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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出

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出場するから強くなる

[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/30(金) 13:51

高校卒業してコーチになり、試合に出始めたのは
19才の頃。
所属していた会社の方針で「義務練習、義務試合」と
なっていたから、なんか流れで渋々試合に出た感じ。
他の先輩コーチ達はいろんな大会に出場しては
そこそこの戦績を挙げていたので、「羨ましい」という
気持ちと「俺には無理かな」という気持ちで出ていたっけ。
 
最初に出た試合のことはあまり覚えていない。
小さな草大会だった気がするが、とにかくあまり戦績は
良くなかったと思う。
その頃俺は、試合に出場するのが面倒くさいって
思ってたんだよ。
 
なぜなら、給料安かったから、エントリー代が
もったいないって思ったし、試合の時は仕事も休まないと
いけないから余計に稼ぎが減ってしまう。
そのうえ負けてしまうと惨めな気持ちになる。
だから、会社の方針に従って2、3ヶ月に一回くらいの
割合でしか試合に出なかった。
 
でも、とある試合で対戦した選手と試合後に話をした時
「毎月開催するワンデートーナメントあるよ」と情報を
教えてくれた。
ウチから近いうえに、ワンデーだからその日で終わる。
しかも仕事が休みの曜日にあるから休みを取る必要がない。
何よりエントリー代も安いってことは大きな魅力だった。
早速その大会に毎月出ることにした。
 
その月例の大会はとあるテニススクールが、休講の月曜に
月一で開催していて、男女入り交じっての、オープンの
シングルスという大会。
レベルはけっこう低い人はいたけど、逆にかなり上手い人も
多かった。
だから気を抜くと変なおじさんやおばさんに足元をすくわれるし
上手く勝ち上がれば自分よりも断然レベルが高い選手と
対戦ができる。
 
毎月その大会に出ているうちに、格下相手に手堅く勝つ
テニス、そして格上に競るテニスを意識するようになった。
そしてそれこそがテニスの醍醐味であり、試合の楽しみである
と段々感じるようになった。
 
テニス、上手くなりたいならとにかく大会に出ることだよ。
そこで学ばないとダメだね。
上手くなったら出場しようって思ってる人は絶対ダメ。
出続けるから上手くなれるんだよ。
でも今でこそ、そう偉そうに言ってるけど、今考えると
俺がお金が無くて、試合出場代をケチっていたあの頃、
そんな俺でも出場出来る大会があって良かったって思う。

ダメになる覚悟はあるかい?

[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/27(火) 11:28

これまでのテニス人生の中で、大きく成長
したと実感出来た時は多くある。
上京してテニスコーチの仕事しながら選手活動を
始めた時、アメリカの大学で練習を混ぜてもらった時、
スペインのアカデミーを一年間拠点にした時。
他にもいろいろあるけど、この3つは特に感じた。
 
でも成長したと実感出来るのは当然すぐじゃない。
上京した時もアメリカやスペインに行った時も
スタートした最初はかなり凹むくらいダメだった。
もちろん自分の実力以上の所へ飛び込んだから
そういう経験をするんだけど、でもレベルアップする
自分を夢見て来たわけだから、ダメになる最初の時期は
精神的に辛い。
 
特にスペインのアカデミーに初めて行った時は酷かった。
20面以上のコートがあるから、世界ランキング100位以内に
入るような選手から10代前半のジュニア選手のクラスまで
たくさんあるんだけど、当然日本から来た名もない選手の
俺は上のクラスには入れてもらえない。
まずは中間レベルのクラスに入れられた。
 
レベルは同じくらい・・・いや、俺よりも荒削りな選手が多いから
ショットは速いがミスが多いような選手が殆ど。
そんな中で練習しながら自分の実力を認めてもらって
何とか自分よりも上の人たちがいるクラスに入れてもらおうと
頑張るんだけど、練習内容がきついから身体がまず疲労で
思ったほどいいプレーも出来ず、コーチにはアピール不足。
 
どれどころか時には更に下のクラスに落とされることも。
もうそうなると相手は12才とか13才とか。
せっかくスペインまで来て、なんでこんな環境でやらなきゃ
いけないんだ・・・って思いながら虚しい気持ちでボールを
打っていた。
テニスはどんどん空回りし、更にクラスは落ちていく。
そうなると、「帰国する1年後にはビッグになってやる」と
意気込んで来たのに、いつの間にか
「帰国したときには、どう言い訳をしようか・・・」と
不安にかられながらテニスをしている。
 
結局半年、そういう状況でもがき苦しんだ。
でもどんなに辛くても練習一日も休まないようにし、
コーチや選手とコミュニケーションを取り続けながら
自分の居場所を少しずつ作っていると、徐々に手応えを
掴むことが出来、そして最後は大きく成長したと実感
出来ることが出来たのである。
 
でもね、こういうのって俺だけじゃないみたいだ。
後から続々と日本人の選手がスペインに来んだけど
皆、最初は同じ感じ。
激しい練習と格下クラスに落とされた精神的ショックで
空回りしている選手が多かった。
新しい世界で自分を試すときには、そういう覚悟が
必要だってことだ。
自分が落ちることを怖がっていてはレベルアップは
無理だね。

負けろ~ライバルども!!

