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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:考え方
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ミスを続けない簡単な方法
[考え方] 投稿日時:2013/12/06(金) 12:02
テニスはミスが付き物だ。
ノーミスで試合を終わらせる事なんてあり得ない。
何ポイントもこなし、その中で何百本もショットを
打ち続けるんだから、多少のミスは起こりうるでしょ。
だからミスをしてしまった時には、
「ミスをしてはいけない」って考える事より
「ミスを続けてはいけない」という考え方の方が
大事なんだよね。
でもついついミスをしてしまうと、そこからプレーの
リズムが崩れてミスを繰り返してしまう場合がある。
「いかんいかん・・・」と思って調整するけど、またミスを
繰り返すんじゃないかという焦りから、体がこわばったり
足や腕の動きが躊躇してまたミスを招いてしまう・・・なんて
パターンに陥ってしまったことない?
そうならない為には、ミスをした後にどうすれば元の
プレーに戻せるかが重要となるのだ。
俺が今まで実戦して来た中で一番有効なミスが続かない
方法は何かと言うと、それは「無かった事にする」という考え方。
もし試合中にダブルフォルトしたとしよう。
そうするとその次のポイントで「今度こそちゃんと入れよう!」って
気持ちになってサーブに取り組むでしょ?
「さっきよりも弾道上げてネットを超えさせなきゃ」とか
「回転量増やして、飛び過ぎに気を付けよう」とか、
「端っこ狙い過ぎないように打たなきゃいけない」という
意識が芽生えるのだが、そんな大量の課題を自分へ課した
状態で次のポイントに臨もうとすると、当然自分への余計な
プレッシャーが邪魔してくるでしょ?
そうなってしまうと結果
「次のサーブは何か特別なことをしないといけない」
という気持ちになる。
でも、普段打っているショットって別に「ミスしていい」って
思って打ってる訳じゃない。
ちゃんと安定感を考えて作り上げたショットなわけだから、
ミスしてしまったとしても、それが特に無理なショットを
打ったのでなければ大きく修正をしないで、そのまま次の
ポイントで続けてもいいはずなんだよ。
だからダブルフォルトした後、別に何も気にしないで
平然と、堂々とサーブを打てば良いってことだ。
「無かった事にしよう」
そういうことで次のプレーをすれば良いんだよ。
簡単でしょ?
しかし実際にはそんな簡単に上手くいかない。
だってミスしたらそれだけ相手にポイントが加算され
それがスコアとして残るし、それが頭の片隅にチラ付いて
離れなかったりする。
そうするとついつい「次はちゃんと入れなきゃ」って
知らず知らず特別な打ち方をしようとしてしまうのだ。
じゃあそういうことにならないようにする為にはどうすれば
良いかと言うと、結局のところ
「テニスはある程度のミスが伴うスポーツ」ということを
もう少し自覚して臨まなきゃいけないってことになる。
そのミスが例え大事なポイントで起こってしまったとしても
しょうがないし、それは取り返しがつかないんだから。
重要な事は、それを悔やむよりも、また次に待っているポイントを
ちゃんと自分らしく普通にこなすこと・・・なんだよ。
もちろん、作戦を変えたり戦術を練ったりすることは必要。
でも、いつもの打ち方ではまたミスするから何か特別な打ち方を
しないと次は入らないって思ってしまう人は結局また違う形で
ミスを続けてしまうパターンにはまってしまうのだ。
だって「何かしなきゃ入らない」って考え方は自分自身を
全く信用していない訳でしょ?
そう、ミスを続けない方法は「無かったことにする」ということが
大事だし、それを実行する為には「自分のテニスを信じ抜く」
ことが更に必要になるってことだ。
試合中にミスが付き物ってこともしっかり覚悟するようにね。
ノーミスで試合を終わらせる事なんてあり得ない。
何ポイントもこなし、その中で何百本もショットを
打ち続けるんだから、多少のミスは起こりうるでしょ。
だからミスをしてしまった時には、
「ミスをしてはいけない」って考える事より
「ミスを続けてはいけない」という考え方の方が
大事なんだよね。
でもついついミスをしてしまうと、そこからプレーの
リズムが崩れてミスを繰り返してしまう場合がある。
「いかんいかん・・・」と思って調整するけど、またミスを
繰り返すんじゃないかという焦りから、体がこわばったり
足や腕の動きが躊躇してまたミスを招いてしまう・・・なんて
パターンに陥ってしまったことない?
そうならない為には、ミスをした後にどうすれば元の
プレーに戻せるかが重要となるのだ。
俺が今まで実戦して来た中で一番有効なミスが続かない
方法は何かと言うと、それは「無かった事にする」という考え方。
もし試合中にダブルフォルトしたとしよう。
そうするとその次のポイントで「今度こそちゃんと入れよう!」って
気持ちになってサーブに取り組むでしょ?
「さっきよりも弾道上げてネットを超えさせなきゃ」とか
「回転量増やして、飛び過ぎに気を付けよう」とか、
「端っこ狙い過ぎないように打たなきゃいけない」という
意識が芽生えるのだが、そんな大量の課題を自分へ課した
状態で次のポイントに臨もうとすると、当然自分への余計な
プレッシャーが邪魔してくるでしょ?
