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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出

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新入部員を迎えた、新米先輩たちへ

[過去の思い出] 投稿日時:2011/04/18(月) 18:37

4月は新学期が始まる。
昨年まで1年生として一番下っ端だった人達も
新入生が入部し晴れて「先輩」になってちょっと
気持ちの持ち方も変わったんじゃないだろうか。
 
俺が高校一年生でテニス部に入部した時
一つ上の2年生が一人もいなかった。
3年生の先輩だけだったから、5月にその3年生が
引退すると、もう1年生の天下。
先輩後輩の上下関係が無いから、よく言えば仲の良い、
悪く言えば慣れ合いの部活になってしまった。
 
そんな俺達1年生が2年生に進級し、新一年生が
入部してきた時のことは今でも覚えている。
「俺達も先輩かぁ」なんて思いながら、どのようにこの新一年生と
接するか皆で話し合った結果、自分達が1年生の時に上限関係が
無くて楽しかったから、同じように新一年生にも先輩後輩関係無く
仲良く部活をしよう!!ということに。
 
ということで、新しい1年生の部員達と仲良く楽しく
部活動を送ることが出来た。
が・・・やはり楽しいことばかりじゃない。
ランニングや練習態度、声出しなんかの面倒くさい部分が
我々2年生の思い通りに1年生が出来ていないと、注意しないと
いけないし、場合によっては説教もしないといけない。
 
でもそんな時、どうすれば良いのか分からなかった。
3年生の先輩がいた最初の数か月と、OBが来てくれる
合宿の時くらいは、怒られながら指導してもらう経験はあったけど
それ以外はお互い注意し合う事さえも出来なかったし・・・。
 
ピリピリした雰囲気を作って、己を律して己と向き合うことを
経験してこなかった我々は結局その新1年生の新入部員と
生ぬるい関係になってしまい、彼らに何を教えたか
殆ど記憶に無い。
 
この春、新たな新入部員を迎えた新米の先輩達よ、
君たちはその新入部員と楽しい部活生活を送りたいと思っている
だろうけど、大事なことを忘れるな。
それは「結果を出すこと」である。
結果とはもちろん大会の戦績でもあるし、人によっては自分自身の
成長でもあるが、とにかく部員一丸となって「結果を出さないといけない」という
同じ方向を向けるようにしないといけない。
 
そのことを教え込むことに徹しなさい。
違う方向を向いている新入生にちゃんと言い聞かせること。
勘違いしているやつには厳しく、崩れそうなやつには優しく伝え、
また来年彼らが新入部員を迎えた時に何をどうやって
伝えれば良いかを身を持って示さないといけない。
頑張れ、新米先輩達。
良い上下関係を築いて下さい。

世界トップ100位に突入!添田豪選手ナイスです。

[過去の思い出] 投稿日時:2011/04/05(火) 07:46

遂に添田豪選手が世界ランキング100位以内に
突入した!!
これは凄い!!!
今は錦織選手が日本人として世界で頑張っているけど
彼はジュニアの頃からアメリカでテニスしていた。
かつて世界で活躍した松岡修造さんもそうだね。
でも添田選手はずっと日本を拠点にしてテニスを
頑張っていたから、日本テニス界では初の
純和制男子テニス選手が100位内に入ったとして
ビッグニュースになっている。
 
日本でずっと練習していたので、その添田選手と
何度か一緒に練習した事がある。
彼が中学生の頃で、俺は20代前半だったかな。
その頃からもうクロスラリーでも俺は翻弄されていたよ。
でもパワーでビックリしたというより、彼のしなやかな
打ち方に圧倒された。
柔らかいタッチでパワーショットとしっかりとした
繋ぎショットをその頃から打ち分けていて、全く何を
いつ打って来るのか読めなかった記憶がある。
 
一度ダブルスで対戦した事もある。
昭和の森フューチャーズのダブルス本戦一回戦
だったんだけど、ワイルドカードで出場権をもらった俺と後輩の
安藤ペアはこのダブルス一回勝てば世界ランキングが付くという
状況だった。
で、対戦相手は添田選手と加藤季温選手。
笑ってしまうくらいの強豪だ。
 
でもこのダブルスの前にシングルスの試合が行われていて
添田選手は激戦の末、オーストラリアのシード選手に
敗れてしまった。
敗戦のショックと疲労感を滲ませた添田選手は、かなり
きつそうだ。
 
