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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出
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信じていることを伝えてあげて
[過去の思い出] 投稿日時:2012/03/20(火) 18:14
24才までは横浜のテニススクールを拠点にして
スクールコーチとして働いていたんだけど、1年間の
スペインでの選手活動から帰国してからは東京の
昭島市にある昭和の森テニスクラブに派遣され、
ジュニアの選手育成をメインに行うことになったんだよ。
スペインでの選手活動で培ったものを活かすチャンスと
ばかりに張り切って引き受けさせてもらった。
それまでもジュニア育成のプログラムには
携わっていたのである程度のやり方は自分の中では
イメージできていた。
しかし実際スタートすると、理想と現実は大きく違って
なかなか難しい問題が次々と起こる。
その一つが頑張っているジュニア選手たちの親との
関係である。
選手活動の殆どは悩むものだ。
順調に戦績を伸ばしながら、確実に成長し続ける
選手なんて殆どいない。
伸び悩み、壁にぶつかることが普通だし、下降してダメに
なっていく選手も珍しくない。
それでもたまにいい結果が出たり、成長出来たりすると
スゴイ嬉しいし、その一時の喜びがあるから頑張れる。
その可能性を信じているからこそ選手活動が成り立つ。
でも選手の親の中には、選手が苦しんでいる時期に
我慢しきれず、我々コーチとか選手本人に
「何とかしないと、このままじゃあ・・・・」とまるで
もう可能性が無くなったかのような接し方をしてくる
人たちもいた。
こうなると親って、選手本人にとっては応援ではなく、
単なる不安を煽ってくる存在になってしまう。
とにかくこういう親には子供たちを今後どうやって
育てていくかを説明し、そして我々コーチにとってどういう
存在でいて欲しいかを話した。
どういう存在でいて欲しいか・・・。
それは毎日練習しているにも関わらず、なかなか成果が
出ない、手応えが感じられない時期でも、その子が
今後更に成長していく可能性を持っていて、それを
親として信じているから応援している、そう言ってあげられる
存在でいてもらいたい。
どうしてもレッスンでは技術的なこと、身体的なこと、そして
メンタル的なことで子供たちを厳しい状況に追い込んで
頑張らせてしまう。
帰宅して親と接している時にはせめてその頑張りを
労わってあげてもらいたいもんだ。
それはでも「期待」ということよりも、「信じる」という
言葉に近いかな。
テニスで大事な「決断」「行動力」「自信」を養うためには
親が子供の活動を信じていることを伝えないといけない
からね。
ジュニア選手の育成を行なっていた経験は
今行なっている中高生テニス部支援の活動に大きく
影響している。
子供たちには頑張ってもらいたい。
でもそれをは応援してくれている、先生、そして
親や兄弟などの影響が大きい。
そしてその親が子供をどう思って接しているかが
また更に重要になるってことをその時学んだからね。
コーチ、選手、家族、この3つの関係がベストになると
ホントに頑張れるのだ。
スクールコーチとして働いていたんだけど、1年間の
スペインでの選手活動から帰国してからは東京の
昭島市にある昭和の森テニスクラブに派遣され、
ジュニアの選手育成をメインに行うことになったんだよ。
スペインでの選手活動で培ったものを活かすチャンスと
ばかりに張り切って引き受けさせてもらった。
それまでもジュニア育成のプログラムには
携わっていたのである程度のやり方は自分の中では
イメージできていた。
しかし実際スタートすると、理想と現実は大きく違って
なかなか難しい問題が次々と起こる。
