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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出
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偽サントロ君から学んだこと
[過去の思い出] 投稿日時:2012/06/19(火) 16:19
スペインで選手活動をした時に本拠地としていた
アカデミーは、世界各国から色んな選手が集まる
大きなアカデミーだった。
だからスペイン語や英語はもちろんのこと、ロシア語
フランス語、イタリア語、日本語、中国語、ドイツ語と
色んな言葉が飛び交っていた。
国が変われば人も変わる。
ましてや皆やる気満々で自国を飛び出してきた人達
ばかりだから、面白いというか変わった人間も多かった。
でも共通しているのは、人にどう評価されようが自分の
テニスの才能に疑いを一切持たないってことだね。
自分の信じたテニスを貫き通す信念は尊敬するほど。
それが真の才能であれば良いけど、ちょっと間違ったテニスを
している場合はコーチも色々大変だったよ。
そんな変わった選手の中に、サントロと呼ばれていた
フランス人の男の子がいた。
当時彼の年齢は17才。
あだ名の通り、フランス人選手のサントロを尊敬していて
打ち方やプレースタイルを真似して頑張っていたんだけど
見た目は長髪&濃い口髭でサントロ選手とは似ても似つかない。
天才的な柔らかいタッチのサントロ選手の打ち方は
一般的にも難しいのに、偽サントロ君は人一倍体が固いし
リストの使い方も不安定。
サントロ選手の代名詞的な両手フォアハンドなんかも、片手の
方がスムーズに打てるくせして、両手フォアを練習し続けていた。
そんな彼のテニスを皆、小馬鹿にしていた。
打ち方もフットワークも全然センスが感じられないのに
サントロをとことん真似しようとしている事が滑稽に見えたのだ。
でもタッチも柔らかくないし、フットワークもスムーズじゃない
偽サントロ君は、どんなにコーチ達が違うテニスを勧めても
頑としてサントロ選手の真似をし続けるくらい頑固だから
一つ皆より抜きん出ているものがあった。
それは「負けたくない」という気持ち。
試合になると彼の「絶対諦めない」という思いは
普段彼のことを小馬鹿にしていた他の選手たちを結構苦しめた。
本物のサントロ選手は追い込まれた状態から、絶妙なタッチで
カウンターのパスを抜いたりするが、こっちの偽サントロ君は
ドタドタとしたフットワークだし、追い込まれたらただ当てて深く
返し続けるだけ。
だけど、絶対諦めたりしないしキレて試合を投げたりもしない。
相手選手も普段バカにしていた分、
「こいつには勝たないと!」っていうプレッシャーを抱えて
しまっているから、なかなかミスしないで返球し続ける
偽サントロ君にイライラが募る。
またそのロン毛と胡散臭い口髭が余計に苛立たせている感じ。
そして最後は相手が先にキレて、偽サントロ君の粘り勝ち
というパターンで終わるのだ。
俺は何度か打ち合ったことはあったけど、試合では一度も
対戦したことないし、練習クラスも基本的には違うから、
マッチ練習もしたことない。
でもアカデミーでは「サントーロ!今日の調子はどう?」とか
声を掛けたくなるんだよ。
他の強い選手達も面白がって
「サントーロ~!!どう?フォアの調子は!」
って彼に話しかけていた。
アカデミーでは有名人だったね。
恐らく彼のあの実力では、その後世界ランキング取って
活躍・・・はしなかっただろうね。
でもあのアカデミーで頑張っていた選手を色々思い出すと
センス溢れる世界デビューした選手たちに混じって
偽サントロ君も俺の頭の中には残っているんだよ。
彼のフランス語が半分くらい混ざった英語と、左手が不必要に
感じるくらい不器用な両手フォアハンド、そして胡散臭い髪型と髭。
彼を思い出すたびに、人間、何をすればその存在が認められるのか
分からないもんだ・・・って思う。
テニスの結果は大して残してはいないが、信念を人とは違った
形で貫き通すと、多くの人間の中にその人の存在が生まれる
ということを教えてもらった気がする。
多分、彼はその才能をテニスじゃなくて違う面で発揮させている
ことだろう。
ところで、彼の本名って何だったんだろう。
うーん、名前聞いておけば良かった。
アカデミーは、世界各国から色んな選手が集まる
大きなアカデミーだった。
