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てにすまん 高西ともブログ

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プレースタイルの決め方

[戦術] 投稿日時:2010/11/18(木) 09:01

テニスのスタイルってどうやって決まるのだ?
今まで、打ちまくったり、ネットプレーヤーになったり
ディフェンシブにプレーしたりと色々スタイルを変えてきた
俺としては、スタイルを決めるポイントってアドバイス
しにくいんだけど、
「自分で色々やってみてから自分で決めよう!」と
言う事が多いかな。
 
選手生活をずっとやってきて、結局俺はどんなスタイルに
なったかと言うと「オールラウンド」。
オールラウンドって言っても、どっちかと言うとネットプレーを
重視した形になっている。
 
でももともと俺はボレーが苦手で「俺ってボレーは向いてない」って
思ってたから、最初はストローク勝負していたんだよ。
得意なフォアハンドストローク・・・と言っても、ボレーとバックハンドの
ストロークがダメだから、消去法でフォアハンドストロークが得意と言う
ことになってたのだが、そのフォアの一発で相手を打ち負かすことばかり
考えていた。
 
でもね、試合を出続けているうちにテニスって必ずしも
打ち負かさないといけない訳じゃないんだ・・・って分かってきて
粘りまくってミスを待つテニスをし始めた。
でも相手のレベルが高くなって来ると、ただ待つだけでは
ミスしてくれないので、そこで何か仕掛けないといけない・・・と思い
そこでネットプレーを間に挟むようになっていき、最終的には
オールラウンドのスタイルが出来あがったのだ。
 
もちろん、途中でボレーの練習を死ぬほどやって、ボレー好きに
なれたのが良かったんだけど。
でも今思うと、ボレー好きになれたのはオールラウンドのスタイルを
頭の中にイメージし始めたからかもしれない。
 
ということで、「俺のスタイルって何が合ってるの?」って
悩んでいるそこの君、一番大事なことは試合経験をたくさん
積んで、何をやれば効率良くポイント取れるのか検証する事と
上手い人達がどんな組み立て方をメインにしてるか観察すること。
今は苦手なショットでも、試合の中でどう使えば良いのか
決まればマスター出来るかもよ。
ま、色々試してもらいたいが、やはり行きつく先は
オールラウンドかなぁ。

ニコニコ顔でスペインドリル

[過去の思い出] 投稿日時:2010/11/17(水) 10:17

大成高校でレッスンした時に、ハードな練習を行った。
ボール出し練習なんだけど、出すボールのスピードはゆっくり。
その代わり、遠くに出してあげる。
なので、追い付いてちゃんとポジションに入れば超簡単に
ボールが打てるどころか、かなり良いショットを打ち返せる。
でもとにかく遠くに出すので、構え直しや反応してから一歩出すのが
遅れると、全然追い付けなくて当てるのがやっと・・・という
状況になってしまう。
 
このドリルを俺が初めて体験したのは24歳の時。
スペインのバルセロナにあるサンチェスカサルアカデミーだ。
にこやかで人懐っこい表情のスペイン人コーチ達は、みんなニコニコ
した表情で黙々とボールを出し続ける。
顔はニコニコだけど、出すボールの方向はとんでもない方向へ。
しっかり後ろまで下がらされたと思ったら、今度は一気にネット前まで
走らされ、すぐまた斜め後ろに走らされ・・・とそれが永遠に続くのかと
思われるくらいずっとコーチはボールを出し続ける。
 
おかげでスペインに渡った2週間後に、俺の足の裏の筋肉は疲労で
ガチガチに固まって歩けないほどになり、早くも故障者として
ジムでウェイトトレーニングのみ・・・というメニューになった。
復帰した後もきつかったけど、それでも毎日毎日ドリルを受け続け
頑張り抜いた結果、一球目からラストのショットまで動きも落ちず
また息もさほど乱れないような筋力と体力を身に付けられた。
 
でもね、そういう体力が付いて来ると、スペイン人のコーチ達は
ニコニコしながら更に大きく俺達を振り回すようになるんだよ。
仕舞いにはコートの外にボールを出してまで走らせようとする。
厳しかったけど楽しかった。
やはりテニス選手ってちょっとしたMっ気が無いとダメなんだね。
 
と言う事で、俺も大成高校でニコニコしながら、
「おーいもっと、頑張れ!!」と選手達を右に左に
前へ後ろへ動かしてヘロヘロにしてやったんだけど、もうちょっと
そういう状況を楽しもうよ!!!
皆、自分を追い込んで行こうぜ。

サービスダッシュとも言うけれど・・・

[技術【ネットプレー】] 投稿日時:2010/11/16(火) 08:27

サーブ&ボレーを本気で練習し始めたのは
20歳過ぎてから。
それまでは何となくしかやってなかった。
シングルスでは殆どやらなかったけど、ダブルスで
サーブ&ボレーやった時にやたらボレーが下手で
やられまくっていたから、これは練習しないと・・・と
思ってサーブ&ボレーでネットに行って、ひたすら
ネットプレーの練習を行った。
 
