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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出

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裏切り者

[過去の思い出] 投稿日時:2011/05/20(金) 13:00

自分自身がどういう人間なのか、テニスを
行う上でかなり重要になって来る。
自分はいったいどういう性格で、どのくらいの運動能力があるのか。
思考能力は?判断能力と判断スピードは?・・・・と色々な要素から
自分がどういうテニスをすべきか考えないといけない。
 
俺もその時々で自分の姿を客観的に見つめて、自分のテニスを
自分自身で考えてやってきたんだけど、結局テニスを始めた頃の
俺が想像していたものとはかなりかけ離れたテニス像と言うか
人間像が出来上がった。
 
まず高校生の頃、そして高校卒業して上京したばかりの
俺はフォアハンドストロークに自信持ったテニスをしていた。
周りの人も「お前のフォアはスゲェ!!」とか何とか言ってくれたから
全部のボールを回り込んででもフォアで打っていたよ。
 
その反面、バックハンドストロークに苦しんだ。
片手バックだった当時の俺は、スライス気味でフワッとしたショットしか
打てなかったし、20歳過ぎてから変えた両手バックも片手よりは
マシだったけど相変わらずショボいショットを打ってた。
 
ボレーも全然だったなぁ。
コーチとしてレッスンではなんとか優しく返球することは覚えたけど
試合中に「決める」なんてことは出来なかった。
それもあって「ダブルス、嫌い!」って周りに公言していた。
 
そんな当時の状況からすると、どう客観的に見ても
フォアハンドストローク主体で成長していくかな!!って考えるけど
結局現役最後のプレースタイルはどうだったかと言うと
オールラウンドプレーヤー。
しかもどっちかと言うとネットプレーの比重が高い選手に
なってしまったんだよ。
 
逆にフォアハンドストロークは、攻撃の柱というより、繋ぎショットで
地味に登場していて、カウンターショットは専らバックの方が効果あった。
大嫌いだったネットプレーも今や満面の笑顔で行っている。
だからもちろんダブルスも大好き!!
「苦手意識」というのに一つ一つ取り組んで払拭していくうちに、
結局かつては苦手と思っていたもののコツを見付け、それを柱に
プレーをするようになれたんだよ。
 
ある意味自分の目測を誤って大変身出来たから
ラッキーなんだけど、今自分のテニス人生を振り返ると
自分自身が持っている可能性って計りしれないんだなって思う。
ある程度の客観的な自身の観察は必要でも、常に
自分の限りない可能性を感じておかないと大変身の
チャンスも逃してしまう。
 
そう言えば、更に過去の話をすると、俺は小児ぜんそくを持った
病弱少年だった。
今でも両親は「あんな弱い子がよくここまで元気になったねぇ」と
言ってくれる。
ちょっと走ると発作を起こしてうずくまっていた子供だったが
現役時代は体力をウリに「粘るテニス」で戦う事が出来た。
大変身だよ。
 
皆も今思っている自分自身の将来の姿を見事裏切って
更に飛躍できるように頑張ろう!!!
「苦手」と思っているモノがもしかしたら「得意」になるかも。
何事にもトライして、自分の目測をいい方向で裏切ってあげてね。
それを信じてチャレンジ精神を持ち続けて欲しい。

テニス語

[過去の思い出] 投稿日時:2011/05/17(火) 14:20

俺が24歳の5月、スペインに行った。
不安以上に夢と希望で胸を膨らませて行った覚えがある。
成田から飛行機に乗ったのは昼過ぎの便で、イギリスの
ヒースロー空港行き。
12時間ずっと飛び続けてイギリスに到着したんだけど
そこからスペイン・バルセロナ行きの飛行機に乗り換え
バルセロナ到着したのは現地時間で夜10時頃。
 
そこでテニスアカデミーから来てくれた運転手のオジサンが
迎えに来てくれて、ホームステイ先の家まで送ってくれた。
オジサンは大人しくて何も喋らない。
でもその運転手のオジサンは、無口なんじゃなくて英語が
話せないのだ。
それは到着した先のホームステイのおばさんも・・・。
 
色々仲良くなろうと話しようと思っても、言葉が通じないって
ホント不便だし、何よりもストレスが溜まる。
翌日は日曜日だったので、まだアカデミーには通わない。
街をブラブラしながら、銀行でお金を下ろしたり、カフェで
コーヒーを飲んだりしたんだけど、やはり英語が通じない人が殆ど。
お昼ごはんを食べるのも一苦労だった。
 
月曜になり、初めてアカデミーに通って、コーチや選手と
やっと英語で挨拶が出来た。
日本人の選手も数名いたし、そこでベラベラ喋りまくったよ。
よっぽどストレス溜まってたんだろう。
でも何よりも色んな国の選手達とテニス出来たのが楽しかった。
そこで初めて「テニスでコミュニケーション取れるんだ」って
思ったよ。
 