だからスペイン語や英語はもちろんのこと、ロシア語
フランス語、イタリア語、日本語、中国語、ドイツ語と
色んな言葉が飛び交っていた。
国が変われば人も変わる。
ましてや皆やる気満々で自国を飛び出してきた人達
ばかりだから、面白いというか変わった人間も多かった。
でも共通しているのは、人にどう評価されようが自分の
テニスの才能に疑いを一切持たないってことだね。
自分の信じたテニスを貫き通す信念は尊敬するほど。
それが真の才能であれば良いけど、ちょっと間違ったテニスを
している場合はコーチも色々大変だったよ。
そんな変わった選手の中に、サントロと呼ばれていた
フランス人の男の子がいた。
当時彼の年齢は17才。
あだ名の通り、フランス人選手のサントロを尊敬していて
打ち方やプレースタイルを真似して頑張っていたんだけど
見た目は長髪&濃い口髭でサントロ選手とは似ても似つかない。
天才的な柔らかいタッチのサントロ選手の打ち方は
一般的にも難しいのに、偽サントロ君は人一倍体が固いし
リストの使い方も不安定。
サントロ選手の代名詞的な両手フォアハンドなんかも、片手の
方がスムーズに打てるくせして、両手フォアを練習し続けていた。
そんな彼のテニスを皆、小馬鹿にしていた。
打ち方もフットワークも全然センスが感じられないのに
サントロをとことん真似しようとしている事が滑稽に見えたのだ。
でもタッチも柔らかくないし、フットワークもスムーズじゃない
偽サントロ君は、どんなにコーチ達が違うテニスを勧めても
頑としてサントロ選手の真似をし続けるくらい頑固だから
一つ皆より抜きん出ているものがあった。
それは「負けたくない」という気持ち。
試合になると彼の「絶対諦めない」という思いは
普段彼のことを小馬鹿にしていた他の選手たちを結構苦しめた。
本物のサントロ選手は追い込まれた状態から、絶妙なタッチで
カウンターのパスを抜いたりするが、こっちの偽サントロ君は
ドタドタとしたフットワークだし、追い込まれたらただ当てて深く
返し続けるだけ。
だけど、絶対諦めたりしないしキレて試合を投げたりもしない。
相手選手も普段バカにしていた分、
「こいつには勝たないと!」っていうプレッシャーを抱えて
しまっているから、なかなかミスしないで返球し続ける
偽サントロ君にイライラが募る。
またそのロン毛と胡散臭い口髭が余計に苛立たせている感じ。
そして最後は相手が先にキレて、偽サントロ君の粘り勝ち
というパターンで終わるのだ。
俺は何度か打ち合ったことはあったけど、試合では一度も
対戦したことないし、練習クラスも基本的には違うから、
マッチ練習もしたことない。
でもアカデミーでは「サントーロ!今日の調子はどう?」とか
声を掛けたくなるんだよ。
他の強い選手達も面白がって
「サントーロ~!!どう?フォアの調子は!」
って彼に話しかけていた。
アカデミーでは有名人だったね。
恐らく彼のあの実力では、その後世界ランキング取って
活躍・・・はしなかっただろうね。
でもあのアカデミーで頑張っていた選手を色々思い出すと
センス溢れる世界デビューした選手たちに混じって
偽サントロ君も俺の頭の中には残っているんだよ。
彼のフランス語が半分くらい混ざった英語と、左手が不必要に
感じるくらい不器用な両手フォアハンド、そして胡散臭い髪型と髭。
彼を思い出すたびに、人間、何をすればその存在が認められるのか
分からないもんだ・・・って思う。
テニスの結果は大して残してはいないが、信念を人とは違った
形で貫き通すと、多くの人間の中にその人の存在が生まれる
ということを教えてもらった気がする。
多分、彼はその才能をテニスじゃなくて違う面で発揮させている
ことだろう。
ところで、彼の本名って何だったんだろう。
うーん、名前聞いておけば良かった。
お蕎麦屋ホームステイ
[過去の思い出] 投稿日時:2012/06/14(木) 13:25
現役の頃は月に2大会くらいのペースで
大会に出場していた。
大会はだいたい月曜日からスタートして決勝は
土曜日というパターン。
だからずっと勝ち残るとその分もらえる賞金は
多くなるけど、宿泊費などの滞在費もかかるんだよ。
賞金額が低い大会なんか、早めに負けてレッスンに
戻った方が良いくらい。
それでもランキングを上げるためのポイントを
上げるためにも、選手としてのプライドのためにも
出場し続けなきゃいけない。
その代わり、いかに滞在費を低く抑えるかが大事に
なってくる。
家から通える範囲の大会、これが一番だね。
宿泊費が掛からない。