そうなってしまうと結果
「次のサーブは何か特別なことをしないといけない」
という気持ちになる。
でも、普段打っているショットって別に「ミスしていい」って
思って打ってる訳じゃない。
ちゃんと安定感を考えて作り上げたショットなわけだから、
ミスしてしまったとしても、それが特に無理なショットを
打ったのでなければ大きく修正をしないで、そのまま次の
ポイントで続けてもいいはずなんだよ。
だからダブルフォルトした後、別に何も気にしないで
平然と、堂々とサーブを打てば良いってことだ。
「無かった事にしよう」
そういうことで次のプレーをすれば良いんだよ。
簡単でしょ?
しかし実際にはそんな簡単に上手くいかない。
だってミスしたらそれだけ相手にポイントが加算され
それがスコアとして残るし、それが頭の片隅にチラ付いて
離れなかったりする。
そうするとついつい「次はちゃんと入れなきゃ」って
知らず知らず特別な打ち方をしようとしてしまうのだ。
じゃあそういうことにならないようにする為にはどうすれば
良いかと言うと、結局のところ
「テニスはある程度のミスが伴うスポーツ」ということを
もう少し自覚して臨まなきゃいけないってことになる。
そのミスが例え大事なポイントで起こってしまったとしても
しょうがないし、それは取り返しがつかないんだから。
重要な事は、それを悔やむよりも、また次に待っているポイントを
ちゃんと自分らしく普通にこなすこと・・・なんだよ。
もちろん、作戦を変えたり戦術を練ったりすることは必要。
でも、いつもの打ち方ではまたミスするから何か特別な打ち方を
しないと次は入らないって思ってしまう人は結局また違う形で
ミスを続けてしまうパターンにはまってしまうのだ。
だって「何かしなきゃ入らない」って考え方は自分自身を
全く信用していない訳でしょ?
そう、ミスを続けない方法は「無かったことにする」ということが
大事だし、それを実行する為には「自分のテニスを信じ抜く」
ことが更に必要になるってことだ。
試合中にミスが付き物ってこともしっかり覚悟するようにね。
ハードルを下げたり上げたり
[考え方] 投稿日時:2013/10/22(火) 12:25
シングルスの試合ばかり出ていた俺がダブルスの
試合にも積極的に出始めたのは22歳か23歳頃。
会社の先輩コーチでダブルスが上手い方が誘ってくれたの
だが、申し訳ないことに一緒に出た試合はあまり勝てなかった。
見事に俺が足を引っ張ってしまい、何とも気まずい
雰囲気で自分がコートに立っていたのを未だに
覚えている。
ダメだった原因はダブルスの経験不足とボレーの技術が
乏しかったことなんだけど、今考えるとダブルスにおいての
自分が果たすべき役割が分かっていなかったことが大きい。
当時の俺は既に普段からレッスンをやっているテニスコーチとして、
「ダブルスとはこうだ!」というダブルス巧者の理想論はあった
ものの、結局情報ばかりが頭にあって、その頭でっかちな
情報のせいで全然何も出来なかったと言う訳なのだ。
ポーチでバシッと決めるためには、どういうステップで
どういう握り方でボレーを打てば良いか・・・なんて知識は
豊富だったけど、「ポーチ出る自信が無い場合は?」という
根本的な問題にいざ自分が直面すると、何もアイデアは
浮かばなかったのだ。
その時コートに立っている俺が思っていたことは
その上手い先輩コーチの足を引っ張らないように、同等の
プレーをしないといけない・・・ということ。
それはつまり、サーブ&ボレーで華麗に前へ行き、
足下に沈められてもきっちりボレーを返球しながら、
浮いたボールはバシッとストレートに決めてしまうような
カッコいいネットプレーだったり、相手の鋭いサーブが
飛んで来ても相手ボレーのポーチに捕まらず、きっちり
クロスに打てる手堅いレシーブだったり、相手レシーブが
ちゃんとクロスに打っても、良いスタートで迷い無く
飛び付いて決めてしまうカッコいいポーチボレーなんかを
するということなんだよね。
そういったプレーをすることが、その先輩選手と組んだ時に
自分がしなきゃいけないって思っていた。
でも、やらなきゃいけないって思いながらも
「そんなの出来る訳無い」って自分自身を否定しながら
そんなことを思っていたんだから、そりゃいたたまれなく
なるはずだ。
もしその頃の自分に今現在の俺がアドバイス出来るとすれば
こう言うだろうね。
「まず自分の出来ることを見付けよう」
テニスの試合は自信を持ってプレーしないといけない。
でもその「自信」とは、誰よりもナイスなプレーをするという
自信じゃなくて、「それくらいなら出来る」という自分の
レベルでクリア出来るところまでハードルを下げた課題に
対しての「自信」なのだ。
だから、それは自分の身の丈にあったもので良い。
技術だけじゃなく、精神的にも参ってしまいそうな人は
相当ハードルを下げたプレー・・・例えば「繋ぐだけ」
なんかでも良いんだよ。
そういうことなら、自信持ってプレーに専念出来るでしょ?