初めての土地で、誰も知っている人がいない状態。
しかも言葉も通じない・・・となると、不安も募るもの。
でも「テニス」という手段を一つ持っていただけで、それを
糧に各国の選手やコーチ達とコミュニケーションを取り
自分の居場所を異国の地で見付けられたって凄いって
その時思った。
 
それから1年間滞在したけど、いろいろキツイことや
大変なこともあった。
でも、とにかく「テニスを頑張る」という目的だけきっちり
見失わずにいたから乗り越える事が出来たと思う。
 
テニスはある意味、世界共通の言語だね。
テニスやっている人達、特に中学生、高校生のテニス頑張っている皆、
色んな土地に行って、色んな人達とテニスをしながら交流して
自分の世界を拡げて行ってね。
テニスってそういう力があるんだよ。

片手も両手も

[過去の思い出] 投稿日時:2011/05/09(月) 03:16

テニスコーチをやるにあたって、片手バックハンドが
出来るかどうかが、けっこう重要だったりする。
片手バックの人にも教えるため・・・でもあるんだけど
実際それ以外に、生徒さんと打ち合う時、ラリーが途切れたら
間髪入れずに次のボールを出せるように片手でボールを持ったまま
ラリーが出来るようにするため。
両手バックの人なんかは、ポケットにボールをゴロゴロ入れないと
やってられないから、そういう意味では片手バックハンドの方が
左手にボール持ちながら出来るので便利。
 
と言う事で、俺もレッスンの時には殆ど片手バックハンドで
生徒さんと打ち合う。
でも試合では両手バックの俺がなぜ片手打てるのかと言うと、
もともと片手バックハンドの選手だったのだ。
両手に変えたのは20歳の頃だ。
 
でもその当時の片手バックハンドは見るに堪えない
何とも酷いバックハンドストロークだったよ。
腕力も無いくせして、気合入れて腕っぷしでボールを
飛ばそうとしていたから、当然テイクバック大きくなりすぎで
打点は食い込まれ、結局ボソッとした浅いショットに
なってしまったもんだよ。
 
トップスピンもあまり掛からなかったから、
相手がボレーに出てきても足元に沈める事が出来ないし
ショートクロスなんかでサイドを攻めることも出来ない。
何とかスライスで誤魔化してはいたけど、スライスだけでは
限界があるし、その頃は「テニスが強い=トップスピンが上手い」と
思ってたから、そのスライス打つたびに何だか逃げてる気もした。
 
そんな悲惨な片手バックだから、思い切って両手バックに
してみたんだよ。
でももちろんレッスンでは片手じゃないとラリー練習が
大変だから片手のまま行い、自分の練習時間になると
両手バックを練習した。
両手にしても相変わらずバックは下手だったけど、
まだ打点食い込まれても強引に後ろ手でプッシュしたら返せた
から「楽チンだ!」って思った。
 
今はもう試合の中でも多少使えるくらいまで、片手ショットを
レッスンの中でやっている。
あの頃は四苦八苦しながら片手バックを頑張っていたが
コツを掴むと簡単にボールは持ち上がるし回転も
しっかりかかる。
そして何より感触も軽い。
そのコツは何かって?
 
軸足だよ。
軸足でしっかり床反力で身体を支えているのを感じられると
片手バックでもしっかり打つことは出来ると思う。
腕力に頼り過ぎている片手バックの人は、要注意!!

やられた!って思ったよ。

[過去の思い出] 投稿日時:2011/05/04(水) 23:55

現役の頃は年間20大会以上出場していた。
初戦敗退って試合もあるが、勝ち上がって準決勝、決勝と
駒を進めた試合も少なくない。
なので年間試合数は50試合くらいはこなしていたと思う。
 
その試合、全部を覚えてはいない。
印象に残らない試合もあるので、たまに
「あの時対戦した○○です!」と挨拶されても
「ん?誰だっけ」ってなることもしばしば。
逆に覚えられて無かった経験もあるし、試合ってそんな
もんなんだよ。
 
じゃあ逆に覚えている試合はどんなのかというと、
やっぱり決勝とか大金星とかの試合なんだけど
悔しい試合もやっぱり忘れられない。
その中でも特に「悔しい!!!!」という試合はこれだろう。
青森の大会で体験したこの試合、競って最後は
負けたんだけど、最後の最後で「やられた!」というのが
あったので今でも忘れられない。
 
その大会では俺がノーシードで、相手はシード選手。
勝ち上がっていって、確か3回戦だったと思う。
鋭いショットに苦しみながらも、何とか粘り倒して相手から
1セットもぎ取り、そのまま2セット目も行けそう!!って思った時
雨が降ってきて一時中断となった。
文字通り「水を注された」状態・・・。
 