その一つが頑張っているジュニア選手たちの親との
関係である。
選手活動の殆どは悩むものだ。
順調に戦績を伸ばしながら、確実に成長し続ける
選手なんて殆どいない。
伸び悩み、壁にぶつかることが普通だし、下降してダメに
なっていく選手も珍しくない。
それでもたまにいい結果が出たり、成長出来たりすると
スゴイ嬉しいし、その一時の喜びがあるから頑張れる。
その可能性を信じているからこそ選手活動が成り立つ。
でも選手の親の中には、選手が苦しんでいる時期に
我慢しきれず、我々コーチとか選手本人に
「何とかしないと、このままじゃあ・・・・」とまるで
もう可能性が無くなったかのような接し方をしてくる
人たちもいた。
こうなると親って、選手本人にとっては応援ではなく、
単なる不安を煽ってくる存在になってしまう。
とにかくこういう親には子供たちを今後どうやって
育てていくかを説明し、そして我々コーチにとってどういう
存在でいて欲しいかを話した。
どういう存在でいて欲しいか・・・。
それは毎日練習しているにも関わらず、なかなか成果が
出ない、手応えが感じられない時期でも、その子が
今後更に成長していく可能性を持っていて、それを
親として信じているから応援している、そう言ってあげられる
存在でいてもらいたい。
どうしてもレッスンでは技術的なこと、身体的なこと、そして
メンタル的なことで子供たちを厳しい状況に追い込んで
頑張らせてしまう。
帰宅して親と接している時にはせめてその頑張りを
労わってあげてもらいたいもんだ。
それはでも「期待」ということよりも、「信じる」という
言葉に近いかな。
テニスで大事な「決断」「行動力」「自信」を養うためには
親が子供の活動を信じていることを伝えないといけない
からね。
ジュニア選手の育成を行なっていた経験は
今行なっている中高生テニス部支援の活動に大きく
影響している。
子供たちには頑張ってもらいたい。
でもそれをは応援してくれている、先生、そして
親や兄弟などの影響が大きい。
そしてその親が子供をどう思って接しているかが
また更に重要になるってことをその時学んだからね。
コーチ、選手、家族、この3つの関係がベストになると
ホントに頑張れるのだ。
恐怖のヒッティングパートナー
[過去の思い出] 投稿日時:2012/03/12(月) 14:09
現在、いろんな場所でレッスンをしたりイベントを
開催している。
その中でデモンストレーションを行う機会は多い。
要するに「こうやるんですよ!」みたいなお手本だな。
どのショットも一応はちゃんとしたフォームで
打てなきゃいけないんだけどそれ以上に大事なのは
「わー!!!スゴイ!!」
ってプレーもある程度は見せないといけないこと。
選手活動の後半はオールラウンドのプレースタイルで
やっていたから、現在はとりあえずどんなプレーもこなすが
意外と20代の頃は、このイベントでのデモンストレーションで
やってしまった失敗経験が多いんだよ。
まだ20代前半の頃、働いていた横浜のスクールに
ある女子のトップ選手がイベントのゲストで来た。
その女子選手のクリニックの中で、当然彼女のプレーを
お客さんに見てもらうというデモンストレーションタイムが
あったんだけど、そこでヒッティングパートナーに選ばれた。
これはスゴイ光栄なことだし嬉しかった。
当時、上り調子だった俺は、勢いもあって会社からも
「期待の若者」って感じで見てもらえていたから抜擢されたの
だと思うが、ギャラリーも含め100名以上参加者が集まって
見守る中、その女子の選手と俺がデモンストレーションを
やると聞いて、正直本音はビビッていた。
だって、当時の俺のプレースタイルは「打ちまくり」。
相手よりも速いショットを打ちまくって、エースかミスか・・・という
テニスで何とか運良く勝っていたんだけど、そんなスタイルの
選手がゲストをたてなきゃいけないヒッティングなんて
務まる訳がない!!!
