。
そんな大したランキングでも無いくせして、必死にその地位を
守ろうとするなんて馬鹿げているって思ったし、ある程度その
ランキングを落としてでも、それを犠牲にしてもっとデカイ
武器を成長させなきゃいけないんじゃないか・・・ってね。
 
新しいことを覚えようとすると、それまでのテニスのバランスが
崩れるのはしょうがないこと。
それによって生じる戦績不振も避けられない。
でもそれを怖がったり、そこから逃げたりすると大きな成長は
得難いって思った。
今ではむしろストロークよりもネットプレーの方が得意って
感じるくらい。
思い切ってやってみないと本当の自分って探せないんだって
ことも学んだよ。
何かが苦手って思っている人、今日から思い切ってそれが
得意な人のように振舞ってみてはいかがでしょう?
徹底してそれを貫くと、何かが見えてくるかも。
もしかしたら本当に得意になるかも。

優勝のプレッシャーを受け入れる

[過去の思い出] 投稿日時:2012/12/25(火) 07:55

初めてJOP大会で優勝したのは31歳の時。
それまでも何度か決勝まで進んだことはあったから
優勝は嬉しかったけど、そんなに優勝できたこと自体、
自分では意外と驚かなかった。
でも、こう書くとなんか冷めた言い方だけど、こういう
大会で優勝する・・・というのは、いつか必ず成し遂げて、
尚かつ更に上を行くって決めて目標にしていたから
そんな「優勝」なんてことは単なる通過点程度にしか
思わなかった。
 
でも優勝できたことは驚かなかったけど、驚いたのは
優勝するときにかかるプレッシャーの大きさ。
もう年齢も30歳を超えていたし、もともと冷静で安定した
プレーをしていたから、対戦相手からのプレッシャーは
ある程度覚悟していたけど、「優勝」という状況自体に
あれだけ自分の心と体が反応するって思わなかった。
それまでの決勝経験で対戦した相手は、明らかに
ランキングも実力も数段上だった。
ま、一応そんな強豪相手でも勝つ可能性を見つけて、
諦めず自分のやるべき事をやったけど、結局一度も
「よし!!優勝が見えてきた!!」って試合中に思えるほど
試合を支配出来たことはなかったからね。
 
だからある意味、最初から最後までずっと
崖っぷち状態を感じて、逆に試合そのものに集中出来たんだけど、
初優勝した時の対戦相手は、実力、ランキング共に自分と
同じ位置にいる相手。
これは優勝できる可能性がある・・・どころか、絶対負けては
いけない状況にいることに体が過剰に反応したのだ。
しかも相手も同じく初優勝狙いでガッチガチだったしね。
 
加えて当日は決勝のコート以外は全てジュニアの大会。
大勢のジュニアプレーヤーとその家族が来ていたから、
決勝のコートは大勢に取り囲まれた状態。
なんてことない最初のアップのストロークラリーからもう
ボロボロとミスをしてしまうほどの緊張だったよ。
そのおかげで思ったように試合を運べず1セット目を落とし
たのだが、2セット目は何とか取り返してファイナルへ。
 
ファイナルに入っても手探り状態で結局リードを許したんだけど
終盤、遂にスイッチが入って逆転!!
そしてそのまま優勝!!!
最後は完全に俺のペースでストロークラリーも出来たし、
そこからのネットプレーもスムーズに決まった。
じゃあそのスイッチはどうやって入った????
恐らく俺は優勝という大きなプレッシャーを受け入れたんだと思う。
試合中、優勝を意識しないようにってことも思ったけど無理だった。
じゃあ逆に優勝を思いっきり意識して、そのプレッシャーを
受け入れようってね。
気付いたら優勝していたっていうのではなく、優勝を狙ったから
優勝したんだ・・・という方が優勝の確率は上がると思ったんだよ。
 
もちろんそう考えるのは簡単だけど、実際決勝の試合の中で
それを意識するのは難しかった。
いや、相手の方がもしかしたらそういう考えにならなかったから
こっちが出来たのかもしれない。
とにかく、スイッチが入った瞬間からは「俺こそがチャンピオンだ!」という
意識の中で、何でも出来てしまった。
もちろん緊張もしていたし、プレッシャーも凄い感じたままだったけど
「それがどうした?決勝ってそういうもんだろ?」って感じに思えた。
 
優勝が決まった瞬間、体の力が全て抜けてしまった。
すごい緊張感の中、ずっと力み続けてプレーしていたんだろうね。
それこそ、優勝というプレッシャーを事前に理解できていなかった
証拠だと思った。
対戦相手と握手したあと、レフェリーと握手。
その時に、手がブルブル震えて止まらなかったことが忘れられない。
どんなに小さな大会でもやっぱり「優勝」って特別なんだなって
改めて感じることが出来た思い出深い経験となった。

アドバイス下さい!