凄いアイデアが浮かんでも、それを自分が実行する勇気が
無ければ、それは使えなのだ。
とは言うものの、もう一つ当時の俺に言いたいことがある。
それはさっき述べたことと矛盾するんだけど、
「出来ないと思うな!自分は出来るって信じ抜け!」
ということ。
この考え方で重要なのは、自分自身を奮起させること
なんだけど、一番はやっぱり相手へのアピールだね。
「俺をなめるな!」という気持ちはどっかで見せなきゃいけない。
でもやっぱり自分のテニスをその試合で成長させるためにも、
今後のテニス人生で成長させるためにも、多少背伸びした
プレーを思い切って実行する行動力は身に付けないとね。
そしてその背伸びしたプレーは、「俺なら出来る」って気持ちに
なってからやらないといけないでしょ?
「俺に出来るのだろうか・・・」って心理状態だと絶対出来ないし
もし失敗したら、トライしたこと自体も後悔するだろうから。
相反することを書いたけど結局、
「身の丈にあったプレーを自信持って行い続ける」という
プレーをベースに置いておきながら、どこかで「俺はこんなことも
出来るんだ!」という背伸びしたプレーを混ぜながら出来るか
ということなんだよ。
そして「背伸びプレー」を「身の丈プレー」の中にどのくらいの
割合で混ぜて行くのか、それからどのタイミングで混ぜて行くのか、
それらをきちんと決めてコートに立てば、必ず強いパートナーと
組んでいてもそのコートの中での自分の役割は見えてくるし、
パートナーもそういったポリシーがはっきりした選手がペアだと、
多少レベルが自分よりも落ちていたとしてもサポート
しやすいものである。
でも当時のダメダメなダブルスの悔しさは、結局その後の
テニスの上達熱に繋がった。
こんな俺でも一緒に組んで大会に出てくれた先輩に感謝だな。
身の程を知らずに先輩とダブルスに組んだ俺は、多少背伸びプレーの
方はやっていたんだろうね。
でも大事なことはオンコートでの行動。
身の丈を考えることと、背伸びする度合いとタイミングをしっかり
計算出来るテニス選手になろう。
試合にも積極的に出始めたのは22歳か23歳頃。
会社の先輩コーチでダブルスが上手い方が誘ってくれたの
だが、申し訳ないことに一緒に出た試合はあまり勝てなかった。
見事に俺が足を引っ張ってしまい、何とも気まずい
雰囲気で自分がコートに立っていたのを未だに
覚えている。
ダメだった原因はダブルスの経験不足とボレーの技術が
乏しかったことなんだけど、今考えるとダブルスにおいての
自分が果たすべき役割が分かっていなかったことが大きい。
当時の俺は既に普段からレッスンをやっているテニスコーチとして、
「ダブルスとはこうだ!」というダブルス巧者の理想論はあった
ものの、結局情報ばかりが頭にあって、その頭でっかちな
情報のせいで全然何も出来なかったと言う訳なのだ。
ポーチでバシッと決めるためには、どういうステップで
どういう握り方でボレーを打てば良いか・・・なんて知識は
豊富だったけど、「ポーチ出る自信が無い場合は?」という
根本的な問題にいざ自分が直面すると、何もアイデアは
浮かばなかったのだ。
その時コートに立っている俺が思っていたことは
その上手い先輩コーチの足を引っ張らないように、同等の
プレーをしないといけない・・・ということ。
それはつまり、サーブ&ボレーで華麗に前へ行き、
足下に沈められてもきっちりボレーを返球しながら、
浮いたボールはバシッとストレートに決めてしまうような
カッコいいネットプレーだったり、相手の鋭いサーブが
飛んで来ても相手ボレーのポーチに捕まらず、きっちり
クロスに打てる手堅いレシーブだったり、相手レシーブが
ちゃんとクロスに打っても、良いスタートで迷い無く
飛び付いて決めてしまうカッコいいポーチボレーなんかを
するということなんだよね。
そういったプレーをすることが、その先輩選手と組んだ時に
自分がしなきゃいけないって思っていた。
でも、やらなきゃいけないって思いながらも
「そんなの出来る訳無い」って自分自身を否定しながら
そんなことを思っていたんだから、そりゃいたたまれなく
なるはずだ。
もしその頃の自分に今現在の俺がアドバイス出来るとすれば
こう言うだろうね。
「まず自分の出来ることを見付けよう」
テニスの試合は自信を持ってプレーしないといけない。
でもその「自信」とは、誰よりもナイスなプレーをするという
自信じゃなくて、「それくらいなら出来る」という自分の
レベルでクリア出来るところまでハードルを下げた課題に
対しての「自信」なのだ。
だから、それは自分の身の丈にあったもので良い。
技術だけじゃなく、精神的にも参ってしまいそうな人は
相当ハードルを下げたプレー・・・例えば「繋ぐだけ」
なんかでも良いんだよ。
そういうことなら、自信持ってプレーに専念出来るでしょ?
