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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出
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ナイス練習相手
[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/09(金) 12:34
練習相手は自分より強い相手がいい。
そんなことは当たり前で、皆分かっている。
でも相手にしてみれば、自分より弱い相手と
練習することになるから、練習相手としては
物足りないんじゃないのかな・・・なんてことを考えると
そう簡単に強い人たちの中に入って行って
「練習混ぜて」って言いにくいもんだ。
でも現役時代、そんな悠長なことは言ってられないので
率先して強い選手のところに行っては練習してもらった。
もちろん中には「なんでこんなレベルのやつと・・・」って
思った選手もいるだろうが、大抵何も問題なく自分よりも
強い選手達と一緒に練習をこなすことが
出来たし、その後もまた誘ってもらえた。
そこで一番注意していたことは何かというと、安定感だね。
自分自身もランキング上がってテニスの実力がついてきて
思ったのは、練習相手は安定したテニスを持ったヤツに限る
ということ。
パワーショットを持っていても不安定なテニスだと白ける。
それからもう一つは人柄。
長時間向き合って同じコートで練習するんだから、
嫌な人間とはゴメンだからね。
そして集中力と体力かな。
だからとにかく現役時代、どんなにレベル差あって
恐れ多い選手にも果敢に「お願いします!!」って
お願いして「いいよ」って言ってもらえたら、あとは
「ありがとうございます!!」と爽やかに返事して、
ひたすらミスしないようにきっちり繋ぎ続けるテニスを
頑張ったんだよ。
もちろんレベル差あるから、返球するだけでも精一杯
だったんだけどね。
自分のテニスにポリシーを持ってやるのは大事だけど
その前に勝てるテニスをしないといけない。
でもその「勝つ」というのは自分よりも格上に勝つと
いうことなので、そうなるとやっぱり上のレベルと一緒に
日頃から練習しておかないといけないよね。
それからやっぱり強い人はテニスにこだわりがあり、それが
練習を一緒にすると見せてくれるから勉強になる。
さぁ、皆も自分よりも上の選手に「ナイス練習相手!」って
言ってもらえる存在になるように頑張れ!!
そんなことは当たり前で、皆分かっている。
でも相手にしてみれば、自分より弱い相手と
練習することになるから、練習相手としては
物足りないんじゃないのかな・・・なんてことを考えると
そう簡単に強い人たちの中に入って行って
「練習混ぜて」って言いにくいもんだ。
でも現役時代、そんな悠長なことは言ってられないので
率先して強い選手のところに行っては練習してもらった。
もちろん中には「なんでこんなレベルのやつと・・・」って
思った選手もいるだろうが、大抵何も問題なく自分よりも
強い選手達と一緒に練習をこなすことが
出来たし、その後もまた誘ってもらえた。
そこで一番注意していたことは何かというと、安定感だね。
自分自身もランキング上がってテニスの実力がついてきて
思ったのは、練習相手は安定したテニスを持ったヤツに限る
ということ。
パワーショットを持っていても不安定なテニスだと白ける。
それからもう一つは人柄。
長時間向き合って同じコートで練習するんだから、
嫌な人間とはゴメンだからね。
そして集中力と体力かな。
だからとにかく現役時代、どんなにレベル差あって
恐れ多い選手にも果敢に「お願いします!!」って
お願いして「いいよ」って言ってもらえたら、あとは
「ありがとうございます!!」と爽やかに返事して、
ひたすらミスしないようにきっちり繋ぎ続けるテニスを
頑張ったんだよ。
もちろんレベル差あるから、返球するだけでも精一杯
だったんだけどね。
自分のテニスにポリシーを持ってやるのは大事だけど
その前に勝てるテニスをしないといけない。
でもその「勝つ」というのは自分よりも格上に勝つと
いうことなので、そうなるとやっぱり上のレベルと一緒に
日頃から練習しておかないといけないよね。
それからやっぱり強い人はテニスにこだわりがあり、それが
練習を一緒にすると見せてくれるから勉強になる。
さぁ、皆も自分よりも上の選手に「ナイス練習相手!」って
言ってもらえる存在になるように頑張れ!!