そんな添田選手に大会ディレクターが、ダブルスの試合が
残っているので休憩はどれくらい必要か尋ねた。
「うーん・・・・」
出来るだけ休んで体力を回復した状態でダブルスを戦いたい
添田選手は出来る限り休みを取りたいと主張。
でももう夕方になっているので試合が遅くなり、夜に突入するのも
あまり好ましく無い。
 
そこで添田選手、ディレクターに「対戦相手は誰?」と聞いた。
そして対戦相手は「高西・安藤」と知った瞬間、迷わず
「すぐやります!」と決断。
結果、高西・安藤ペアはストレートで敗退。
添田選手の決断は悔しいけど正しかった・・・・。
 
今後、彼が世界を舞台にどこまで活躍するのは
楽しみにしている。
頑張れ添田豪!!

粘ったんじゃなくて、逃げたんだよ

[過去の思い出] 投稿日時:2011/03/31(木) 11:04

人生を後悔しないように生きて行きたい。
俺の場合、テニスに関してはトレーニングや練習環境など
考え付くことは目いっぱいやってきたから、引退する時にも
やり切った感があって後悔なくスッキリした気持ちで
引退出来た。
 
でもねぇ、やっぱり過去の試合を振り返ると色々
「あの時、こうしておけば・・・」と思う場面が多々ある。
その中でもダントツなのが、毎日テニス選手権のシングルス
本戦2回戦の試合。
大きな大会なので、本戦に出場するのも大変だったし
一回戦突破するものキツイ。
でも絶好調だった俺はランキングも上がっていたので
予選免除の本戦ストレートインして、初戦も難無く突破。
 
そして迎えた2回戦はシード選手との戦い。
相手はストロークが強烈な選手でガンガン攻め込まれるも
こちらは得意の粘りで受け切って崩れるのを待った。
 
すると1セット目、途中リードされたものの徐々に空回り
し始めた相手から逆転で取った。
しかし当然相手はシード選手なので、2セット目はしっかり
立て直してきた。
でも相変わらず俺の粘りを嫌がっている様子。
そして5-5で俺がサーブをキープして6-5となった。
これをブレイクすれば3回戦進出だ!
 
相変わらず粘りまくって30-40!!
マッチポイントを迎えた俺は・・・粘った。
が、その時の粘りはそれまでの粘りと違った。
何と言うか・・・精神的に逃げ腰状態。
そうなると粘っても相手にプレッシャーはかけられない
どころか、自分自身粘れば粘るだけ不安が膨らむ。
 
結局そのマッチポイント逃した俺は、そのセットを
タイブレークで落として、ファイナルセットでやられた。
ま、他にも色々問題はあったしチャンスも作れたんだけど
あの時のマッチポイントの「粘り」のプレーを未だに後悔している。
今思うと、あの「粘り」は「逃げ」だったんだよ。
 
どうせポイント落とすんだったら、気持ちは攻めの姿勢で
臨まないと相手にも自分の弱さにも呑みこまれてしまい
結局その1ポイントだけじゃなく、その後のプレーも影響されて
しまう。
大きな大会で相手もシード選手だから、大金星目前にすると
自分をコントロールしにくいのは分かるが、勝つために普段から
頑張っているので、ちゃんとしないとね。
 
でもいくら後悔しても結果は変わらない。
大事なことはその事を一生忘れないようにして、今後の人生に
教訓として活かすこと。
みんな頑張れ!!

飽きっぽい?いやいや、行動力です。

[過去の思い出] 投稿日時:2011/03/28(月) 09:21

高校の時テニスをスタートして
32歳で引退するまで随分と上達する事が
出来たと思う。
始めた当初はまさかプロになれるなんて
思ってもみなかったからね。
でももちろん常に順調な道のりではなかった。
壁にぶち当たることも多かったし、逆に弱くなっていると
感じることもしょっちゅうだった。
 
そんな時、新しい環境を求めることで壁を乗り越えてきた。
最初にトライしたのは高校卒業してから上京して、
テニススクールコーチになったこと。
意識高いコーチ兼選手で頑張っている人達に囲まれて、毎日練習
しながら鍛えてもらい「テニス選手の道」を歩み始めた。
 