凄いアイデアが浮かんでも、それを自分が実行する勇気が
無ければ、それは使えなのだ。
とは言うものの、もう一つ当時の俺に言いたいことがある。
それはさっき述べたことと矛盾するんだけど、
「出来ないと思うな!自分は出来るって信じ抜け!」
ということ。
この考え方で重要なのは、自分自身を奮起させること
なんだけど、一番はやっぱり相手へのアピールだね。
「俺をなめるな!」という気持ちはどっかで見せなきゃいけない。
でもやっぱり自分のテニスをその試合で成長させるためにも、
今後のテニス人生で成長させるためにも、多少背伸びした
プレーを思い切って実行する行動力は身に付けないとね。
そしてその背伸びしたプレーは、「俺なら出来る」って気持ちに
なってからやらないといけないでしょ?
「俺に出来るのだろうか・・・」って心理状態だと絶対出来ないし
もし失敗したら、トライしたこと自体も後悔するだろうから。
相反することを書いたけど結局、
「身の丈にあったプレーを自信持って行い続ける」という
プレーをベースに置いておきながら、どこかで「俺はこんなことも
出来るんだ!」という背伸びしたプレーを混ぜながら出来るか
ということなんだよ。
そして「背伸びプレー」を「身の丈プレー」の中にどのくらいの
割合で混ぜて行くのか、それからどのタイミングで混ぜて行くのか、
それらをきちんと決めてコートに立てば、必ず強いパートナーと
組んでいてもそのコートの中での自分の役割は見えてくるし、
パートナーもそういったポリシーがはっきりした選手がペアだと、
多少レベルが自分よりも落ちていたとしてもサポート
しやすいものである。
でも当時のダメダメなダブルスの悔しさは、結局その後の
テニスの上達熱に繋がった。
こんな俺でも一緒に組んで大会に出てくれた先輩に感謝だな。
身の程を知らずに先輩とダブルスに組んだ俺は、多少背伸びプレーの
方はやっていたんだろうね。
でも大事なことはオンコートでの行動。
身の丈を考えることと、背伸びする度合いとタイミングをしっかり
計算出来るテニス選手になろう。
勝ちたいなら嫌われろ。
[考え方] 投稿日時:2013/10/03(木) 12:54
テニスの試合の最中、相手選手のことをどう思う?
ん?そうやって考えたこと無い?
俺は試合中、相手選手のことを嫌いって思うことが
殆どだったよ。
いや、もっと違った表現をすると、「憎たらしい」という
存在だね。
どんなに仲の良い選手と対戦したとしてもポイント
取られたら悔しいし、「コノヤロー」って思ってしまう。
心穏やかにプレー出来る時って結局、大幅リードしていて、
しかも相手選手のやる気も無くなり、こっちがただ繋いでりゃ
簡単にミスをしてくれる、そんな状態になった時くらい。
でもそんな時は間違いなく相手選手はこっちのことを
「アノヤロー」ってハラワタ煮えくり返っていることが多い。
とにかく試合ってものは互いに憎しみ合って戦うこと。
だって勝ちたいのに相手が邪魔してくるスポーツなんだから、
憎たらしくなるのが普通でしょ?
でも、大量リードで勝ちがほぼ決まっている状態じゃなくても
心穏やかにプレー出来る時がある。
それは相手を認めてしまっている時。
「やはりあなたは私より強いです。完敗です!」って感じ。
そう、もう勝ちを諦めた時なんだよね。
例えば初戦でナンバー1シードの選手と対戦することになったとしよう。
優勝候補であるナンバー1シードに対して、こちらは初戦も
勝てるかどうか怪しいというレベル差だったら当然、序盤に圧倒的な
試合展開で大量リードをシード選手にされても腹が立たないどころか、
「さすが!」って拍手まで送りたくなってしまうのだ。
でもここで諦めずに「どうやったら勝てるだろう」って考える
ことが出来て何か策を講じることが出来たら、その瞬間から
何かが変わるはず。
もちろんそのまま0−6で敗退することもあるけど、そこから
相手のリズムが狂って、こっちの調子が上がって・・・という
パターンを期待するなら、「コノヤロー」って気持ちになるはず。
でもそういう「考えられる選手」になって、「逆転大金星テニス」を
誰もが目指せるかと言うと、実はそれも難しい。
そういう展開を避けてしまうことって実は多いのだ。
なぜかと言うと、ナンバー1シードがノーマークの選手に
大逆転されそう・・・という展開になったとしよう。
そうなると試合内容は絶対泥沼化しているはずなんだよ。
そうなると、試合中ナンバー1シードの選手は、イライラしながら
凄い形相でこっちを見てくるだろう。
追いつかれた悔しさもあるけど、何よりこんなレベル差の選手と
競っている自分にも腹が立っている。
とにかく屈辱的に感じるんだよ。
こっちのことが憎たらしくて仕方が無いって思うのだ。
そんな「憎たらしいって思われる」ことに耐えられる?