さて、当日、有名なこのプロの女子選手のレッスンを受ようと
多くの方が参加。
もちろんこの中には俺が受け持っている生徒さんもいる。
ギャラリーもビックリするくらい集まってしまった。
まずはこの選手の自己紹介と挨拶を行い、
「では、さっそく○○プロのプレーを見てもらいましょう!!」と
一番皆が見やすいコートで、俺とそのプロ選手は向かい合い、
コートの真ん中でストロークラリーが始まった。
その時俺はどんな感じだったかというと、
これまで味わったことがないくらい緊張していた。
全く足が動かない・・・・。
飛んでくるボールの距離がよく分からない・・・。
バウンドの場所や弾み具合ががよく分からない・・・。
そして、呼吸が出来ない・・・。
ただ「ちゃんとやらなきゃ、ちゃんとやらなきゃ」ばかり
頭の中をグルグル駆け巡って、過呼吸状態でラケットを
振り回していた。
結果、ラリー1,2球ですぐ俺がミス。
次もすぐミス、その次も、そのまた次も。
それを見て更に
「やばい、やばい、やばい、やばい!!!」と焦る俺。
場内も変な空気になってきたし、スタッフたちも
「おいおい、大丈夫?」って感じで俺を見ている。
そしてすぐ「高西、交代!」とヘッドコーチから言われた。
すごい長い時間に感じたけど、恐らく1分もコートには
立っていなかっただろうなぁ。
俺のあとヒッティングに入ったのは、俺より年上のコーチ。
落ち着いた雰囲気でプロ選手と楽しそうに打っている。
ショックだった!!!!!
ホントに惨めで、悲しかった。
大勢の生徒さんが見ている前で交代を宣告された自分が
情けなかった。
でも、これだけじゃなく、色んなイベントで色んな失敗劇を
繰り返しては悔しくて、情けない体験を味わった。
だって、試合とは違う緊張があるからね。
でもやっぱりちゃんとそういう場でも、参加者の皆さんが
喜ぶプレーを見せてあげるのが選手やコーチの仕事。
あの時「高西、交代!」と言われたのは仕方がない。
今、イベントの中のデモンストレーションでは
緊張をあまり見せずにプレーできている。
でも本当はチラッと当時の苦い思い出が浮かぶ。
が、にこやかに余裕の表情でこなせるようになった。
多分、自分の心に嘘を付けるようになったんだろうなぁ。
当時の俺は自分の心に正直すぎたのかも。
我ながら面白い仕事をしていると感じるよ。
開催している。
その中でデモンストレーションを行う機会は多い。
要するに「こうやるんですよ!」みたいなお手本だな。
どのショットも一応はちゃんとしたフォームで
打てなきゃいけないんだけどそれ以上に大事なのは
「わー!!!スゴイ!!」
ってプレーもある程度は見せないといけないこと。
選手活動の後半はオールラウンドのプレースタイルで
やっていたから、現在はとりあえずどんなプレーもこなすが
意外と20代の頃は、このイベントでのデモンストレーションで
やってしまった失敗経験が多いんだよ。
まだ20代前半の頃、働いていた横浜のスクールに
ある女子のトップ選手がイベントのゲストで来た。
その女子選手のクリニックの中で、当然彼女のプレーを
お客さんに見てもらうというデモンストレーションタイムが
あったんだけど、そこでヒッティングパートナーに選ばれた。
これはスゴイ光栄なことだし嬉しかった。
当時、上り調子だった俺は、勢いもあって会社からも
「期待の若者」って感じで見てもらえていたから抜擢されたの
だと思うが、ギャラリーも含め100名以上参加者が集まって
見守る中、その女子の選手と俺がデモンストレーションを
やると聞いて、正直本音はビビッていた。
だって、当時の俺のプレースタイルは「打ちまくり」。
相手よりも速いショットを打ちまくって、エースかミスか・・・という
テニスで何とか運良く勝っていたんだけど、そんなスタイルの
選手がゲストをたてなきゃいけないヒッティングなんて
務まる訳がない!!!