[過去の思い出] 投稿日時:2012/12/06(木) 01:12

そもそもテニスの試合を頻繁に出始めたのは
20歳を過ぎてから。
当然最初は勝てない試合が続いたんだけど、
いろんな経験を経て大会の上位に顔を出せるように
なったのは25歳くらいから。
JOPの大会で優勝出来たのは30を過ぎてから
だから、まあ遅咲きというか、大会に出場していても
年齢は他の選手よりも上だったことが多かった。
 
そのせいか、よく試合後に「アドバイスお願いします」と
若手の相手選手から声を掛けられることが多かった。
中には俺に勝ったくせして「何かアドバイスありますか?」
なんて失礼なことを聞いてくるヤツもいたけど、そういう
選手にも「ちゃんとやらないと、俺に負けてた可能性だって
あったんだよ!」
みたいな感じで偉そうにアドバイスしてあげたもんだ。
本当は悔しくて口も聞きたくないんだけど、なんだかコーチという
仕事をしていると職業病なのか、求められるとついつい
調子に乗ってアドバイスしてしまう。
 
でも、こういった試合後に自分を負かした相手へ
「アドバイスお願いします!」って聞くことって、ちょっと
どうなのって思うこともあった。
俺だったら聞かないな。
だって負けたんだから悔しいでしょ?
出来れば誰もいない場所に行って「あの野郎!!!」とか
「チクショー!!って叫びたいくらいなんだから。
でも相手がどういう心境でどういう考えで自分との試合をこなして
いたかも後学のためにも聞き出したい・・・という気持ちもある。
でも30歳の俺が学生みたいな若い選手に
「アドバイスお願いします」なんて死んでも言いたくない。
 
そこで俺は大抵、試合終了後お互いベンチでラケットを
バッグに片付けたりしている時に「今、いくつなの?」とか
「インカレ、どうだった?」とか「どこで誰と練習しているの?」って
俺に勝った相手選手にムスっとしながらも軽く話しかけて
話の突破口を作り、そこから世間話をしながら、そのまま
本部の方まで付いていって試合後軽く話をしておく・・・という
作戦をよく使っていた。
その時はまだまだ試合の話はしない。
そしてその後、試合終わった選手が大抵行くことになる更衣室で
「おぉ!また会ったね」的な感じで再会を果たしたフリをして、
「ところでさっきの試合・・・」と本題を聞き出すのだ。
上手く行けばそのまま更に仲良くなって、後日その選手と練習の
約束まで果たす・・・というところまでいけたりしてしまう。
 
今思うと、そういうパターンで仲間になって練習相手と
なった選手って多い気がするし、逆にそういうことが出来なかったら
試合に出続けても選手仲間が増えないから、戦績も伸びて
いかなかっただろうね。
その瞬間は悔しいけど、やっぱり自分に勝った相手とは頑張って
話しかけておいて繋がっておく方が、練習仲間になれるから
得策だよね。
そう考えると、平気で「アドバイスお願いします」って勝者に聞く
行為も、おかしな部分はあるけど悪くないかも。
 
ただ、アドバイスをする方としては、質問したきりこっちの
一方通行になるようだと、その選手とその後交流を持とうと
あまり思わないな。
だって自分よりも弱い相手なんだから、よっぽど将来性が
ない限りは印象に残らないし、練習にも誘おうとは思わない。
試合で負けてもしっかり自分のテニスを自信持ってアピールして、
ある程度はしつこく付きまとって、いつの間にか選手仲間として
繋がりを作ってしまうような、アクティブで粘っこい敗者の方が
結果的にはいいって事だな。
皆も負けたら勝者に付きまとおう。
「アドバイスください」って言いにくい人は、さりげなく話しかけて
繋がりを作り、そこから頑張って後日練習をする約束をしないとね。
負けたら負けたで何かを得て帰りましょう。

胃袋を満たせ

[過去の思い出] 投稿日時:2012/11/05(月) 13:09

スペインに初めて行った24歳の時、1年間滞在して
選手活動をしていたんだけど、やっぱりその1年間は
色んなことがあったよ。
テニスなんて殆どダメだった思い出ばかり。
悔しい思いや辛い思いをし続けながら活動していた。
でもその結果、最後の最後にやっと報われた感じで
その1年間を終えることが出来たから、俺の中ではスペインに
行って活動したことはホントに良かったと感じている。
 