耐えられない人はついつい大量リードされた時点で相手の強さを
認めて、そのまま何事も相手と一悶着起こさないようしながら
試合を終わらせてしまう道を選んでしまうのだ。
だって、そこから追いついたとしよう。
すると、ちょっと怪しいジャッジに対し
「今のホントにアウトなの!?」
なんて凄い剣幕て抗議してくるだろうし、ボレーにいれば
スマッシュなんかもぶつけてくるかもしれない。
ボールを渡す時も、意地悪で取りにくい強さで打ってくるしね。
とにかく「あなたが嫌い」という態度をとことん見せつけて
くるだろうね。
そんな嫌ってくる上位の選手に対して「嫌いで結構!」という
態度をちゃんと取れる選手は、そういう場面から逃げないで
自分のプレーのリズムを崩さないでいられるのだ。
ここで「相手に憎まれる」ことを恐れたり、挙げ句の果てに
「いやいや、私はあなたを尊敬してます」「嫌いにならないで」
なんて態度を見せることで、強い相手の憎悪から逃げる人は
チャンスを逃してしまうんだよ。
そんな人はアウトしたのに、ついつい「入ってました」って
言ってしまったり、ボレーなんかで仕掛けられたら、
すぐに勝負してしまってミスをどんどんプレゼントしたりする。
最悪なのは相手が怪しいジャッジをしても「いや、文句ないです」
って感じで大人しくなって抗議出来なくなる。
対戦相手との争いを避けて相手と平和的にプレーを選択する選手に
勝利なんてあり得ないんだよね。
とにかく試合は相手との憎しみ合いとなる。
だってどちらも勝とうとするし、そのために相手を蹴落とそうと
するし、どっちかが負ける訳だから。
もちろん本当にケンカしている訳じゃない。
スポーツだからね。
しかし、そういう爽やかなスポーツマンシップに甘えて
相手と向き合って「お前には勝たせない!」って態度が
取れない人は絶対そこから上には這い上がれないし、
バカにされるし、なめられるのだ。
もし強い対戦相手からチャンスを掴み、そして勝ち星が
目の前に見えても相手にしっかり嫌われる覚悟を持って
「嫌いで結構!」
という精神を持てるようにしないとね。
相手に好かれようなんて思ったら終わりです。
ん?そうやって考えたこと無い?
俺は試合中、相手選手のことを嫌いって思うことが
殆どだったよ。
いや、もっと違った表現をすると、「憎たらしい」という
存在だね。
どんなに仲の良い選手と対戦したとしてもポイント
取られたら悔しいし、「コノヤロー」って思ってしまう。
心穏やかにプレー出来る時って結局、大幅リードしていて、
しかも相手選手のやる気も無くなり、こっちがただ繋いでりゃ
簡単にミスをしてくれる、そんな状態になった時くらい。
でもそんな時は間違いなく相手選手はこっちのことを
「アノヤロー」ってハラワタ煮えくり返っていることが多い。
とにかく試合ってものは互いに憎しみ合って戦うこと。
だって勝ちたいのに相手が邪魔してくるスポーツなんだから、
憎たらしくなるのが普通でしょ?
でも、大量リードで勝ちがほぼ決まっている状態じゃなくても
心穏やかにプレー出来る時がある。
それは相手を認めてしまっている時。
「やはりあなたは私より強いです。完敗です!」って感じ。
そう、もう勝ちを諦めた時なんだよね。
例えば初戦でナンバー1シードの選手と対戦することになったとしよう。
優勝候補であるナンバー1シードに対して、こちらは初戦も
勝てるかどうか怪しいというレベル差だったら当然、序盤に圧倒的な
試合展開で大量リードをシード選手にされても腹が立たないどころか、
「さすが!」って拍手まで送りたくなってしまうのだ。
でもここで諦めずに「どうやったら勝てるだろう」って考える
ことが出来て何か策を講じることが出来たら、その瞬間から
何かが変わるはず。
もちろんそのまま0−6で敗退することもあるけど、そこから
相手のリズムが狂って、こっちの調子が上がって・・・という
パターンを期待するなら、「コノヤロー」って気持ちになるはず。
でもそういう「考えられる選手」になって、「逆転大金星テニス」を
誰もが目指せるかと言うと、実はそれも難しい。
そういう展開を避けてしまうことって実は多いのだ。
なぜかと言うと、ナンバー1シードがノーマークの選手に
大逆転されそう・・・という展開になったとしよう。
そうなると試合内容は絶対泥沼化しているはずなんだよ。
そうなると、試合中ナンバー1シードの選手は、イライラしながら
凄い形相でこっちを見てくるだろう。
追いつかれた悔しさもあるけど、何よりこんなレベル差の選手と
競っている自分にも腹が立っている。
とにかく屈辱的に感じるんだよ。
こっちのことが憎たらしくて仕方が無いって思うのだ。
そんな「憎たらしいって思われる」ことに耐えられる?