さて、当日、有名なこのプロの女子選手のレッスンを受ようと
多くの方が参加。
もちろんこの中には俺が受け持っている生徒さんもいる。
ギャラリーもビックリするくらい集まってしまった。
まずはこの選手の自己紹介と挨拶を行い、
「では、さっそく○○プロのプレーを見てもらいましょう!!」と
一番皆が見やすいコートで、俺とそのプロ選手は向かい合い、
コートの真ん中でストロークラリーが始まった。
その時俺はどんな感じだったかというと、
これまで味わったことがないくらい緊張していた。
全く足が動かない・・・・。
飛んでくるボールの距離がよく分からない・・・。
バウンドの場所や弾み具合ががよく分からない・・・。
そして、呼吸が出来ない・・・。
ただ「ちゃんとやらなきゃ、ちゃんとやらなきゃ」ばかり
頭の中をグルグル駆け巡って、過呼吸状態でラケットを
振り回していた。
結果、ラリー1,2球ですぐ俺がミス。
次もすぐミス、その次も、そのまた次も。
それを見て更に
「やばい、やばい、やばい、やばい!!!」と焦る俺。
場内も変な空気になってきたし、スタッフたちも
「おいおい、大丈夫?」って感じで俺を見ている。
そしてすぐ「高西、交代!」とヘッドコーチから言われた。
すごい長い時間に感じたけど、恐らく1分もコートには
立っていなかっただろうなぁ。
俺のあとヒッティングに入ったのは、俺より年上のコーチ。
落ち着いた雰囲気でプロ選手と楽しそうに打っている。
ショックだった!!!!!
ホントに惨めで、悲しかった。
大勢の生徒さんが見ている前で交代を宣告された自分が
情けなかった。
でも、これだけじゃなく、色んなイベントで色んな失敗劇を
繰り返しては悔しくて、情けない体験を味わった。
だって、試合とは違う緊張があるからね。
でもやっぱりちゃんとそういう場でも、参加者の皆さんが
喜ぶプレーを見せてあげるのが選手やコーチの仕事。
あの時「高西、交代!」と言われたのは仕方がない。
今、イベントの中のデモンストレーションでは
緊張をあまり見せずにプレーできている。
でも本当はチラッと当時の苦い思い出が浮かぶ。
が、にこやかに余裕の表情でこなせるようになった。
多分、自分の心に嘘を付けるようになったんだろうなぁ。
当時の俺は自分の心に正直すぎたのかも。
我ながら面白い仕事をしていると感じるよ。
新たな地で生まれ変わろうぜ
[過去の思い出] 投稿日時:2012/03/07(水) 00:24
大阪の高校でテニスを始めた俺は、高校卒業後
上京してテニスコーチの派遣会社に就職し、
テニススクールのコーチとして活動。
入社して最初に思ったことは、この関東という地に俺の
過去を知っているヤツはいない・・・そう思った。
過去とは、いわゆる経歴である。
高校のテニス部でやっている時は、常に自分の
経歴に劣等感を感じていたのだ。
全員高校でテニスを始めた人ばかりのテニス部
だったから、レベルはかなり低くて勝てなかった。
でもレベルだけじゃなく、他の学校の選手が中学から
テニスをやっていたとか、テニススクールに通っている
なんて肩書きに劣等感を抱いていたから、それで
勝てなかったってことも大いに有り得る。
そんな人の経歴を気にして勝負しようとしていた
人間だから、自分の経歴を誰も知らない関東の地では、
もしかしたら誤魔化しながら成長出来るんじゃ
ないかなって思ったよ。
要するに「ハッタリ」ということだね。
でも実際にはそんな人の経歴なんて、多少は
気にされるけど、それ以上にテニスの試合って、
すぐに実力が分かるからさほど関係しないもの。
だけど俺はこれをキッカケに、自信持ってプレー
することを意識的にやるようになった気がする。
そしてこの「新たな地で変身」という作戦に味をしめて、
こういうのってアリなんじゃないかって感じ始めた。
だからその後の3ヶ月間のアメリカ放浪の旅でも、
いたるところで「俺は日本でトップクラス」なんて、
ハッタリをかましたりして、色んな大学のテニスチームを
訪ねてはハッタリ言いながら練習に混ぜてもらったもんだ。
もちろんすぐにバレるけど、それくらいのハッタリが
無いと一緒に出来るように混ぜてもらえない。
でもね、そういうハッタリって一番効き目があるのは
自分自身だったんだよ。