俺の父ちゃん
[過去の思い出] 投稿日時:2011/12/01(木) 12:44
俺の父親もテニスをしている。
その影響で俺も高校でテニスを始めたのだ。
でも特に「憧れた」というのではなく、ただ単純に
テニスラケットがウチに転がっていたから、これは
道具を買い揃えなくてもいいなって思っただけ。
そんな父親は当時、大阪の国体選手だったし
全日本の年齢別では毎年優勝候補に挙げられるほど
強かったのだ。
そんな父は俺がテニス始めたのを喜んでくれて、
俺をテニスクラブに連れてっては色々教えてくれたり
他の方々と試合を組んでくれたりと協力的だった。
が・・・俺はそれが苦痛でたまらなかった。
だって親子となると、そんなに優しく教えてくれるなんて
ことにならないでしょ?
ダブルフォルトをしたら、こっぴどく叱られるし
試合やっていない時は「あの人のバック、上手いから
ずっと見とけ!!」ってコートサイドに立たされるし
とにかく父とはテニスに行きたくなかったよ。
しかも大阪で強い選手だったから、当然俺が
試合でどこかに行くと
「ん?高西?高西ってあの高西さんの息子?」と
皆が父を知っているから、人が集まってきて俺のテニスを
見物しようとする。
そこで下手くそなテニスを披露するのはホントに
辛かった。
ま、年頃ってこともあって、何かと親を恨んだんだよ。
でも結局父のテニス仲間のコーチに世話になり
そのまま自分もテニスコーチ、テニス選手の道を
高校卒業後に歩むことになったし、それを反対せず
父はずっと応援してくれた。
今でも実家に帰ると一緒にテニスをするし、テニスの
話もする。
あの頃は一緒にテニスコートに立つのが嫌だったけど
俺がこうやってテニスの世界で生きているのは
間違いなく父のおかげである。
テニスを上達させるには誰かの助けは必要である。
それは家族であることが一番なのだが、俺は
そこが恵まれていたんだよ。
当時はそんな恵まれた環境を感じていなかったどころか、
父の存在がでかすぎて嫌だった。
ごめんね、父ちゃん。
ありがとうございました。
その影響で俺も高校でテニスを始めたのだ。
でも特に「憧れた」というのではなく、ただ単純に
テニスラケットがウチに転がっていたから、これは
道具を買い揃えなくてもいいなって思っただけ。
そんな父親は当時、大阪の国体選手だったし
全日本の年齢別では毎年優勝候補に挙げられるほど
強かったのだ。
そんな父は俺がテニス始めたのを喜んでくれて、
俺をテニスクラブに連れてっては色々教えてくれたり
他の方々と試合を組んでくれたりと協力的だった。
が・・・俺はそれが苦痛でたまらなかった。
だって親子となると、そんなに優しく教えてくれるなんて
ことにならないでしょ?
ダブルフォルトをしたら、こっぴどく叱られるし
試合やっていない時は「あの人のバック、上手いから
ずっと見とけ!!」ってコートサイドに立たされるし
とにかく父とはテニスに行きたくなかったよ。
しかも大阪で強い選手だったから、当然俺が
試合でどこかに行くと
「ん?高西?高西ってあの高西さんの息子?」と
皆が父を知っているから、人が集まってきて俺のテニスを
見物しようとする。
そこで下手くそなテニスを披露するのはホントに
辛かった。
ま、年頃ってこともあって、何かと親を恨んだんだよ。
でも結局父のテニス仲間のコーチに世話になり
そのまま自分もテニスコーチ、テニス選手の道を
高校卒業後に歩むことになったし、それを反対せず
父はずっと応援してくれた。
今でも実家に帰ると一緒にテニスをするし、テニスの
話もする。
あの頃は一緒にテニスコートに立つのが嫌だったけど
俺がこうやってテニスの世界で生きているのは
間違いなく父のおかげである。
テニスを上達させるには誰かの助けは必要である。
それは家族であることが一番なのだが、俺は
そこが恵まれていたんだよ。
当時はそんな恵まれた環境を感じていなかったどころか、
父の存在がでかすぎて嫌だった。
ごめんね、父ちゃん。
ありがとうございました。
進化したいなら変化を恐れるな
[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/28(月) 10:25
何か新しい技術を覚えると、それまでの
テニスが不調に陥ることがある。
例えばスライスしか打てない人がトップスピンを