耐えられない人はついつい大量リードされた時点で相手の強さを
認めて、そのまま何事も相手と一悶着起こさないようしながら
試合を終わらせてしまう道を選んでしまうのだ。
だって、そこから追いついたとしよう。
すると、ちょっと怪しいジャッジに対し
「今のホントにアウトなの!?」
なんて凄い剣幕て抗議してくるだろうし、ボレーにいれば
スマッシュなんかもぶつけてくるかもしれない。
ボールを渡す時も、意地悪で取りにくい強さで打ってくるしね。
とにかく「あなたが嫌い」という態度をとことん見せつけて
くるだろうね。
そんな嫌ってくる上位の選手に対して「嫌いで結構!」という
態度をちゃんと取れる選手は、そういう場面から逃げないで
自分のプレーのリズムを崩さないでいられるのだ。
ここで「相手に憎まれる」ことを恐れたり、挙げ句の果てに
「いやいや、私はあなたを尊敬してます」「嫌いにならないで」
なんて態度を見せることで、強い相手の憎悪から逃げる人は
チャンスを逃してしまうんだよ。
そんな人はアウトしたのに、ついつい「入ってました」って
言ってしまったり、ボレーなんかで仕掛けられたら、
すぐに勝負してしまってミスをどんどんプレゼントしたりする。
最悪なのは相手が怪しいジャッジをしても「いや、文句ないです」
って感じで大人しくなって抗議出来なくなる。
対戦相手との争いを避けて相手と平和的にプレーを選択する選手に
勝利なんてあり得ないんだよね。
とにかく試合は相手との憎しみ合いとなる。
だってどちらも勝とうとするし、そのために相手を蹴落とそうと
するし、どっちかが負ける訳だから。
もちろん本当にケンカしている訳じゃない。
スポーツだからね。
しかし、そういう爽やかなスポーツマンシップに甘えて
相手と向き合って「お前には勝たせない!」って態度が
取れない人は絶対そこから上には這い上がれないし、
バカにされるし、なめられるのだ。
もし強い対戦相手からチャンスを掴み、そして勝ち星が
目の前に見えても相手にしっかり嫌われる覚悟を持って
「嫌いで結構!」
という精神を持てるようにしないとね。
相手に好かれようなんて思ったら終わりです。
お調子者へ
[考え方] 投稿日時:2013/09/09(月) 14:45
手応えはあるんだけどポイントが取れない。
悪くなかったのに勝てなかった。
そういう時ってあるよね。
調子が良くなかった、プレーがイマイチだったと
いうのなら反省するし、修正もしやすい。
だけど、調子は悪くない、やっていることも
おおよそ出来ていた・・・となると、自分の何を
変えて行けば良いのか分からなくなる。
そういう人にありがちなのは、ワンパターンなプレー
なんだよね。
「今日はフォアハンドストロークが凄い調子良い!!」
そう思っていたら、当然相手も
「今日、相手のフォアハンドが調子良さそうだ・・・」って
警戒するわけだから、最初にフォアハンドでポイント取れたと
しても相手は威力もコースも読んで警戒している以上
なかなか同じパターンでポイントを取り続けて「勝利」まで
辿り着くのは難しいんだよ。
よっぽど相手を圧倒出来るショット持っているか、相手の
学習能力が無い場合は別だけど、やっぱり調子良いからって
調子に乗って同じことを繰り返すプレーは考えないといけない。
じゃあ「今日このショットが調子良い」って感じた人は
どうすればいいのだろう。
パターンは色々あるけど、その調子の良さで自分の持っている
一番速いスピードと得意なコースを早々に覚えられている
可能性があるので、まず、例えばフォアハンドが調子良いのであれば
フォアでゆっくりのショットを打つ機会を増やして、タイミングを
狂わせたり、速いショットのリズムを忘れさせることが必要。
もちろん得意なコースを忘れさせることもやっておかないとね。
平凡なコースに淡々と打って長いラリーを続ける・・・なんて
プレーは相手に平凡なショットのスピードとコースをイメージさせる
絶好の機会となるのだよ。
そうすることで相手は、こっちが今日調子の良いフォアハンドを
次に打つ時の警戒を緩めてしまうから、また使用した時の効果も
期待出来るというわけだ。
でもなかなかそう上手く行くばかりじゃない。
やっぱり相手は心のどこかで覚えていて、フォアハンドの得意な
コースや最高のスピードを急に混ぜたとしても、ちゃんと
対応してくることがある。
レベルが上がって相手の学習能力や対応力が上がってくると
こういう相手が常となってくる。
そういう場合、その調子のいい得意ショットは「決め」のショット
ではなく、「崩す」ショットになるのだ。
試合開始直後はこちらのショットを知らない相手から、
得意ショットで決めることが出来ていた。
でも相手はそれを学習してスピードやコースを読んで
「何とか返そう」と対応してくるようになる。
でもそれで返球出来るようになったとしても、良いショットには
変わりないので、返すだけ・・・だったりするんだよね。
ということは、その返球してくるショットを次に狙って
いればいいってことだ。
例えば先ほどのフォアハンドストロークが調子良い
人は、序盤フォアハンドだけで決めていたのを後半は