でもそういう考えを持っている人って多いから、けっこう
参加選手が多くなって賞金の割にはレベルが高かったり
してしまう。
そこで狙い目の地方の大会に行きたいんだけど、
そうなると宿泊費が・・・。
選手の中には車中泊で頑張る人もいたけど、俺は
どうも夜中外が気になって眠れなかったこともあり
遠征中の車中泊は一度はやったけどダメ。
インターネットカフェで泊まってみたこともあるが、あれも
24時間営業だから当然24時間誰かが周りをウロウロ
していて眠れなかった。
そんだけ気を遣うんだったらちゃんとホテルに
泊まってぐっすり眠り、美味しい朝ごはんをそこで
食べたほうが身も心もリラックス出来ていい結果も出る。
宿泊費ケチッた代わりに戦績悪かったら意味ないからね。
でも何かいい方法ないかなって思って、よく遠征先が
決まったら色んな知人にダメ元で
「俺を泊めてくれる家、無いかな・・・」って聞いたもんだよ。
そうするとたまにあるのだ。
そうやって知り合いに紹介してもらって、大会期間中ずっと
泊めてもらってご飯までご馳走になることも多かった。
そういうのは本当に助かりました。
その中で一番印象的だったのは、山梨県のお蕎麦屋さん。
山梨で大会に出場するときには、知り合いに紹介してもらった
そのお蕎麦屋さんに毎回泊まらせてもらっていた。
年数回開催している山梨のその大会は、良質のクレーコート
だったから、俺の得意なサーフェイスだったし、大会運営も
きっちりしているからとても気に入っていた。
加えて、宿泊もまかないも完備だから精神状態も身体も
最高な状態が維持出来たから、毎日しっかり良いプレーを
することが出来たんだよ。
試合は朝からスタートするので、だいたい午前中には
終わってしまう。
午後からは練習とトレーニングをやるんだけど
5時頃には終わるから、それからお蕎麦屋さんに帰る。
そうすると「おーい、これ食っとけ!」といきなり
打ち立て茹でたてのおろし蕎麦なんかを食べさせてもらい、
一息ついたらお店の手伝い・・・というパターン。
皿洗いとかお客さんに料理を運んだりと、働くのだ。
でもそういうことは楽しかったし、その後にまたドーンと
ご馳走を食べさせてもらえたから、手伝いは苦じゃなかった。
むしろ、それがあるから心置きなく泊まらせてもらえた。
そんな環境もあって、選手生活の中での戦績は
この山梨での大会が圧倒的に良い。
優勝2回、準優勝も2回。
ただ、夜はそのお蕎麦屋の古民家に独り取り残されるのが
怖かったけど、とにかく遠征中に自分の居場所があり、ちゃんと
一週間そこで心地よく過ごせることが戦績を出すためには
大事なことだと感じたよ。
それにしても、あのお蕎麦屋で過ごす山梨遠征は
楽しかったなぁ。
大会に出場していた。
大会はだいたい月曜日からスタートして決勝は
土曜日というパターン。
だからずっと勝ち残るとその分もらえる賞金は
多くなるけど、宿泊費などの滞在費もかかるんだよ。
賞金額が低い大会なんか、早めに負けてレッスンに
戻った方が良いくらい。
それでもランキングを上げるためのポイントを
上げるためにも、選手としてのプライドのためにも
出場し続けなきゃいけない。
その代わり、いかに滞在費を低く抑えるかが大事に
なってくる。
家から通える範囲の大会、これが一番だね。
宿泊費が掛からない。
でもそういう考えを持っている人って多いから、けっこう
参加選手が多くなって賞金の割にはレベルが高かったり
してしまう。
そこで狙い目の地方の大会に行きたいんだけど、
そうなると宿泊費が・・・。
選手の中には車中泊で頑張る人もいたけど、俺は
どうも夜中外が気になって眠れなかったこともあり
遠征中の車中泊は一度はやったけどダメ。
インターネットカフェで泊まってみたこともあるが、あれも
24時間営業だから当然24時間誰かが周りをウロウロ
していて眠れなかった。
そんだけ気を遣うんだったらちゃんとホテルに
泊まってぐっすり眠り、美味しい朝ごはんをそこで
食べたほうが身も心もリラックス出来ていい結果も出る。
宿泊費ケチッた代わりに戦績悪かったら意味ないからね。
でも何かいい方法ないかなって思って、よく遠征先が
決まったら色んな知人にダメ元で
「俺を泊めてくれる家、無いかな・・・」って聞いたもんだよ。
そうするとたまにあるのだ。
そうやって知り合いに紹介してもらって、大会期間中ずっと
泊めてもらってご飯までご馳走になることも多かった。
そういうのは本当に助かりました。
その中で一番印象的だったのは、山梨県のお蕎麦屋さん。
