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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:考え方

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あなたにこの想いを伝えたい

[考え方] 投稿日時:2012/09/25(火) 09:35

試合中、敵のことどう思ってる?
鬱陶しく思う?尊敬してる?それとも、自分のことで
いっぱいいっぱいになり、何も考えていない?
何も考えていないのはかなり問題だね。
相手と向き合って戦うスポーツなんだから、その相手と
向き合って、何か感じ取らないとマズイ。
でも鬱陶しいとか尊敬もちょっと違う気がするんだよ。
 
鬱陶しく感じる相手ってどういうタイプ?
技術は自分より低いくせして、その弱いテニスで
思った以上に食らいついてくるタイプだとか、諦めない
タイプだとか、ネットプレーでの駆け引きが上手いなんて
タイプの相手にもムカッと来てしまう。
ジャッジが汚い・・・なんてタイプも当然鬱陶しい。
でも鬱陶しいって思ってしまうと、どうしても感情が
プレーに混ざりこんでしまうんだよ。
ショットを決める時も、淡々とオープンスペースに打てば
いいものを、必要以上に速いショットを打とうとして
しまったり、自分がミスした時に腹を立て過ぎたり。
冷静さを欠く時は、相手を鬱陶しく思ってしまう場合が多い。
 
じゃあ尊敬してしまうというパターンはどうだろう。
相手を尊敬する・・・ということは、格上と戦う時だよね。
チャレンジャーとして尊敬する相手に挑むんだけど、これは
完全に「負け」を認めてしまっている。
よく耳にする「ダメ元で思い切ってやってみる」というのは
相手を格上と認め、自分が敗北するのを前提で試合を
してしまっているんだよ。
でも、チャレンジャーとしてプレーをするのって
気分的には楽チン。
勝つ見込みが無い分プレッシャーが少なく、思い切って
プレーできるので意外と尊敬する相手に善戦出来て、
勝ちそうになったりするんだけど、ここに来て「勝てるかも」
という気持ちが初めて芽生えるから、その状況に焦ってダメに
なり、勝つチャンスを逃してしまうなんてことになる。
そう考えると、自分より相手のテニスが上手くても、その相手に
対して尊敬の念を抱いてコートに立つのは違うと思うね。
 
じゃあネットの向こうにいる敵をどう思うのが効果的か。
俺の経験上、自分の理想テニスを引き出すためには
「相手を憐れむ」というパターンが一番だった。
「俺と対戦することになって、お前は可愛そうだね」という
気持ちである。
もちろん、何も意識しないと格下の相手が粘ってきた時に
鬱陶しいって思ってしまうし、格上の相手には尊敬の念を
抱いてしまうパターンに陥ってしまうので、自分に対して
相手を同情するように意識はしないといけないけどね。
 
相手を憐れみながらプレーすると、面白いことに格下の
相手には、こちらが「君の方が弱いから負けるんだよ」
という気持ちが伝わるんだよね。
それが相手にはいわゆるオーラに感じるし、余裕にも
思えるんだよね。
こういう気持ちを持った相手にやられると、見下された
感じを受け、本当に惨めな気持ちになってしまう。
 
もちろん格上の相手にも憐れんだ気持ちで対戦して
もらいたい。
「確かに君の方がテニスは上手いけど、この試合は
君が負けるんだよ。可愛そうだね!」
どんなに強い相手と対戦しても、そういう気持ちを忘れない
ようにしたし、例え0-5で負けていたとしても、そういう
雰囲気を頑張って作っていた。
そうすることで、当たって砕けろ・・・という作戦じゃなく、
まだ勝利を諦めていない・・・というリードしている相手が
最も面倒くさがる形を作りやすくなる。
何よりも、格上相手に勝つチャンスを握れた時にも
「ほらね、言ったとおりでしょ?」とその状況に驚かず
最後のトドメを刺して勝利を掴むパターンにもなりやすい。
 
試合は勝つためにやっているんだから、勝つ気持ちで
臨まないといけない。
勝つ・・・ということは、ネットの向こうに立っている対戦相手は
負けるということ。
相手が負けるということは、相手が可哀想ってことだよ。
どんな相手と対戦しても
「俺と対戦することになって、可愛そうだね。君は負けるんだよ。」
という憐れんだ気持ちを相手にアピールしながら、
とにかく「勝つ」という前提で試合を進めてもらいたい。

絶不調から抜け出す!?