前日、その選手は競りまくって勝ち上がって来たので
明らかに疲労で動きが鈍い。
ここはチャンスだから、早く試合を再開してもらいたい。
すると雨も上がり、試合再開。
しかし・・・相手は黙々と丁寧なプレーをしながら執念で
攻撃しながらポイントを取って来る。
 
そして2セット目はタイブレークの末、相手に取られてしまった。
そして第3セット、ファイナルだ。
しかし2セット目取られた焦りから、こちらはスタートでミス連発。
そのままズルズルと負けそうになるが、最後あと1ゲーム取られたら
負けるという場面で逆に相手が焦り始め、
追い付くチャンスが巡ってきた。
 
しかし苦しいながらも、相手はネットへ果敢に出で
プレッシャーをかけてくる。
もうベースラインでの打ち合いは避けている状態なのだ。
そして遂に40-30でマッチポイントを握られた!!
周りの観客達も大声援を送ってこのマッチポイントを見守る。
そこで相手がサーブ&ボレーを仕掛ける。
俺はそれをダウンザラインにパス!!!
結果は・・・・「アウト!」と相手が手を上げ、それまで黙々と
プレーしていたのに「ヨッシャー!!!」と観客に向かって
ガッツポーズ!!
彼を応援していた観客も大拍手!!
 
でもね、そのショットは入っていたんだよ。
俺はもちろん抗議した。
が、彼は認めなかった。
そりゃそうだ。
こんな場面で認めるはずがない。
悔しい!!
 
が、それ以上に彼が上手いと思ったのは、「アウト!」と言って
ジャッジした後、俺が抗議する前に派手なガッツポーズを周りに見せ付け
自分の勝利をアピールし、誰もが「あ、この試合終わったんだな」という
印象を作ってしまったこと。
ま、抗議を受けてもジャッジは覆らないことも計算なんだろうね。
そんな空気で抗議をしてもムダ・・・という感じにしてしまった。
 
俺が抗議の為にネットに駆け寄ると、そのまま彼は
握手を求めてきた。
その時の彼の対応をや表情を見て「やられた・・・」って思ったよ。
こういう相手にも勝てるようにならないと、テニス選手は
やっていけないなって思った。

努力、努力!時々他力本願。

[過去の思い出] 投稿日時:2011/04/26(火) 10:14

今までテニスを頑張って来たんだけど、やっぱり
自分一人の努力だけでは限界がある。
凄い頑張った割にはそんなに上達しなかったりって
経験あるでしょ?
 
俺の場合もこれまでの上達はけっこう誰かからの
アドバイスがキッカケってことが多い。
色んな人達にアドバイスもらってここまでやって来たんだよ。
その中でも特効果があったのがスペインにいた時、
茶圓鉄也(ちゃえんてつや)プロにもらった一言。
あの一言で俺のテニスが一気に変わったんだよ。
 
当時日本のトップ選手だった茶圓選手と一緒に練習する機会
なんて日本にいると無いんだけど、スペインで一緒に滞在出来たので
何回か練習も一緒にさせてもらった。
その時に、クロス・ストレートラリーの練習を行っていたんだけど
この練習、しっかりとコントロール出来ないと練習にならない。
当然トッププロの茶圓選手の練習相手になるように頑張ってコントロールして
いたんだけど、その後にサーブレシーブからのマッチ練習をやった。
 
ここは思い切ってぶつかって行こうと気合入れて臨んだんだけど
簡単にかわされて完敗・・・。
そこで茶圓選手から一言アドバイス。
「さっきのクロスストレートラリーのスピードでやればいいのに」
俺としては茶圓選手の練習相手が務まるように、コントロール重視して
練習してたんだけど、それは練習相手としてだけじゃなくて
対戦相手としても重要なことだったんだよ。
その時のスピードが結局俺にとっては一番コントロールしやすい
のに、試合になるとコントロール重視からパワー重視になり
結局ノーコントロールで負けやすいテニスになっていたんだ。
 
それをキッカケにまずはコントロール出来るショットスピードを
重視してプレーするようになった。
単純な事だけど、意外とそういうことって言われないと気付かないし
それを言ってもらうタイミングも重要だね。
 
気合入れてスペインに渡ったけど半年間伸び悩み、
精神的にも苦しかった時期に茶圓選手という偉大な選手と出会って
その時一番必要だったアドバイスをもらえたのもラッキーだった。
それから俺は、ショットのスピードに気を付けるようになったんだけど
それともう一つ大事だと思ったのは、色んな人のアドバイスをもらえるような
存在になること。
もちろん自分自身の努力とアイデアも重要。
でもそれを開花させるためには誰かの助けが必要だったりするんだよ。
 
自分一人でもがき苦しんでいる人、ちょっと周りを見渡してごらん。
頑張っているのであれば、必ず誰かが客観的な良いアドバイスを
くれると思うよ。
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