山梨で大会に出場するときには、知り合いに紹介してもらった
そのお蕎麦屋さんに毎回泊まらせてもらっていた。
年数回開催している山梨のその大会は、良質のクレーコート
だったから、俺の得意なサーフェイスだったし、大会運営も
きっちりしているからとても気に入っていた。
加えて、宿泊もまかないも完備だから精神状態も身体も
最高な状態が維持出来たから、毎日しっかり良いプレーを
することが出来たんだよ。
試合は朝からスタートするので、だいたい午前中には
終わってしまう。
午後からは練習とトレーニングをやるんだけど
5時頃には終わるから、それからお蕎麦屋さんに帰る。
そうすると「おーい、これ食っとけ!」といきなり
打ち立て茹でたてのおろし蕎麦なんかを食べさせてもらい、
一息ついたらお店の手伝い・・・というパターン。
皿洗いとかお客さんに料理を運んだりと、働くのだ。
でもそういうことは楽しかったし、その後にまたドーンと
ご馳走を食べさせてもらえたから、手伝いは苦じゃなかった。
むしろ、それがあるから心置きなく泊まらせてもらえた。
そんな環境もあって、選手生活の中での戦績は
この山梨での大会が圧倒的に良い。
優勝2回、準優勝も2回。
ただ、夜はそのお蕎麦屋の古民家に独り取り残されるのが
怖かったけど、とにかく遠征中に自分の居場所があり、ちゃんと
一週間そこで心地よく過ごせることが戦績を出すためには
大事なことだと感じたよ。
それにしても、あのお蕎麦屋で過ごす山梨遠征は
楽しかったなぁ。
やっと見つけたナイスダブルス
[過去の思い出] 投稿日時:2012/06/11(月) 15:58
現役の頃、試合と言えばシングルスが
メインだったんだけど、出来る限りダブルスも
出場して、単複共に頑張ろうと思った。
でも決まったパートナーはいなかったから、その都度
いろんな選手に声を掛けて出場。
いろんな選手と組ませてもらったけど、当時まだ
ダブルスが下手くそだった俺が一番「組みやすい!」って
思ったのが当時、筑波大学の学生選手だった井上選手。
まず彼の何が良かったかと言うと、そんなにテニスが
上手いわけじゃないところ。
あまりに華麗でセンスの良すぎるパートナーだと
一緒に組んでいて付いていけなくなるとか、自分の
下手さが露呈されて相手ペアに狙われたり、劣等感に
苛まれたりするけど、彼のテニスは一言で言うと
「泥臭い」テニスでそれが一緒に組んでて心地よいのだ。
かと言って弱い選手じゃない。
上手くはないけど強いんだよ。
シングルスなんか俺よりもずっと上のランキングだったし
ダブルスも戦い方をちゃんと知っている。
ただショットの質で勝負というより、足を使って
相手ショットを拾いまくったり、動いて相手にプレッシャーを
与えたりするのだ。
それによって相手プレーヤーは混乱に陥る。
やりにくい相手と対戦したとしても、井上選手と組むと
思っていたよりも相手が実力発揮できず、意外と
やりやすかったことも多かった。
そして極めつけは彼が俺に試合中に
何度も言ったコメント。
「相手のショット、どこに打たれても僕が拾うので、
高西さんは思い切ってやって下さい。」
ま、俺より年下で足があって実力も上なんだから、
最初からそのつもりではあったが、本人の口から
しっかり宣言されると
「そう?じゃあ、思い切ってやらせてもらうよ」
と気持ちよくプレーすることが出来たんだよ。
ま、もともと俺もパワーより安定感がウリだったから、
ミスは少ないほうだったけど、彼と組んだらホントに
手堅くプレー出来るんだよ。
これがもし、「高西さん、もっとこうして下さい」とか
「僕はこういうダブルスしたいから、ここに打ってください」
なんて指図ばっかりのパートナーだったらちょっと
俺は萎縮してダメになってたかもね。
でもそれまではそういうことを言うパートナーも
多かったんだよ。
もちろんそれも正論が殆どだから、出来るだけ俺も
それに従うんだけど、ダメだったことが多かったかな。
彼の「サポートします!」的なパートナーへのコメント、
そしてゆっくりだけど、的確にコース選びする配球パターン、
足を使ったプレッシャー、それら全てが
「うん、ダブルスってこれなんだ!」って思わせてくれた。
井上選手と出場したのは1大会だけだったけど、
その大会で一緒に3試合ほど戦って見せてもらった
彼のダブルスは、結構その後俺の中で影響を及ぼし
今日まで続いている。
ま、彼よりももっとダブルスが上手い選手は多いけど
彼ほど自分の実力をちゃんと出し切れる選手はそう
いないんじゃないかな?