でもそうやって最後に結果が出るまで頑張り続けることが
出来たのは、やはり周りの環境に恵まれていたからだと
思うんだよ。
日本人の選手もいいヤツばかりで色々助けてもらったし、
他の国の選手やコーチたちも本当に最高の人達だった。
でもそれ以上に重要だったのは食事。
美味しい食べ物が沢山あって、コートで辛い思いをしても
胃袋は常に次の食事を楽しみにしていたからね。
 
俺が最初に滞在していたところは、ホームステイだった。
年齢は教えてくれなかったけど、スペイン人の老婦人の家に
選手3人くらいでホームステイしていたんだけど、その老婦人、
料理が最高に上手で、毎晩、前菜、メイン、デザートと手作りの
料理をコースで出してくれるのだ。
因みにパスタとかパエリアは前菜に入るから、まずは
ドーンとテーブルの真ん中にパスタなんかが置かれて、それを
モリモリ食べると、その後にドーンとお肉類が出てくるといった感じ。
練習は毎日きつかった。
きつかったけど、体重はむしろ増えていった気がするのは、
このおばさんの手料理がとても美味しかったからだね。
 
でも実はこういうホームステイってとてもラッキーだったのだ。
他のホームステイは茹でたパスタに塩をかけただけとか、
せいぜいそれにフライドポテト・・・というメニューだったり
したみたい。
いつも俺の滞在していたホームステイのメニューは皆に
羨ましがられていたよ。
 
この頃は、アカデミーもまだ小規模で、ランチもクラブの
レストランで食べることが出来た。
スペインの食事は一般的に前菜・メイン・デザートという流れで
食事するのだが、今日は前菜には何があって、その中から
何を選ぼうか、メインは何があるのかな、デザートは?というのが
最高に楽しくて、そのために午前中4時間のキツい練習も
耐えられるといった感じ。
毎日食べていると、何がオススメなのかも分かってくるので
新入りの選手なんかに説明してあげたりするのも楽しかった。
あまり日本人選手たちには好評では無かったけど、ここで初めて
食べたウサギは印象に残る味で美味かったよ。
 
よく選手仲間やコーチ達とも夜にご飯を食べに行ったり
したけど、食事はとにかくどこで食べても美味しかった。
ワインが大好きになったのも、この滞在の間に覚えたワインが
キッカケだね。
色んな料理を食べたけど、それがまたインパクトあるくせして
とても日本人には馴染み深い料理だったのだ。
 
半年間、その老婦人の家でホームステイしたけど、残りの
半年間はアパートに引越しして、日本人選手と一緒に暮らした。
その間の食事は自炊なんだけど、醤油も味噌もお米も手に
入ったから基本的に夜ご飯は和食。
これもまた精神的に良かったと思うし、それまでちょっと
その老婦人の手料理で食べ過ぎだったから、
ちょうど良かったかもしれない。
 
もともと食事をすること自体がとても好きで興味も
あったんだけど、このスペイン滞在の1年間で、より一層その
考えが深まった気がする。
毎日3度も食べる食事なので、それがとても充実していれば
例え辛い中でもがいて苦しんでいる状態でも、何とか
気力だけはその食事の楽しみによって、持続出来ると思う。
もちろんエネルギーも栄養も補給できるし、食事を皆と一緒に
とることで、仲間も増えていくからね。
でも肝心なその食事が口に合わないようだと厳しい。
スペインで出会った料理は、そう言う意味では、俺を楽しみに
させてくれたし、太らせてもくれたし、仲間も作ってくれて
本当に最高だったと言える。
 
テニスでこれから頑張りたい選手は、キツい環境に身を置かないと
いけないが、食事環境もしっかり整えたほうがいいよ。
そういうことを侮ってはいけないのだ。

説教してくれてありがとう・・・って言いたい。

[過去の思い出] 投稿日時:2012/10/29(月) 00:06

高校に入ってテニス部へ入部すると、先輩は二つ上の
3年生しかいなかった。
訳あって2年生が全員辞めてしまったので、その3年生が
俺たち1年生を指導してくれたんだけど、その3年生も5月で
引退したからそれからは基本的に1年生の天下となった。
当然上下関係は無いので、何かやらかしても怒られることが
なく、伸び伸びと部活動を行うことが出来たんだよ。
 
そんな部活動を経験してしまったもんだから、誰かから
監視されて、事細かく怒られる事が大嫌いな性格になって
しまい、よく「俺は上下関係が苦手」というのが口癖になる。
しかし18才で就職したテニスコーチの派遣会社に就職すると
そうはいかなかった。
体育会のノリが強い職場で、練習の時や宴会の時、もちろん
仕事の時にも先輩・後輩の関係を意識しないといけなかった。
と言っても、今思うと常識の範囲内ではあるが、とにかく
高校の時にぬるま湯に浸かっていた俺は、かなりストレスだった。
 