色々やっていくうちに気が付いたんだけど、サーブ&ボレーで
大事なのはネットへの詰め方。
もちろんネットプレーをしたいから、ネット方向へ向かって
走るんだけど、そこで「早くネットに辿り着きたい」と
必死で走るとあまりボレーが上手くいかない。
 
一生懸命走る事で、むしろボレーが集中出来なくなるのだ。
サーブ&ボレーなんだから、しっかりとボレーを打ちながら
ネットに出て行きたいので、サーブ打った後はネットに向かって
走るが、相手がレシーブする瞬間はきっちりと止まった状態で
レシーブを見届けたい。
止まった状態で物事を見ると、走りながらよりも正確な情報を
掴む事が出来るのだ。
 
レシーブのコース、ボールのスピード、そしてこれから自分が
打つべきボレーのコース。
そして大事なことは、止まった状態で相手を見ているが
相手がレシーブを打った瞬間、ボールの方に再度動き始めること。
それにより踏み込みながらボレーが出来るようになる。
 
ダブルスだけじゃなく、シングルスもサーブ&ボレーは必要なので
皆もどんどん練習しよう。
その時は、焦ってネットに向かって走りまくらないように。
早めに止まってじっくりボレーをこなしながら、ジワジワ相手に
プレッシャーを掛けて行こう。

ちゃんと自分を信じてる?

[メンタル] 投稿日時:2010/11/15(月) 11:55

「自分を信じて頑張れ!」
そういう言葉をよく使うんだけど、言うが易し。
実際それを試合中に徹底するのは難しい。
調子良くて、リードしている時は良いんだよ。
「俺って凄い!!」「俺はナイスだ!」
そう思って好きな事が好きなだけ出来てしまう。
 
でもそうじゃない時に「俺って凄いんだ!」と思えるか
と言うと、無理だね。
さっきまでリードしていたのに、追い付かれて逆転を
許してしまった途端「ほら見ろ、俺ってホントダメな奴」って
心にいるもう一人の自分がそれ見た事かと、そんなことを
言い始める。
 
そうなると、もう試合に集中するどころじゃない。
なんで俺はダメなのかを考え始めてしまう。
例えば「今週、勉強忙しくて全然練習出来てなかった」とか
「昨夜、あまり寝て無かったから」とか挙句の果てに
「相手が強過ぎる」だの「あのスライスがむかつく」なんて
思ってしまって感情的になってしまう。
 
「自分を信じる」ってことはそういう意味では本当に
難しい。
でもやっぱり試合ではピンチの場面でもしっかり自分を信じて
プレーし続けないといけないのだ。
ではどうやれば自分を信じ続けることが出来るだろうか・・・。
それは・・・「精神論」にしないこと!!
 
「自分を信じる」って事は、
「今現在自分の出来る事をちゃんと用意している」
って事なんだよ。
ピンチの場面であれば、そのピンチの場面でしかも
調子を落としている自分のテニスで一体何が出来るかを
冷静に理解して、出来る事を黙々とこなそうとすること。
そうすることが「自分を信じる」ってことであって
「俺は何でも出来るから、何でもやってやる!!」と
無茶な事を強引にやる事ではない。
 
だからこそ普段の練習でも「究極のピンチな場面」などを
想定して、その場面ではどんなプレーをするのかをちゃんと
練習しておかないといけないし、それを覚えておいて試合中に
それを選べるようにしておかないといけない。
そういう選択が出来るテニスプレーヤーになれば
どんな場面でも「俺はこういう場面ではあのプレーがある」と
心がぶれないで「自分を信じる」プレーが続けられるのだ。
 
皆、自分を信じて頑張り続けようぜ!

いいコーチになるための選手活動

[過去の思い出] 投稿日時:2010/11/12(金) 08:43

だんだん寒くなって、秋から冬になってきた。
俺が上京してテニスコーチになるって決めたのは
高校卒業して半年経ったちょうど今頃。
18歳の秋。
大阪から新幹線で横浜にあるテニススクールで
面接を受けた。
 
「テニスコーチになりたいの?」
面接でそう聞かれた時、
「10年間東京でテニスコーチの勉強したら大阪に帰ります」
大阪人にとって、何となく東京で暮らすって事は
多少抵抗もあって、いつかは大阪に帰りたいと思った俺は
バカ正直に面接でそんなことを言った。
でも「じゃ、一ヶ月後から働けるように」と
言われて無事合格。
 
その時に、「良いレッスンするには、ちゃんと選手として
活動しないといけないので、練習、トレーニング、試合を
しないといけない」と言われた。
当時は選手なんてやるつもりないから、内心「えー!!」って
思ったのを今でも覚えているよ。
俺の中ではサッサとコーチの経験積んで、大阪で
テニスコーチするつもりだったからね。
 
結局宣言通り、10年で会社を退職することになったが
その10年で完全に「テニスコーチになるための選手活動」から
「選手活動を続けるためのテニスコーチ業」に変わって行って
そのまま東京に残ってフリーのコーチとして今に至る。
 
やっぱりテニスは面白い!!!
当時の会社を離れてしまったけど、今でもその時の
「良いテニスコーチになる為に、選手活動をしなさい」という
方針を持っていたその会社には感謝してもしきれない。
人生とは分からないもんだね。
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