「日本でトップクラス」ってハッタリを言った以上は、
自分で何とか日本のトップクラスのプレーをしようとしないと
いけないから、集中もするし緊張感の中でプレーできる。
無難じゃダメなんだから。
周りが自分の過去のダメな自分を知っているなら、気軽に
ミスできるんだけど、今のイメージが自分の評価に
なるって思うと、やっぱり実力以上のプレーを
出したくなるし、その気持ちがいい結果に繋がった。
そしてその後も、俺のことを誰も知らない土地に
行っては「俺って実は・・・」みたいなことはしたけど
結局そういう考え方って、実はテニスの試合中、相手に
対して必要な考え方なんだよね。
自分の本心を隠し、相手にはどう見せて、
どう思わせるか・・・。
それによって結果は大きく変わっていくのだ。
けれど、なかなか自分のことを誰も知らない土地に
移ることって難しい。
だからどうしても周りには、自分の実力や過去の
情けないプレー状況を知っている人がいる。
それはとっても悲しいことではあるし、甘えてしまう
部分でもある。
が、そういった中でも何とか新しいイメージある自分を
作り上げて演じていってもらいたいもんだ。
高校の時も、テニスとはそういうモンなんだ!!
って思うことが出来たら、もう少しハッタリを使って
実力以上の戦績も残せたかもしれないなぁ。
上京してテニスコーチの派遣会社に就職し、
テニススクールのコーチとして活動。
入社して最初に思ったことは、この関東という地に俺の
過去を知っているヤツはいない・・・そう思った。
過去とは、いわゆる経歴である。
高校のテニス部でやっている時は、常に自分の
経歴に劣等感を感じていたのだ。
全員高校でテニスを始めた人ばかりのテニス部
だったから、レベルはかなり低くて勝てなかった。
でもレベルだけじゃなく、他の学校の選手が中学から
テニスをやっていたとか、テニススクールに通っている
なんて肩書きに劣等感を抱いていたから、それで
勝てなかったってことも大いに有り得る。
そんな人の経歴を気にして勝負しようとしていた
人間だから、自分の経歴を誰も知らない関東の地では、
もしかしたら誤魔化しながら成長出来るんじゃ
ないかなって思ったよ。
要するに「ハッタリ」ということだね。
でも実際にはそんな人の経歴なんて、多少は
気にされるけど、それ以上にテニスの試合って、
すぐに実力が分かるからさほど関係しないもの。
だけど俺はこれをキッカケに、自信持ってプレー
することを意識的にやるようになった気がする。
そしてこの「新たな地で変身」という作戦に味をしめて、
こういうのってアリなんじゃないかって感じ始めた。
だからその後の3ヶ月間のアメリカ放浪の旅でも、
いたるところで「俺は日本でトップクラス」なんて、
ハッタリをかましたりして、色んな大学のテニスチームを
訪ねてはハッタリ言いながら練習に混ぜてもらったもんだ。
もちろんすぐにバレるけど、それくらいのハッタリが
無いと一緒に出来るように混ぜてもらえない。
でもね、そういうハッタリって一番効き目があるのは
自分自身だったんだよ。
「日本でトップクラス」ってハッタリを言った以上は、
自分で何とか日本のトップクラスのプレーをしようとしないと
いけないから、集中もするし緊張感の中でプレーできる。
無難じゃダメなんだから。
周りが自分の過去のダメな自分を知っているなら、気軽に
ミスできるんだけど、今のイメージが自分の評価に
なるって思うと、やっぱり実力以上のプレーを
出したくなるし、その気持ちがいい結果に繋がった。
そしてその後も、俺のことを誰も知らない土地に
行っては「俺って実は・・・」みたいなことはしたけど
結局そういう考え方って、実はテニスの試合中、相手に
対して必要な考え方なんだよね。
自分の本心を隠し、相手にはどう見せて、
どう思わせるか・・・。
それによって結果は大きく変わっていくのだ。
けれど、なかなか自分のことを誰も知らない土地に
移ることって難しい。
だからどうしても周りには、自分の実力や過去の
情けないプレー状況を知っている人がいる。
それはとっても悲しいことではあるし、甘えてしまう
部分でもある。
が、そういった中でも何とか新しいイメージある自分を
作り上げて演じていってもらいたいもんだ。
高校の時も、テニスとはそういうモンなんだ!!