入社した当時は練習やレッスンの最中の態度や言葉遣い、
服装や髪型なんかも細かく注意されたし、怒られることも多かった。
若手の俺は6時から始まる朝練では一番に来ないといけないし
先輩から誘われる練習を断ることは絶対出来ない。
「なんで、そんなことまで・・・」って思ったことも多かったし、
「じゃあお前はどうなんだ?」って注意してくる先輩にこっちが
言い返したかったこともしょっちゅう。
一度、頭に来て先輩方の前で反論したこともあったけど
その時は「高西、そこへ正座してろ!」って一喝され、
正座したまま悔し涙をボロボロ流したんだよ。
 
そういう先輩達に囲まれて毎日を過ごしていると、心休まる
暇もない。
ホッとするのは寮に帰って自分の部屋にこもった時くらいだね。
朝6時から暗くなるまで、ずっと先輩達の目を気にしながら
過ごさなきゃいけなかったし、休みの日でも
「高西、練習しようよ」なんて声を掛けられると、コートに
顔を出さないきゃいけなかった。
でも、もともとのんびりした性格だったから、そんなストレスが
丁度良かったのか、先輩達の目が一番厳しかった最初の
2年間で、テニスもグンって伸びたし、コーチとしてのレッスンも
随分と成長することが出来た気がする。
 
いや、実はのんびりした性格のせいじゃないんだよ。
そこで成長出来たのは根っからの負けず嫌いな性格のおかげ。
色々文句言われるのであれば、テニスも仕事も文句言えないくらい
成長してやろうって思ったんだよ。
テニスは先輩たちを追い抜かす程のレベルになり、レッスンも
会社から文句言われないくらい人気あるレッスンやれば
事細かく注意されることもなくなるだろう・・・と。
 
ま、なんにせよ、誰の目も気にせず伸び伸びとテニスを
していた高校部活時代に比べ、諸先輩方の厳しい目が光る中で
ドキドキ、イライラしながらやっていた社会人コーチ時代の方が
環境のせいもあるけど、しっかり成長出来たのだ。
結局俺は「人の目を気にした方がイイのかも」って
思うようになっていった。
 
それからというもの、俺は周りに宣言するようになった。
「俺はランキング○○位になる!」
「海外で選手活動を行う!」
「世界ランキング取るぞ!」
とにかく、自分の中で「もしかしたら・・・」って思っている範囲の
夢や目標を色んな人たちに宣言しまくってテニスの選手活動を
行っていたんだけど、そうすると周りから
「宣言しておいて、そんな活動しかしてないの?」って軽蔑した
目で見られたり、「何やってんだ!」って怒られるとを恐れて
飽きっぽい性格の俺も、きっちり出来たんだよ。
でも、それだけじゃない。
「そんな夢を持っているなら・・・」と手助けをしてくれた人も
多かった。
そのおかげで、自分自身を心身共に成長させることが出来たし、
周りのサポートもあって、そういった夢の幾つかが実現出来たんだよ。
 
段々年齢も上がり、経験も豊富になってくると、なかなか
厳しく人に監視され、叱られることも少なくなっていった。
ましてやテニスなんて、個人スポーツだからチームに
所属しなくてもなんとか一人で活動できてしまうスポーツ。
その気になれば、誰からも指図受けず、自分のペースで
選手活動が出来てしまう。
でもそこで「お前、何やってんだよ!!」って一喝してくれる
ような存在がいないと、成長を続けるのって難しい・・・そう俺は
思って、ずっと選手活動をやっている間は、自分の夢を色んな
ところで言いまくったし、自分を監視してくれる存在を探した。
 
もちろん、そうやって監視されたり説教されることで萎縮して
しまってはダメなんだよ。
「絶対もう文句言わせないようにしてやる!」って
思わないといけないんだけど、とにかく自分のことを説教
してくれる存在が選手の成長には必要なんじゃないかなって
思っている。
そういう意味では、高校の時に伸び伸び出来た部活動は
楽しかったけど、そこでしつこく説教する先輩に対して
「チクショー!覚えてろよ!!」って気持ちになる体験が
出来なかったのは不幸なのかも・・・。
いや、もしかしたら先輩の説教のせいで潰れていた
可能性もある・・・。
難しい問題だけど、皆も説教してくれる存在がいるのであれば
感謝しよう。
そしてそれ以上文句を言わせないくらい、
頑張りまくってもらいたい。
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