そんな自分の実力を出し切る方法を教わった気がする。
もちろん、今でもダブルスする時、パートナーには
「俺がちゃんと守るから、安心して思い切りやろう!」って
コメントも真似させてもらっている。
たまに細かく支持出し過ぎることもあるけどね・・・。
メインだったんだけど、出来る限りダブルスも
出場して、単複共に頑張ろうと思った。
でも決まったパートナーはいなかったから、その都度
いろんな選手に声を掛けて出場。
いろんな選手と組ませてもらったけど、当時まだ
ダブルスが下手くそだった俺が一番「組みやすい!」って
思ったのが当時、筑波大学の学生選手だった井上選手。
まず彼の何が良かったかと言うと、そんなにテニスが
上手いわけじゃないところ。
あまりに華麗でセンスの良すぎるパートナーだと
一緒に組んでいて付いていけなくなるとか、自分の
下手さが露呈されて相手ペアに狙われたり、劣等感に
苛まれたりするけど、彼のテニスは一言で言うと
「泥臭い」テニスでそれが一緒に組んでて心地よいのだ。
かと言って弱い選手じゃない。
上手くはないけど強いんだよ。
シングルスなんか俺よりもずっと上のランキングだったし
ダブルスも戦い方をちゃんと知っている。
ただショットの質で勝負というより、足を使って
相手ショットを拾いまくったり、動いて相手にプレッシャーを
与えたりするのだ。
それによって相手プレーヤーは混乱に陥る。
やりにくい相手と対戦したとしても、井上選手と組むと
思っていたよりも相手が実力発揮できず、意外と
やりやすかったことも多かった。
そして極めつけは彼が俺に試合中に
何度も言ったコメント。
「相手のショット、どこに打たれても僕が拾うので、
高西さんは思い切ってやって下さい。」
ま、俺より年下で足があって実力も上なんだから、
最初からそのつもりではあったが、本人の口から
しっかり宣言されると
「そう?じゃあ、思い切ってやらせてもらうよ」
と気持ちよくプレーすることが出来たんだよ。
ま、もともと俺もパワーより安定感がウリだったから、
ミスは少ないほうだったけど、彼と組んだらホントに
手堅くプレー出来るんだよ。
これがもし、「高西さん、もっとこうして下さい」とか
「僕はこういうダブルスしたいから、ここに打ってください」
なんて指図ばっかりのパートナーだったらちょっと
俺は萎縮してダメになってたかもね。
でもそれまではそういうことを言うパートナーも
多かったんだよ。
もちろんそれも正論が殆どだから、出来るだけ俺も
それに従うんだけど、ダメだったことが多かったかな。
彼の「サポートします!」的なパートナーへのコメント、
そしてゆっくりだけど、的確にコース選びする配球パターン、
足を使ったプレッシャー、それら全てが
「うん、ダブルスってこれなんだ!」って思わせてくれた。
井上選手と出場したのは1大会だけだったけど、
その大会で一緒に3試合ほど戦って見せてもらった
彼のダブルスは、結構その後俺の中で影響を及ぼし
今日まで続いている。
ま、彼よりももっとダブルスが上手い選手は多いけど
彼ほど自分の実力をちゃんと出し切れる選手はそう
いないんじゃないかな?
そんな自分の実力を出し切る方法を教わった気がする。
もちろん、今でもダブルスする時、パートナーには
「俺がちゃんと守るから、安心して思い切りやろう!」って
コメントも真似させてもらっている。
たまに細かく支持出し過ぎることもあるけどね・・・。
スペイン流コーチング?