って思うことが出来たら、もう少しハッタリを使って
実力以上の戦績も残せたかもしれないなぁ。
低迷時期をどう乗り越えたか
[過去の思い出] 投稿日時:2012/02/28(火) 12:19
高校生からテニスを始め、32才で引退するまで
思った以上に自分のテニスを成長させることが
出来たと思う。
上京してきた18才の時には、市民大会くらいしか
実戦経験がなかったし、もちろん技術も乏しかった俺が
最終的には100以内のランキングに入ることが出来た。
でも順調に成長してきたわけではない。
低迷時期も色々とあった。
特に思い出に残っているのは22才の頃。
「俺って成長してるのかなぁ」って自分のテニスに疑問と
不安を感じながらコートに立っていたんだよ。
その頃はアメリカから帰ってきて気持ちはスゴイ乗っていた。
帰国一発目の試合でも強いシード選手に勝って金星を上げ、
所属していた会社の皆にも「スゴイ!!」って褒められて
試合の数もどんどん増やして・・・。
でもそれ以降の試合はさほどいい結果が出なかった。
理由は、アメリカ行って俺は8キロも太って帰ってきたことも
多少は原因としてあるだろうが、試合に出るたびにアメリカで
影響された打ちまくりストローク。
まるで自分の力を誇示するような打ちまくりテニスが
結局空回りしていたんだよ。
今思うと、多分「俺はアメリカ帰りなんだぞ!!」と行ったことを
アピールしたかったんじゃないのかな?
それとそういう俺のテニスをちゃんと見てくれて、指導してくれる
コーチ的な立場の人がいなかったのも原因。
会社には先輩もいたけど、テニスのスタイルなんかの
アドバイスまでは当時、もらえなかったからね。
戦績は軒並み「初戦敗退」が続いた。
負けても「強くなってやる」という気持ちと、勝てない焦りが
余計に打ちまくりテニスを頑固に続けさせてしまった。
「俺って実は成長してないんじゃないの?」
出口の見えないトンネルの中を歩いているような
気がし始め不安を募らせていた頃になって、先輩が
とあるアカデミーを紹介してくれた。
選手が集まり、コーチの下、練習を行うそのアカデミーに
参加し始め、そこで練習をやるようになって初めて
自分のテニスの問題点、そして今後の展望をコーチと
一緒に考えることが出来たのだ。
もちろんすぐに結果は出るものではないけど、今後の
自分のテニスに期待できるようになったのは大きかったよ。
今いる状況から落ちる心配をしていたのが、逆に
成長していく希望を感じられたからね。
それからは、コーチという存在を必ず求めるようになった。
でも別に専属コーチとかじゃなくても良いんだよ。
ある時は会社の先輩、先輩選手、選手仲間・・・。
とにかく「俺のテニスどう?」って見てもらって印象や意見を
聞きながら、一人で考えすぎないようにした。
そうやって意見を言ってもらうと、暗いトンネルの中でも
出口の明かりが見えてくる。
前に進むのは自分だけど、ある程度人に頼って
方向なんかは導いてもらわないといけないって
思ったよ。
皆もちゃんと自分コーチ役を決めておかないと、低迷時期に
やる気までなくなってしまうよ。
思った以上に自分のテニスを成長させることが
出来たと思う。
上京してきた18才の時には、市民大会くらいしか
実戦経験がなかったし、もちろん技術も乏しかった俺が
最終的には100以内のランキングに入ることが出来た。
でも順調に成長してきたわけではない。
低迷時期も色々とあった。
特に思い出に残っているのは22才の頃。
「俺って成長してるのかなぁ」って自分のテニスに疑問と
不安を感じながらコートに立っていたんだよ。
その頃はアメリカから帰ってきて気持ちはスゴイ乗っていた。
帰国一発目の試合でも強いシード選手に勝って金星を上げ、
所属していた会社の皆にも「スゴイ!!」って褒められて
試合の数もどんどん増やして・・・。
でもそれ以降の試合はさほどいい結果が出なかった。
理由は、アメリカ行って俺は8キロも太って帰ってきたことも
多少は原因としてあるだろうが、試合に出るたびにアメリカで
影響された打ちまくりストローク。
まるで自分の力を誇示するような打ちまくりテニスが
結局空回りしていたんだよ。
今思うと、多分「俺はアメリカ帰りなんだぞ!!」と行ったことを
アピールしたかったんじゃないのかな?