フォアハンドを打った後にネットへ出てボレーで狙うとか
ドロップショットが得意な人は、ドロップショット&ロブの
組み合わせにするとか、ビッグサーバーの人は
サーブ&フォアハンドの打ち込みにする・・・って感じだね。
そして、この「得意ショット+α」が出来上がると、相手は
得意ショットの対応がより厳しく求められるから、そこから
「ミス」というものが生まれやすくなるんだよ。
その展開になると楽にポイントが取りやすくなる。
テニスは最後の1ポイント以外は「次がある」スポーツ。
調子がいい、手応えがある・・・と思っても、それなら相手は
どう対処してくるのかを考えないといけない。
試合を振り返るコメントも「調子良かったけど負けちゃった」とか
「自分のやりたい方向は合っていたんだけど」なんてことを
毎回言っているようだとダメだよ。
「調子良かったけど、相手がこう対応してきたから、それに
対してこういうことをしてやった。」
ってここまで言える人じゃないと勝利に繋がらない。
調子良いだけじゃ勝負は勝てない。
単なるお調子者にならないようにね。
悪くなかったのに勝てなかった。
そういう時ってあるよね。
調子が良くなかった、プレーがイマイチだったと
いうのなら反省するし、修正もしやすい。
だけど、調子は悪くない、やっていることも
おおよそ出来ていた・・・となると、自分の何を
変えて行けば良いのか分からなくなる。
そういう人にありがちなのは、ワンパターンなプレー
なんだよね。
「今日はフォアハンドストロークが凄い調子良い!!」
そう思っていたら、当然相手も
「今日、相手のフォアハンドが調子良さそうだ・・・」って
警戒するわけだから、最初にフォアハンドでポイント取れたと
しても相手は威力もコースも読んで警戒している以上
なかなか同じパターンでポイントを取り続けて「勝利」まで
辿り着くのは難しいんだよ。
よっぽど相手を圧倒出来るショット持っているか、相手の
学習能力が無い場合は別だけど、やっぱり調子良いからって
調子に乗って同じことを繰り返すプレーは考えないといけない。
じゃあ「今日このショットが調子良い」って感じた人は
どうすればいいのだろう。
パターンは色々あるけど、その調子の良さで自分の持っている
一番速いスピードと得意なコースを早々に覚えられている
可能性があるので、まず、例えばフォアハンドが調子良いのであれば
フォアでゆっくりのショットを打つ機会を増やして、タイミングを
狂わせたり、速いショットのリズムを忘れさせることが必要。
もちろん得意なコースを忘れさせることもやっておかないとね。
平凡なコースに淡々と打って長いラリーを続ける・・・なんて
プレーは相手に平凡なショットのスピードとコースをイメージさせる
絶好の機会となるのだよ。
そうすることで相手は、こっちが今日調子の良いフォアハンドを
次に打つ時の警戒を緩めてしまうから、また使用した時の効果も
期待出来るというわけだ。
でもなかなかそう上手く行くばかりじゃない。
やっぱり相手は心のどこかで覚えていて、フォアハンドの得意な
コースや最高のスピードを急に混ぜたとしても、ちゃんと
対応してくることがある。
レベルが上がって相手の学習能力や対応力が上がってくると
こういう相手が常となってくる。
そういう場合、その調子のいい得意ショットは「決め」のショット
ではなく、「崩す」ショットになるのだ。
試合開始直後はこちらのショットを知らない相手から、
得意ショットで決めることが出来ていた。
でも相手はそれを学習してスピードやコースを読んで
「何とか返そう」と対応してくるようになる。
でもそれで返球出来るようになったとしても、良いショットには
変わりないので、返すだけ・・・だったりするんだよね。
ということは、その返球してくるショットを次に狙って
いればいいってことだ。
例えば先ほどのフォアハンドストロークが調子良い
人は、序盤フォアハンドだけで決めていたのを後半は
フォアハンドを打った後にネットへ出てボレーで狙うとか
ドロップショットが得意な人は、ドロップショット&ロブの
組み合わせにするとか、ビッグサーバーの人は
サーブ&フォアハンドの打ち込みにする・・・って感じだね。
そして、この「得意ショット+α」が出来上がると、相手は
得意ショットの対応がより厳しく求められるから、そこから
「ミス」というものが生まれやすくなるんだよ。
その展開になると楽にポイントが取りやすくなる。
テニスは最後の1ポイント以外は「次がある」スポーツ。
調子がいい、手応えがある・・・と思っても、それなら相手は
どう対処してくるのかを考えないといけない。
試合を振り返るコメントも「調子良かったけど負けちゃった」とか
「自分のやりたい方向は合っていたんだけど」なんてことを
毎回言っているようだとダメだよ。
「調子良かったけど、相手がこう対応してきたから、それに
対してこういうことをしてやった。」
ってここまで言える人じゃないと勝利に繋がらない。
調子良いだけじゃ勝負は勝てない。
単なるお調子者にならないようにね。
テニスってこんなスポーツ
[考え方] 投稿日時:2013/08/21(水) 06:48
テニスってどんなスポーツ?