[過去の思い出] 投稿日時:2012/06/01(金) 11:38
テニスの試合中、基本的にコーチは選手に
アドバイスをしてはいけない。
ま、ちゃんとコーチングが認められていて
ベンチにコーチが入れる試合もあるんだけど
他人のアドバイスなしで戦わないといけないのが
普通だし、それがテニスの厳しいところでもある。
が・・・俺がスペインにいる時、いろんな大会で
試合中にアドバイスするコーチと出会った。
もちろんそれは大会のルールとしては違反
なんだけど、色んなコートで色んなスペイン人コーチが
選手にアドバイスしているのだ。
でもそれは、何というか国民性みたいなものなのかな。
スペイン人のコーチ達は皆、熱心に指導してくれる。
その熱意があまりにも有りすぎて、試合中どうしても
自分が面倒みている選手に問題点が見つかったら
それを指摘せずにはいられない・・・といった感じなのだ。
と同時に、運営側もあんまりそういうことを厳しく
チェックしようとか、アドバイス受けている選手の相手が
「卑怯だ!」みたいな抗議が無いことも国民性というか
習慣化されていて面白かった。
試合中にアドバイスしてしまっているスペイン人コーチ達の
殆どは、さっきも言ったように「言わずにはいられない!」
といった感じでアドバイスしてしまっているから、冷静さを
失ってて、怒りとか苛立ちまで見せてしまっていることが多い。
両手も広げて、一生懸命伝えようとするからもう
周りから「こいつアドバイスしてるな」って丸分かりなんだよね。
俺もスペインで大会に出た時はよく、引率で来てくれた
コーチが、試合中サーブを打とうとする俺に対して、
「ワイドだ、ワイドだ」とばかりに、俺の真正面で「ワイドに流せ」
というジェスチャーを両手使って伝える・・・などの
アドバイスをしょっちゅう受けていた。
そのアドバイスを無視して失敗なんかすると
「だから言っただろう!!なんで言うこと聞かないんだよ!」
的なアピールを更に大げさにジェスチャーしてくるんだよ。
でも選手の中にはそういう試合中のアドバイスに対して
無視するどころか、反論する選手も多かった。
「次はここに打て!!」みたいなアドバイスに対して
「俺はそう思わない!俺はこっちがいい!」なんてのを
堂々と試合中に応援しているコーチのところへ行って、
フェンス越しに言い争いをしているのだ。
でもスペイン人の熱いコーチはそんなことに屈しない。
「いや、俺のやり方を信じろ!こっちの方が良いのだ!」
当然お互いに主張しあった後にその結果が出る。
その結果、やっぱりコーチの方針の方が良かったとなると
益々頑張っちゃってアドバイスをしてしまう。
でもコーチの方針より反論した選手の主張の方が
いい結果が出たとしたら・・・それでもやっぱりコーチは
熱いテンションのまま、大きく身振り手振りしながら、
自分自身が思うテニスを伝え続けるのだ。
もちろんこれらの行為は反則である。
でも、実際試合中にコーチングを受けて
試合をするというのは、かなりプラスなことが多い。
一番伝えなきゃいけない瞬間にアドバイスが出来れば
そのアドバイスの真意が伝わりやすい。
試合後の反省会で言われるよりずっと良い。
でももっとプラスなことは、スペインで見た試合中の
選手対コーチの口論だと思う。
コーチのアドバイスに対して選手が自分のポリシーを
ぶつけて議論し、そしてその直後にどちらが正しいのか
結論が出る・・・という流れは、究極の選手育成の流れだと
思うんだけど。
もちろんこれも反則なんだけど、こういう試合中に
アドバイスするコーチと、それに対して言い返す選手という
やり取りがスペインテニス選手の強さの秘訣かも
しれない。
ところで、他の国でも試合中にアドバイスをする
コーチってたくさんいるのかな?
反則なので実際やったらダメだけど、それくらい試合中に
熱くアドバイスをするコーチとそれに対して自分の考えを
ぶつけられる選手のバランスって面白いと思うよ。
アドバイスをしてはいけない。
ま、ちゃんとコーチングが認められていて
ベンチにコーチが入れる試合もあるんだけど
他人のアドバイスなしで戦わないといけないのが
普通だし、それがテニスの厳しいところでもある。
が・・・俺がスペインにいる時、いろんな大会で
試合中にアドバイスするコーチと出会った。
もちろんそれは大会のルールとしては違反
なんだけど、色んなコートで色んなスペイン人コーチが
選手にアドバイスしているのだ。
でもそれは、何というか国民性みたいなものなのかな。
スペイン人のコーチ達は皆、熱心に指導してくれる。
その熱意があまりにも有りすぎて、試合中どうしても
自分が面倒みている選手に問題点が見つかったら
それを指摘せずにはいられない・・・といった感じなのだ。
と同時に、運営側もあんまりそういうことを厳しく
チェックしようとか、アドバイス受けている選手の相手が