それとそういう俺のテニスをちゃんと見てくれて、指導してくれる
コーチ的な立場の人がいなかったのも原因。
会社には先輩もいたけど、テニスのスタイルなんかの
アドバイスまでは当時、もらえなかったからね。
戦績は軒並み「初戦敗退」が続いた。
負けても「強くなってやる」という気持ちと、勝てない焦りが
余計に打ちまくりテニスを頑固に続けさせてしまった。
「俺って実は成長してないんじゃないの?」
出口の見えないトンネルの中を歩いているような
気がし始め不安を募らせていた頃になって、先輩が
とあるアカデミーを紹介してくれた。
選手が集まり、コーチの下、練習を行うそのアカデミーに
参加し始め、そこで練習をやるようになって初めて
自分のテニスの問題点、そして今後の展望をコーチと
一緒に考えることが出来たのだ。
もちろんすぐに結果は出るものではないけど、今後の
自分のテニスに期待できるようになったのは大きかったよ。
今いる状況から落ちる心配をしていたのが、逆に
成長していく希望を感じられたからね。
それからは、コーチという存在を必ず求めるようになった。
でも別に専属コーチとかじゃなくても良いんだよ。
ある時は会社の先輩、先輩選手、選手仲間・・・。
とにかく「俺のテニスどう?」って見てもらって印象や意見を
聞きながら、一人で考えすぎないようにした。
そうやって意見を言ってもらうと、暗いトンネルの中でも
出口の明かりが見えてくる。
前に進むのは自分だけど、ある程度人に頼って
方向なんかは導いてもらわないといけないって
思ったよ。
皆もちゃんと自分コーチ役を決めておかないと、低迷時期に
やる気までなくなってしまうよ。
ホームコートパワー
[過去の思い出] 投稿日時:2012/02/23(木) 12:57
東京の昭島市にある昭和の森テニスクラブに
5年ほど勤務していたことがある。
25才から30才の時期だから、選手活動も一番
活発にしていた時期だね。
コート面数も20面以上あるので、一般スクール
だけでなく、ジュニアや一般選手の育成も行なっていて
とにかくテニスに熱い人達が集まる場所だった。
もちろんこれだけ大きな施設だから、大会も頻繁に
開かれる。
なので俺も年に何度も昭和の森が会場となる大会に
出場したんだけど、いわば俺のホームコートである。
こんな恵まれたことってあまりないでしょ?