でもそこで2年やっていると、上達はしているがもっと
高いレベルでのテニスに飛び込みたくてアメリカへ3ヶ月間留学し
色んな大学のテニスチームで練習しながら更に上を目指した。
帰国後は選手が練習やトレーニングで集まる施設で練習しながら
自分も世界と繋がりを持ち続けようと頑張った。
 
それから2年後、スペインに1年間行ってトレーニング。
この経験は大きかったが、もう一度ちゃんと行って練習を
したかったので帰国してから更に2年後2度目のスペイン滞在を
決行した。
この2回目のスペイン滞在は3ヶ月間という短い期間だったけど
一度目以上の手応えを感じる事が出来た。
その経験が一番俺のテニスを大きく成長させてくれたと感じている。
 
こう振り返ると2年毎に何か新たな世界を取り入れようと
俺は動いているようだ。
帰国後も国内で色んなところへ動いているが、やはり2年か3年毎に
環境を変えている。
新しい環境に飛び込むと、そこに順応しようと学習能力が
働くし、自分を客観的に観たりするし、何より緊張感が生まれる。
 
テニス選手として、どんどん次のステージに上がろうと
頑張っている人は、そういう新しい環境を見付けて飛びこんでいく
行動力は必要不可欠かもね。
そしてその環境にどれだけ早く順応できるか・・・がテニスの勝敗に
繋がって行くと思う。
やっぱりぬるま湯の中にいたら成長しないもんね。

若者よ、そうカッカするなよ。

[過去の思い出] 投稿日時:2011/03/23(水) 13:24

現在35歳である。
今年36歳になる俺はもう試合には出場していないけど
チャンスがあればまた大会に出たいと思っている。
今でもたまに若手選手のヒッティングで練習試合を行ったり
しているんだけど、若手にしたら俺のテニスって相手しにくい
厄介テニスらしい。
 
テニスってやっぱり体力や脚力だけじゃなくて、頭も使う。
若手の選手に比べて足も遅くなったし、ボールのスピードも
落ちてしまった今、どうやって戦えるかと言うと戦術だよ。
意表をついたり、嫌な所をついたりしながら、精神的にダメージを
与えて自滅の道を促すテニスで勝利することが可能なのだ。
 
でもこういうテニスが何で出来るようになったかと言うと、
俺自身こういう厄介なおじさんテニスに若手の頃苦しめられた
経験があるから。
その中でも一番は右近憲三選手である。
 
かつて日本のトッププロだった右近選手と対戦したのは
俺がまだ100以内に入っていない時。
もう引退されてミキプルーンの監督をしていた右近さんが
関西の大会にフラッと出場したのだ。
ランキング無い右近さんは当然俺と同じ予選組でしかも同じ
ブロックになってしまい、予選の決勝で当たってしまった。
 
当時まだまだ20代で体力、脚力最高潮だった俺だけど、終始切れ味
鋭い右近選手のスライスショットに苦しめられ、徐々に足が止まり
リズム感の無いプレーをさせられたのを今でも覚えている。
右近さんもそれほど動ける状態では無かったので、きっちりと端から端に
動かせばミスをしてくれるんだけど、俺の方が焦り過ぎて端を狙ったら
ことごとくサイドアウトという始末。
結局ファイナルタイブレークまでもつれたけど敗退・・・。
悔しかったなぁ・・・。
 
右近選手の切れ味鋭いスライスに当時はやられたと思っていたけど、
今思うと、そんな引退したような選手に対して現役選手の力を
見せ付けたくて空回りしていたような気がする。
「現役をなめんなよ!」とガツーンとパワーショットでねじ伏せようと
したところをヒョイっとかわされ、そのかわされた事に余計イライラして
自分を見失ったんだね。
 
そんな経験があるから今現在、若手を相手にその頃俺がやられた
空回りさせるテニスで対応しています。
だから若手の皆も、嫌な感じのおじさんテニスに当たったら
カッカしないで冷静にまずは前後、左右と揺さぶりをかけましょう。
テクニック持っているけど、動かされ続けると体力切れで別人のように
崩れるおじさんは多いからね。
間違っても力でねじ伏せようとしないこと。
 
さ、俺も体力落ちているので、たまには走っとかないと・・・。
まだまだ若手には負けたくない。
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