[考え方] 投稿日時:2012/08/13(月) 21:04

「絶不調なんですけど、どうすれば元に戻せますか?」
試合を直前に控えた高校生の選手が深刻な顔して
質問してきた。
「そんなの気のせいだよ。」
そう答えたんだけど、もちろんその後に話は続く。
彼にはその後、絶不調から脱出する方法ではなく
こんな話をした。
 
「まず不調の自分を受け入れていないんじゃないの?」
そもそもテニスには好調と不調の両方があるのに
好調の時の自分は「俺って上手くなった!」って喜ぶくせして
不調の自分には「こんなはずはない・・・」って認めようと
しないことが多い。
だから不調の状態だと、どうしても好調の自分を思い描いて
しまって、不調なのについつい好調なテニスをしようとしてしまう。
 
もちろん不調のテニスは出来ればそこから抜け出し
たいんだけど、相手あってのスポーツであるテニスは、
自分に非が無くても相手のナイスプレーで
不調に陥らされることもある。
そういう時は、不調の自分を素直に受け入れ、その状態で
その時に出来ることを謙虚に行うことが大事なんだよね。
「こういう不調の時期もあるもんなんだ」
普段からそうやって「不調の自分もアリ」って受け入れて
おかないと、そこへ厄介な感情ってものが加わってしまうよ。
 
もう一つ、こんな話もした。
「意外と相手は不調かどうかなんて気にしてない。」
不調でも強い選手はちゃんと勝つし、弱い奴は絶好調と
言いながら簡単に負けてしまう。
とにかく不調でも好調でも、試合中は淡々と勝ち星を
挙げる方法を探り、その時の状況に合ったプレーを
し続けるんであって、「不調だからダメ」とか「好調だから勝てる」
なんてあんまり考えたことがないし、俺自身相手が
好調かどうかは気にしない。
 
それよりも気になるのは、相手が集中しているかどうかだ。
集中力切れて、気持ちが散漫になると勝負を仕掛けやすいからね。
不調な相手でも、集中しているとやっぱり侮れないもんだよ。
 
「そんなの気のせいだよ」
そう言ったのは、まず不調の自分も受け入れろと言うこと。
不調な自分を嫌悪するからそこから強引に抜け出そうとし、
それが絶不調に陥った要因なんだよね。
それから不調、不調と騒いでいるのは自分だけであって
相手にはそんな思っているほどアドバンテージは握られて
いないということ。
不調でも勝負を諦めず、そんな不調な自分にも勝つ術は
残されていると信じて黙々とプレーする。
その方が好調な状態で浮かれきってプレーしていることより
よっぽど嫌なもんだよ。
 
「絶不調」と言っていた彼、確かにひどいプレーをしていた。
でもそれはイロイロと技術的にも問題はあるんだけど、
やっぱり不調の自分を気にしすぎていることが原因のようだ。
だからやっぱり「気のせい」なんだよね。
試合が近い彼には、絶不調から好調へいかに変えていくかより
残り少ない練習で、不調の自分に慣れてもらいたいって思った。
絶好調なプレーの練習も必要だけど、不調の自分を
受け入れられない選手は、絶好調プレーなんて贅沢すぎだよ。
もっと不調状態に慣れておけよ。

これが分かれ目、勝つ選手と負ける選手。

[考え方] 投稿日時:2012/07/24(火) 02:03

強い選手に競る事なんてなんてことは無い。
簡単なことだよ。
いや、難しいかもしれないけど、言い方変えれば
強い選手の方は、自分よりレベルの低い選手と対戦した時に
負けるなんてことは絶対あってはならないって思うけど
競るくらいはある程度仕方がないかなって思っている。
だってテニスってレベル差あっても、なんとか食らい付いて
競る方法なんてあるスポーツだからね。
 
でも難しいのは、競った状態から勝利までもっていけるか
なんだよ。
ボロ負けも惜しい負けも、同じ敗北には変わりない。
競った状態からあと一歩、勝利まで辿り着けない人って
何が足りないのかな。
そして、そういう競った状態からでもしっかり最後は勝利を
収めるプレーヤーって何を思って戦っているんだろう。
 
現役の頃、金星を挙げることが出来た試合がいくつかあるけど
それは、どういう流れだったかというと、まずは偉そうな態度を
とってプレーしていた・・・と言っても、もちろんマナーは
ちゃんと守るよ。
でも雰囲気を作るようにしていた。
相手に対して、こちらの方がランキングは低いが、レベルは
同等、いや、こっちの方が格上なんだよ・・・という感じ。
周りで観ている観客にも、風格があるというか落ち着きが
あるように見せていた。
でも一番その態度を見せつけたかったのは、自分自身に対して。
「俺の方が強いんだ。相手の方が格下だ。」って
ブツブツ何度も言い続けながら、試合前、試合中ずっと
自分を洗脳していた。
特に「さすが格上の選手!!」っていうようなプレーを相手から
見せ付けられても「いやいや、やっぱり俺の方が上なんだよ」って
言い聞かせるのだ。
だって、自分の方が格上だって思っているからこそ、相手から
勝利する権利を得られるのだから。
そこで「僕は挑戦者です」って思っていたら、
「失う物は無い!」っていう潔さとか思い切りの良さは
生まれるけど、いざ競ることが出来て「あれ?勝てるかも!?」
って思ったら、そこから急に何をすれば良いのか分からず、
途端にプレーが萎縮してしまうことになる。
 