「卑怯だ!」みたいな抗議が無いことも国民性というか
習慣化されていて面白かった。
試合中にアドバイスしてしまっているスペイン人コーチ達の
殆どは、さっきも言ったように「言わずにはいられない!」
といった感じでアドバイスしてしまっているから、冷静さを
失ってて、怒りとか苛立ちまで見せてしまっていることが多い。
両手も広げて、一生懸命伝えようとするからもう
周りから「こいつアドバイスしてるな」って丸分かりなんだよね。
俺もスペインで大会に出た時はよく、引率で来てくれた
コーチが、試合中サーブを打とうとする俺に対して、
「ワイドだ、ワイドだ」とばかりに、俺の真正面で「ワイドに流せ」
というジェスチャーを両手使って伝える・・・などの
アドバイスをしょっちゅう受けていた。
そのアドバイスを無視して失敗なんかすると
「だから言っただろう!!なんで言うこと聞かないんだよ!」
的なアピールを更に大げさにジェスチャーしてくるんだよ。
でも選手の中にはそういう試合中のアドバイスに対して
無視するどころか、反論する選手も多かった。
「次はここに打て!!」みたいなアドバイスに対して
「俺はそう思わない!俺はこっちがいい!」なんてのを
堂々と試合中に応援しているコーチのところへ行って、
フェンス越しに言い争いをしているのだ。
でもスペイン人の熱いコーチはそんなことに屈しない。
「いや、俺のやり方を信じろ!こっちの方が良いのだ!」
当然お互いに主張しあった後にその結果が出る。
その結果、やっぱりコーチの方針の方が良かったとなると
益々頑張っちゃってアドバイスをしてしまう。
でもコーチの方針より反論した選手の主張の方が
いい結果が出たとしたら・・・それでもやっぱりコーチは
熱いテンションのまま、大きく身振り手振りしながら、
自分自身が思うテニスを伝え続けるのだ。
もちろんこれらの行為は反則である。
でも、実際試合中にコーチングを受けて
試合をするというのは、かなりプラスなことが多い。
一番伝えなきゃいけない瞬間にアドバイスが出来れば
そのアドバイスの真意が伝わりやすい。
試合後の反省会で言われるよりずっと良い。
でももっとプラスなことは、スペインで見た試合中の
選手対コーチの口論だと思う。
コーチのアドバイスに対して選手が自分のポリシーを
ぶつけて議論し、そしてその直後にどちらが正しいのか
結論が出る・・・という流れは、究極の選手育成の流れだと
思うんだけど。
もちろんこれも反則なんだけど、こういう試合中に
アドバイスするコーチと、それに対して言い返す選手という
やり取りがスペインテニス選手の強さの秘訣かも
しれない。
ところで、他の国でも試合中にアドバイスをする
コーチってたくさんいるのかな?
反則なので実際やったらダメだけど、それくらい試合中に
熱くアドバイスをするコーチとそれに対して自分の考えを
ぶつけられる選手のバランスって面白いと思うよ。
そうです!私が高西です!
[過去の思い出] 投稿日時:2012/05/28(月) 18:38
高校生の頃、テニスが好きだったか嫌いだったか。
どっちかと言うと嫌いだったかも。
でも厳密の言うと、テニスが嫌いだったのでは無く
試合が嫌いだった。
更に細かく言うと、試合会場が嫌だった。
じゃあ試合会場の何が嫌だったか・・・。
それは父親に関係があるんだよ。
当時、父はテニスが強くて大抵、大阪の
テニス関係者は「高西」と言えば、俺の父のことを
思い出すほど。
だから、大会に出場して受付なんかに行くと
「タカニシ・・・ん?もしかして高西先生の息子さん?」
ってよく言われた。
小学校の先生だった父は皆に「高西先生」と呼ばれて
いたのだが、とにかく俺は試合会場で
「あの高西先生の息子らしい」と言われることが
ホントに嫌だった。
その理由はまず年頃ってことが大きい。
高校生の男子はとにかく親と比較されるのがとても
嫌なので、表面的には「そうなんですよ~」と言いながらも
「めんどくせぇ~」って思ってた。
でも一番の理由は自分のテニスに自信が無かったから。
強くて上手い父のテニスに比べると全くダメだったし、当時は
父と3セットマッチやっても、1,2ゲームしか取れないうえに
その父から超ダメ出しされていたからね。
大会の度にそんな感じで運営の人たちに言われて
いたのだが、とある大会に出場した時のこと、
また受付のおじさんに「高西先生の息子さん?」って
バレてしまった。
しかもそのおじさんが俺の父親のことを
知っている他の参加者の高校生にそれを言ってしまったのだ。
するとその高校生が仲間を連れて俺の試合しているコートへ
見に来たのだ。
「あれが高西先生の息子らしいよ・・・」
「高西先生って?」
「むちゃくちゃテニスが強い人」
「じゃあ息子も強いんやろか?」
そんなヒソヒソ声がしっかりプレー中の俺の耳にも
入ってきたうえに、「何?何?どうしたん?」