昭和の森で試合をすれば、教えているジュニアや生徒さん
それから家族や後輩達も応援にきてくれる。
そんな中でいいプレーが出来て勝ち上がっていくと
最高に気分がいいんだよ。
当時はクラブハウスの床から天井に届くほどの大きな
パネルにトーナメントが表示されてあって、それが
大会期間中は置いてあるから、レッスンに来たスクール生の
方たちは「あれっ!高西コーチが勝ち上がっている!!」と
知ってくれる。
そうやって自分の活躍を知ってもらえると、当然選手と
しては更に燃えるし、それが戦績に繋がっていったのは
確かだね。
下手なテニスは出来ないなっていうプレッシャーも
あったけど、そのおかげでメンタルに対しての考え方も
いろいろ身に付けられたよ。
試合中って精神的にも体力的にも辛いことが多い。
だから気付くと自分の殻に閉じこもってしまうことが
よくあるんだよ。
自分のテニスを見つめ過ぎるというか、相手の
プレッシャーから逃げてというか。
でも観に来てくれた観客の存在を意識すると、そういった
内気モードが吹っ飛ばされて、周りに自分のテニスを
アピールしたくなるんだよ。
でもそれがテニスの試合ではすごい大事。
だって相手がこちらのことを見ているんだよ。
「俺は強いんだよ!この試合、絶対勝つよ!」
そう相手にアピールし続けないと勝利なんて
呼び込めない。
観客が多いと俺は特にそういう姿勢を貫くことが出来た。
どんなにきつくて辛い状況でもね。
だって観客に「諦めた」って姿を見せられないでしょ?
本音は「無理かも」って思っても、絶対「まだまだ!!」
って感じで戦い続ける。
そしてそれが勝利に繋がったことが、昭和の森の試合では
特に多かった気がする。
今でも昭和の森テニスクラブに行くと、当時のそういう
気持ちを思い出す。
もう辞めたけど、俺にとっては永遠のホームコート
なんだよね。
5年ほど勤務していたことがある。
25才から30才の時期だから、選手活動も一番
活発にしていた時期だね。
コート面数も20面以上あるので、一般スクール
だけでなく、ジュニアや一般選手の育成も行なっていて
とにかくテニスに熱い人達が集まる場所だった。
もちろんこれだけ大きな施設だから、大会も頻繁に
開かれる。
なので俺も年に何度も昭和の森が会場となる大会に
出場したんだけど、いわば俺のホームコートである。
こんな恵まれたことってあまりないでしょ?
昭和の森で試合をすれば、教えているジュニアや生徒さん
それから家族や後輩達も応援にきてくれる。
そんな中でいいプレーが出来て勝ち上がっていくと
最高に気分がいいんだよ。
当時はクラブハウスの床から天井に届くほどの大きな
パネルにトーナメントが表示されてあって、それが
大会期間中は置いてあるから、レッスンに来たスクール生の
方たちは「あれっ!高西コーチが勝ち上がっている!!」と
知ってくれる。
そうやって自分の活躍を知ってもらえると、当然選手と
しては更に燃えるし、それが戦績に繋がっていったのは
確かだね。
下手なテニスは出来ないなっていうプレッシャーも
あったけど、そのおかげでメンタルに対しての考え方も
いろいろ身に付けられたよ。
試合中って精神的にも体力的にも辛いことが多い。
だから気付くと自分の殻に閉じこもってしまうことが
よくあるんだよ。
自分のテニスを見つめ過ぎるというか、相手の
プレッシャーから逃げてというか。
でも観に来てくれた観客の存在を意識すると、そういった
内気モードが吹っ飛ばされて、周りに自分のテニスを
アピールしたくなるんだよ。
でもそれがテニスの試合ではすごい大事。
だって相手がこちらのことを見ているんだよ。
「俺は強いんだよ!この試合、絶対勝つよ!」
そう相手にアピールし続けないと勝利なんて
呼び込めない。
観客が多いと俺は特にそういう姿勢を貫くことが出来た。
どんなにきつくて辛い状況でもね。
だって観客に「諦めた」って姿を見せられないでしょ?
本音は「無理かも」って思っても、絶対「まだまだ!!」
って感じで戦い続ける。
そしてそれが勝利に繋がったことが、昭和の森の試合では
特に多かった気がする。
今でも昭和の森テニスクラブに行くと、当時のそういう
気持ちを思い出す。
もう辞めたけど、俺にとっては永遠のホームコート
なんだよね。
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