いわゆる「勝ちビビり」ってやつだね。
強い相手に競ることはイメージしていたけど、その後
勝つことまでは考えていなかったのだ。
それが競ることは出来るけど、勝利まで辿り着けない人の
典型的パターン。
最後の最後に訪れる大きな精神的プレッシャーの壁を
計算していなかったのだ。
逆に競りながらもそこから勝利を得る選手は、試合の終盤に
訪れるこの壁のことを想定している。
1ポイントの重要性が急激に高まり、1ショット1ショットを
緊張感溢れる中で最後はプレーしなければいけないって
ことが分かっているんだよ。
 
でもそれは相手にも言えることなので、緊張しているから
慎重にプレーすることよりも、緊張している相手へ
先に仕掛けておいて、相手を崩すことで勝利を得ようと
考える場合が多いし、そうしないと効率が悪い。
とにかく勝利の流れを自ら作り出すといった感じだね。
 
いろんな選手がいるから、具体的に戦術とか考え方とかは
それぞれ変わってくるだろうが、とにかく最後の最後に勝ちを
逃してしまう人は、大抵自分が勝利を得る資格を持っていると
思う気持ちが足りなかった場合が多いね。
その甘さにより、最後の最後に訪れる大きなプレッシャーを
忘れてしまうのだ。
逆に、競っても最後は勝って終わる選手は、当然最後は自分が
勝って試合を終わるってことを当たり前のように自覚しており、
しかも試合の最後の緊張する勝負どころを、自ら流れを作って
相手を崩すことが出来る選手だということになる。
 
テニスはディフェンスが基本。
ミスを少なくしないと勝てない。
しかし相手も同じことを考えているんだから、当然
何か攻撃的なことをしないと、相手のそのディフェンス力は
落ちないでしょ?
特に、試合の終盤は更にミスしたくないって気持ちが
強くなるんだから、そこでどうやったらその相手の
ディフェンス力が崩れるのかってことに目を向けて欲しい。
皆、勝ちたいんでしょ?
だったら何を仕掛けて、相手をどうしたいのかしっかりと
イメージしておくことと、それを終盤の緊張した中でも
やり遂げる覚悟を普段からしっかり持っておこう。

窮鼠、猫を噛む・・・ということは。

[考え方] 投稿日時:2012/07/11(水) 10:22

「窮鼠猫を噛む」
猫に追い込まれたネズミは最後、覚悟を決めて
噛み付いてくる。
そりゃそうだ。
どこにも逃げ道が無ければ、向かってくる敵に
歯向かわないと残された道はない。
例え猫と言えども、追い込んだネズミには気を付けなきゃ
危ないよって意味。
 
この言葉がいつからあるのか知らないけど、戦国時代
敵の城を攻め落とす戦略として、逃げ道を一つ残して
追い込んでいくのがコツだったそうだ。
逃げ道が残されていると、城に立て篭っている兵の中に
「あれ?あそこから逃げられそうだ」という気持ちが膨らみ
そういう逃げ腰の気持ちがどんどん周りの兵にも
伝染していくらしい。
完全封鎖してしまうと、「もう逃げられない」と皆で一致団結
してしまい、時間が掛かってしまうどころか、逆に死を覚悟して
いる分、敵としては厄介になってしまうみたい。
 
テニスに置き換えるとどうなるだろう。
まず、相手がネズミ、自分が猫とした場合、アプローチからの
ネットプレーやストロークで左右に大きく振り回すなどで
相手を追い込んだ時、そこから一発逆転で相手にカウンターを
食らうというパターンはよく見掛ける。
まさに窮鼠、猫を噛んだ瞬間だね。
でもテニスは1ポイントで勝負が決まるわけじゃないので、
追い込まれたネズミが最後、どういう風に反撃するかを
猫としてはそこで覚えておいてもらいたい。
そして次またネズミを追い込んだとき、その思い切った
捨て身の反撃パターンを、待ってましたとばかりにしっかり
対処してもらいたいものだ。
「猫を噛みに来た窮鼠を噛む」ということ。
 