[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/22(木) 01:19

同じランキングのカテゴリーにいる奴とは
当然試合も同じような大会に出場することに
なりやすい。
 
設定する重要な大会は当然同じ大会になるし
それにピークが来るように日程を組むと、
調整のための大会まで同じになってしまう。
大きな大会ではいつも仲良く予選スタートとなり、
小さな大会では共にシードとして大会3日目までくらい
同じ会場で過ごしたり、下手すりゃ泊まる宿まで
被ってしまったりする。
 
そうなると仲良くはもちろんなれるんだけど、
必然的に何度か対戦相手として当たってしまう。
俺は・・・というより、選手みんなそうなんだけど、そりゃあ
負けず嫌いだ。
誰に負けても悔しいのは変わりないんだけど、特に
こういう同じカテゴリー・・・言い方変えればライバル
みたいな輩には絶対に負けたくはない。
こんなところで苦戦していたら、上の選手に勝てるはずも
ないんだから・・・って思ってしまうのだ。
 
今思い出しても何人か、こういう同レベルで一緒に
試合を回っていた選手がちらほら思い付くんだけど、
対戦成績は自分で言うのもなんだけど俺の方が勝ってる。
けっこう手堅くこういう連中との試合を勝ってランキングを
上げた気がするよ。
 
同じくらいのランキングの選手に手堅く勝ち続けることが
出来た理由はなんだろう・・・・?
それは多分、自分はもっと上のレベルの選手なんだと
信じきっていたからだと思う。
信じきってはいたけど、常に試合は余裕ないスコア
だったけどね。
結局技術も戦術もさほど差はなかった、ただ俺の方が
ちょっと天狗だったってことだ。
いい意味で。
 
その証拠に、俺は常にそういう同レベルの選手が他で
試合しているのを見ると、「負けろ~、負けろ~」って
呪いを送っていたのも記憶している。
試合中は天狗でも結局自分は同レベルだって思ってるんだよ。
でも、気が付くと最初は互いにノーランカーでそういう
ライバルだったのが、いつの間にか一緒に100位内に
いるようになっていたりと、成長のための刺激をもらっていた
のだろうね。
ライバルの存在、必要だ。
絶対に。

世界一のストイック選手

[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/19(月) 09:20

テニススクールのコーチを退社して
フリーになったのは30才のとき。
でも選手活動は続けていたので、練習場所と
練習相手を探さないといけなかったのだが、
フリーになるとそこが一番大変だった。
 
大学の練習に混ぜてもらったり、いろんな選手と
連絡取り合って毎日の練習を探していたんだけど
そんな中、一番練習してもらったのは土屋哲史選手。
俺よりも2つ先輩の選手なんだけど、そのストイックさと
言えばもう完全に一流アスリート。
試合会場には誰よりも早く現れ、入念に体を温め、ほぐして
試合に臨むし、普段のトレーニングや練習も半端じゃない。
 
そんな土屋選手とは3年間くらい一緒に練習を
させてもらったけど、そのテニスに対する姿勢は
勉強になった。
いや、刺激になったって言うべきかな。
これだけ自分自身と真剣に向き合ってテニスと
向き合っている選手を目の前にすると、自分の今までの
努力って何だか大したことないって感じて、もっと
やらなきゃって思わされた。
 
でもこれだけストイックだから、たまに凄い要求も。
例えば、試合会場で朝のアップの相手をお願いされた時
「高西君、明日の朝6時でお願いできるかな?」と言われ、
頑張って朝6時に行くと、もうランニングとストレッチ終わって
準備万端の土屋選手がいて、「すげぇ!」って思ったし、
12月31日の大晦日の夕方に練習をお願いされて
「よいお年を!」とサヨナラをした次の日、1月1日の元旦にも
一緒に練習し「明けましておめでとうございます」なんて
時もあった。
 
アスリートに大晦日も正月もないんだってその時
思ったね。
とにかく土屋選手との練習は、単なる練習相手と練習場所の
確保だけじゃなくて、俺のテニス選手としての意識を
大幅に高めてくれた。
あの職人気質的サーブ&ボレーが懐かしい。

ある朝練の思い出。

[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/14(水) 16:54

寒くなってきた。
本格的に冬になったって感じだね。
こういう時期になると思い出すのが朝練。
上京したのは12月だから、まさにこの時期。
就職したテニススクールで、
「朝練、明日から毎日出ろ」と言われて、
6時から毎朝コートに立っていた。
 
当然冬至に近いから太陽なんて昇っていなくて
真っ暗で凍てつく寒さのなか、自分の練習というより
先輩コーチの練習に付き合って頑張っていたよ。
 
住んでいたのは会社の寮。
と言っても、古い一軒家を会社の先輩達と
共同生活のように使っていたから、炊事洗濯は
自分でやらないといけない。
それまで親元でぬくぬくと暮らしていたから、18歳で
いきなりそういう環境に変わると色々ストレスも多かった。
けど、テニスという希望というか絆があったから
苦しかったけど、やめようとは思わなかったよ。
 
でもその代わり、手はガサガサに荒れて、あかぎれが
酷かったなぁ。
会社から支給されたウェアも練習中のあかぎれから
血しぶきが飛んで付いてしまって、それも先輩や上司から
怒られたのを覚えている。
 
やっていた練習は相手の先輩コーチによって色々だった。
とある先輩は、2時間なら2時間、ずっとひたすらコートで
ラリーをし続ける。
ただその先輩、全てフルスィングのハードヒット。
当時の俺は返球するのがやっとで、ヒーヒー言いながら
相手してたよ。
最後にちょこっとゲームをするんだけど、全くと言って
言いほどポイントが取れなかった。
当時の俺が弱すぎたってのもあるが、とにかく強かった。
 
もう一人の先輩はとことんボール出しで基礎練習。
思ったところへちゃんとボールを出さないとすぐ怒る。
すごいストレス溜まって苦痛だったが、おかげで
ボール出しは上手くなったよ。
 
あの頃は当たり前・・・というより、半ば強制的に
イヤイヤやっていたけど、今思うと羨ましい。
あの朝練があったから今の俺がある。
間違いないね。
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