そう聞かれるとどう答えるだろう。
「どんな人間であろうと、相手に勝つ可能性が
残されているワクワクするスポーツ」と答えるかな。
攻撃力が無くても粘って勝つことも出来るし、戦術で勝つ
こともあるし、とにかくレベル差あってもひっくり返すことが
可能なスポーツだからね。
それから色んな攻め方や守り方、またその組み合わせパターンが
無限にあること、そしてそこからプレーをチョイスして何ポイントも
積み重ねながら勝利を追い求めるというのも、それぞれの個性や
人格が反映されるので、
「自分らしさを表現出来るスポーツ」とも言える。
またそれをネット挟んだ相手と向き合って自己アピールをして
見せつけないといけないので、結果的には
「相手とコミュニケーションを取れるスポーツ」とも言えるね。
これらの要素を感じないでテニスをしていると、テニスの魅力は
半減してしまうどころか、勝てないテニスになってしまうんだよ。
強い相手を前にした時、その強さをどう崩そうか考えるワクワク感や
弱い相手に手堅く勝つ方法を探るドキドキ感を感じないと人は
チャンスを逃したりピンチをスルーしたりしてしまう。
試合中に脳みそフル回転で自分のアイデアを絞り出したり、
ポリシーを主張したりすることが出来ないとスコアに惑わされたり
相手のテニスに翻弄されてしまいやすい。
相手とのコミュニケーションが取れないと、独りよがりなプレーに
走ってしまうし、相手も苦しい状況にあることに気付かなかったり
するんだよ。
でもまだテニスを始めたばかりの頃や、試合に出始めの人は
こういうことに気が付かないどころか、勘違いしている場合が多い。
もちろん俺も昔はそうだったからね。
「テニスは相手と打ち合って、相手を打ち負かすスポーツ」
そう考えている人って多いんじゃないかな?
テニスが上手い人の試合を観ていると、確かに相手を打ち負かしている。
でも実はそれは正解でもあるけど不正解でもあるんだよ。
そもそも相手を打ち負かすショットなんて、試合の中のショットの
ほんの数%なんだよ。
ただそれを見た時の印象が強いから、その打ち負かしたポイントの印象が
強かっただけで、実はそのショット以外にもっと地味なプレーもあったはず。
そこのところをちゃんと見ておかないと、テニスの本当の面白さが
見えてこないのだ。
もちろん、バシっとエースを決めた時の快感や、ボレーや
ドロップショットを仕掛けて上手くいった時の楽しさもあるけど、
「誰にでもチャンスがある」
「自分らしさを表現出来る」
「相手とコミュニケーションが取れる」
というこの3つがプレーのベースに無いと、何ポイントもこなし続ける
テニスというスポーツで戦い続けるには、精神的にも戦術的にも
厳しいんだよ。
初心者や試合経験が浅い人にはなかなかそういったことを
感じてもらうのは難しいと思うけど、是非このことを頭の片隅にでも
置いておいてもらいたいもんだ。
そう聞かれるとどう答えるだろう。
「どんな人間であろうと、相手に勝つ可能性が
残されているワクワクするスポーツ」と答えるかな。
攻撃力が無くても粘って勝つことも出来るし、戦術で勝つ
こともあるし、とにかくレベル差あってもひっくり返すことが
可能なスポーツだからね。
それから色んな攻め方や守り方、またその組み合わせパターンが
無限にあること、そしてそこからプレーをチョイスして何ポイントも
積み重ねながら勝利を追い求めるというのも、それぞれの個性や
人格が反映されるので、
「自分らしさを表現出来るスポーツ」とも言える。
またそれをネット挟んだ相手と向き合って自己アピールをして
見せつけないといけないので、結果的には
「相手とコミュニケーションを取れるスポーツ」とも言えるね。
これらの要素を感じないでテニスをしていると、テニスの魅力は
半減してしまうどころか、勝てないテニスになってしまうんだよ。
強い相手を前にした時、その強さをどう崩そうか考えるワクワク感や
弱い相手に手堅く勝つ方法を探るドキドキ感を感じないと人は
チャンスを逃したりピンチをスルーしたりしてしまう。
試合中に脳みそフル回転で自分のアイデアを絞り出したり、
ポリシーを主張したりすることが出来ないとスコアに惑わされたり
相手のテニスに翻弄されてしまいやすい。
相手とのコミュニケーションが取れないと、独りよがりなプレーに
走ってしまうし、相手も苦しい状況にあることに気付かなかったり
するんだよ。
でもまだテニスを始めたばかりの頃や、試合に出始めの人は
こういうことに気が付かないどころか、勘違いしている場合が多い。
もちろん俺も昔はそうだったからね。
「テニスは相手と打ち合って、相手を打ち負かすスポーツ」
そう考えている人って多いんじゃないかな?
テニスが上手い人の試合を観ていると、確かに相手を打ち負かしている。
でも実はそれは正解でもあるけど不正解でもあるんだよ。
そもそも相手を打ち負かすショットなんて、試合の中のショットの
ほんの数%なんだよ。
ただそれを見た時の印象が強いから、その打ち負かしたポイントの印象が
強かっただけで、実はそのショット以外にもっと地味なプレーもあったはず。
そこのところをちゃんと見ておかないと、テニスの本当の面白さが
見えてこないのだ。
もちろん、バシっとエースを決めた時の快感や、ボレーや
ドロップショットを仕掛けて上手くいった時の楽しさもあるけど、
「誰にでもチャンスがある」
「自分らしさを表現出来る」
「相手とコミュニケーションが取れる」
というこの3つがプレーのベースに無いと、何ポイントもこなし続ける
テニスというスポーツで戦い続けるには、精神的にも戦術的にも
厳しいんだよ。
初心者や試合経験が浅い人にはなかなかそういったことを
感じてもらうのは難しいと思うけど、是非このことを頭の片隅にでも
置いておいてもらいたいもんだ。
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