ってどんどん人が集まってくるのを感じた。
皆、強い選手がそのコートでやってるのかと思って
集まってきたのだが、そこで試合しているのは
まだテニス歴1年の下手くそな俺。
「凄いテニスが強い人の息子らしい」という
情報はまたたく間に集まった皆に知れ渡ったのだが、
そこで俺のサービスゲームになった。
どんな凄いサーブが出るのだろう・・・と皆が期待しながら
観ている中、俺はその期待に応えようと一番速い
サーブを打ってやった。
しかしそんなサーブ、入るわけない。
ということで、セカンドサーブの出番となったのだが
実は俺、高2の夏までセカンドはアンダーサーブだったのだ。
大勢の観客が見守る中、俺は仕方なくアンダーサーブを
打ったんだけど、その瞬間、
「アンダーや!!アンダーでセカンド打った!!」
「高西先生の息子、アンダーサーブ使いよった!」
その試合の結果は全く覚えていない。
でもその時の恥ずかしさと悔しさは今でも覚えている。
上京してこっちでコーチになったのはそんな大阪の
テニス界から逃げ出したかったのかも知れない。
今もベテランテニス界で活躍する父は、オジサンテニスの
憧れの存在なので、未だに
「高西コーチって高西先生の息子さんですか?」って
聞かれる。
でも今は「そうですよ!」って元気よく応えられる。
だって俺はもう自分のテニスに誇りを持っているし、
何よりアンダーサーブからは卒業したからね。
若き日の苦い思い出でした。
どっちかと言うと嫌いだったかも。
でも厳密の言うと、テニスが嫌いだったのでは無く
試合が嫌いだった。
更に細かく言うと、試合会場が嫌だった。
じゃあ試合会場の何が嫌だったか・・・。
それは父親に関係があるんだよ。
当時、父はテニスが強くて大抵、大阪の
テニス関係者は「高西」と言えば、俺の父のことを
思い出すほど。
だから、大会に出場して受付なんかに行くと
「タカニシ・・・ん?もしかして高西先生の息子さん?」
ってよく言われた。
小学校の先生だった父は皆に「高西先生」と呼ばれて
いたのだが、とにかく俺は試合会場で
「あの高西先生の息子らしい」と言われることが
ホントに嫌だった。
その理由はまず年頃ってことが大きい。
高校生の男子はとにかく親と比較されるのがとても
嫌なので、表面的には「そうなんですよ~」と言いながらも
「めんどくせぇ~」って思ってた。
でも一番の理由は自分のテニスに自信が無かったから。
強くて上手い父のテニスに比べると全くダメだったし、当時は
父と3セットマッチやっても、1,2ゲームしか取れないうえに
その父から超ダメ出しされていたからね。
大会の度にそんな感じで運営の人たちに言われて
いたのだが、とある大会に出場した時のこと、
また受付のおじさんに「高西先生の息子さん?」って
バレてしまった。
しかもそのおじさんが俺の父親のことを
知っている他の参加者の高校生にそれを言ってしまったのだ。
するとその高校生が仲間を連れて俺の試合しているコートへ
見に来たのだ。
「あれが高西先生の息子らしいよ・・・」
「高西先生って?」
「むちゃくちゃテニスが強い人」
「じゃあ息子も強いんやろか?」
そんなヒソヒソ声がしっかりプレー中の俺の耳にも
入ってきたうえに、「何?何?どうしたん?」
ってどんどん人が集まってくるのを感じた。
皆、強い選手がそのコートでやってるのかと思って
集まってきたのだが、そこで試合しているのは
まだテニス歴1年の下手くそな俺。
「凄いテニスが強い人の息子らしい」という
情報はまたたく間に集まった皆に知れ渡ったのだが、
そこで俺のサービスゲームになった。
どんな凄いサーブが出るのだろう・・・と皆が期待しながら
観ている中、俺はその期待に応えようと一番速い
サーブを打ってやった。
しかしそんなサーブ、入るわけない。
ということで、セカンドサーブの出番となったのだが
実は俺、高2の夏までセカンドはアンダーサーブだったのだ。
大勢の観客が見守る中、俺は仕方なくアンダーサーブを
打ったんだけど、その瞬間、
「アンダーや!!アンダーでセカンド打った!!」
「高西先生の息子、アンダーサーブ使いよった!」
その試合の結果は全く覚えていない。
でもその時の恥ずかしさと悔しさは今でも覚えている。
上京してこっちでコーチになったのはそんな大阪の
テニス界から逃げ出したかったのかも知れない。
今もベテランテニス界で活躍する父は、オジサンテニスの
憧れの存在なので、未だに
「高西コーチって高西先生の息子さんですか?」って
聞かれる。
でも今は「そうですよ!」って元気よく応えられる。
だって俺はもう自分のテニスに誇りを持っているし、
何よりアンダーサーブからは卒業したからね。
若き日の苦い思い出でした。
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