城を攻め落とす時のコツも猫としては使える。
俺もよく使うんだけど、アプローチしてネットに出ていった時、
相手が最も得意とするパスのコースだけちょっと空けておく。
そうすると、追い込まれた相手は
「あっ!あのコース空いてる!」とばかりに食い付きやすい。
こちらはそこに打ってくるのを待ってる訳だから、多少
良いパスでも対処はしやすいよね。
 
じゃあネズミの立場の場合どうしよう。
強い相手を前にした場合、どんどん追い込まれて逃げ場が
無くなってくる。
そうすると「このままじゃ決められてしまう!ここは一発!」
とばかりに、思い切った一発を打ってしまうんだけど、
この行為が「窮鼠、猫を噛む」だが、さっきも言ったように
試合巧者はこの窮鼠のパターンを計算した上で
追い込んでくる。
となるとテニスでは「窮鼠、猫を噛む」というパターンは
たまには良いけど、そんなに頻繁には使えない。
追い込んだ猫が一番嫌がることは、追い込まれたネズミが
まだ逃げ道残されていると信じて、逃げ続ける
ことなんだよ。
特にテニスの場合は、逃げ道って絶対残されているからね。
完璧に守備を固めるなんて絶対無理なんだよ。
 
そうやって逃げ続けるためには自分がネズミで相手が
猫だと思っても、決して「窮鼠」とは思わないことだね。
むしろトムとジェリーのネズミみたいに振舞ってもらいたい。
そうすると金星のチャンスも見えてくるかも。
でもたまには「窮鼠、猫を噛む」という行動も取ったほうが良い。
たまに思い切った反撃をすることを相手に教えておくと
相手も攻撃が慎重になるから、攻撃が甘くなりやすい。
逃げ続けやすくなるでしょ?
 
「窮鼠、猫を噛む」って言葉は色んなところで
使われるよね。
それだけ皆、この行動パターンは本能に組み込まれている。
ということは、猫の立場としてはどう窮鼠の対処をすれば
いいのか、ネズミの立場だったらどう猫と接すれば良いのか
予め考えておかないといけないよね。

だから試合でサングラスをかけなかった

[考え方] 投稿日時:2012/07/06(金) 00:18

車を運転するとき、サングラスをかける。
眩しいので目が疲れてしまうからね。
レッスンの時もだいたいサングラスをかける。
でも現役の頃、選手としては一度もサングラスをかけて
試合をやったことが無い。
練習の時も殆どかけたことはないな。
そう言えば、テニス選手の殆どが試合中、サングラスを
かけないよね。
最近は女子の選手を中心にサングラス着用の選手は
増えてきたけど、なんでサングラス無しの選手が
多いんだろう・・・。
 
俺の場合、試合を出始めた若かりし頃は、プレー中も
しっかりフィットしてプレーしやすい良いサングラスを
持っていなかったし、そもそも天気がいい日は眩しいのが
当たり前って思ってたから、「眩しいからサングラス」なんて
考えたことも無かった。
でも色々サングラスを購入して運転の時やレッスンで使うように
なると、コートではサングラスをかけてプレーを続けた方が
目はとっても楽だって思い始めた。
 
だから「サングラスをかけて出場」って考えたことも
あるんだけど、そこでその考えが実行されなかった大きな
要因は、応援に来てくれる方々へ素顔を見せたいって考え。
それと、大会に出場すると、カメラマンにプレー中の写真を
撮られることもあるんだけど、そういうカメラマンにも
サングラスの姿より、素顔でプレーしている自分を
撮ってもらいたいって思ってたから。
「眩しい」ってことよりも、周りから自分自身の素顔を見られる
ことを優先させたんだよ。
でもこの考え方、単なるナルシストとかじゃなくって俺にとっては
テニスの内容を左右するくらい重要なことだったんだ。
 
だって俺は試合の時、観客が多い方が断然プレーは
良かったんだけど、その理由は誰かに見られている方が
逃げないテニスをすることが出来たので、自分自身の
理想とするプレーをどんな状況でも堂々とし続けることが
出来たからなんだ。
応援してくれるお客さんは、観客というより俺にとっては
監視役という風に写っていた部分があるのだ。
そんな監視役の皆さんに、
「俺はしっかり自信持ってやってるぜ!」
って感じのアピールをするためにも、サングラス無しの
素顔を見せたかったんだよ。
 
他の選手はどうなのか分からないが、俺が現役の頃
サングラスを着用しなかったのはこんな理由があったから。
でも一度、世界のトップ選手たちにも着用しない理由を
聞いてみたいって思う。
恐らく彼らも「だってテレビに映ってるから」って言うと
思うんだけど・・・皆はどう思う?
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