覚えると強くなるか・・・というと、意外とスライスだけで
粘りまくっていた時の方が迷いもなく、手堅さもあって
安定した結果を残せたりする。
じゃああまり手数を増やさず、一つのことに集中
させた方が良いかと言うと、そんなことはない。
新しいことを覚え、そしてそれを上手く試合の中で
使いこなしていく・・・ということの繰り返しでテニスは
上達していくのであって、そんな目先の勝利に
こだわるあまり変化を恐れていると行き詰まってしまう。
スライスしか使えなかった人がトップスピンを覚えて
弱くなったのは、トップスピンを試合でどう使うかをまだ
理解していなかったに過ぎないだけで、それが分かれば断然
トップスピンも使える方が強いってこと。
そんな話をしていると思い出すのが、ジュニア選手の育成で
両手フォアハンドストロークの子供を片手にさせるタイミング。
特に両手フォアハンドの段階で結果が出始めていると、
片手フォアへの移行を嫌がったり、片手に変えたことで
ショットの安定感が落ちてしまったことを焦ってしまう。
そんな焦った状態だとなかなか調子も上がらないし、
下手すると片手に変えたことを後悔し始めるから、とにかく
子供には目先の結果に囚われず、長い目で自分の片手
フォアと向き合ってもらって根気よく続けないといけない。
でも一番大事なことは、両手フォアを片手に変えるように
この先、どんどん自分のテニスを新しく変化させていくことが
必要であり、それを怖がって避け続けるような選手になるな・・・と
いうことを理解させること。
ストロークの打ち合いからネットプレーに移れない人も
変化を怖がっている場合が多いね。
俺も実はそうだったから、よく覚えている。
テニスを進化させるには、変化を恐れないこと、そして変化に
対応できる応用力も身に付けないといけないってこと。
テニスが不調に陥ることがある。
例えばスライスしか打てない人がトップスピンを
覚えると強くなるか・・・というと、意外とスライスだけで
粘りまくっていた時の方が迷いもなく、手堅さもあって
安定した結果を残せたりする。
じゃああまり手数を増やさず、一つのことに集中
させた方が良いかと言うと、そんなことはない。
新しいことを覚え、そしてそれを上手く試合の中で
使いこなしていく・・・ということの繰り返しでテニスは
上達していくのであって、そんな目先の勝利に
こだわるあまり変化を恐れていると行き詰まってしまう。
スライスしか使えなかった人がトップスピンを覚えて
弱くなったのは、トップスピンを試合でどう使うかをまだ
理解していなかったに過ぎないだけで、それが分かれば断然
トップスピンも使える方が強いってこと。
そんな話をしていると思い出すのが、ジュニア選手の育成で
両手フォアハンドストロークの子供を片手にさせるタイミング。
特に両手フォアハンドの段階で結果が出始めていると、
片手フォアへの移行を嫌がったり、片手に変えたことで
ショットの安定感が落ちてしまったことを焦ってしまう。
そんな焦った状態だとなかなか調子も上がらないし、
下手すると片手に変えたことを後悔し始めるから、とにかく
子供には目先の結果に囚われず、長い目で自分の片手
フォアと向き合ってもらって根気よく続けないといけない。
でも一番大事なことは、両手フォアを片手に変えるように
この先、どんどん自分のテニスを新しく変化させていくことが
必要であり、それを怖がって避け続けるような選手になるな・・・と
いうことを理解させること。
ストロークの打ち合いからネットプレーに移れない人も
変化を怖がっている場合が多いね。
俺も実はそうだったから、よく覚えている。
テニスを進化させるには、変化を恐れないこと、そして変化に
対応できる応用力も身に付けないといけないってこと。
見つめ合う二人
[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/22(火) 16:09
ダブルスで重要なことは、相手への
プレッシャー。
特に最初からネットにいる選手はしっかりと
相手に対して「目障り」なヤツとして存在しないと
ネットにいる価値が半減。
だからダブルスの時は、しっかり動きまわって
やなヤツを演出するよう努力している。
なので、ダブルスの試合中は、チラッと目の前で
ボールを打とうとしている相手がこっちを見た瞬間、
ポーチに出るふりを見せたり、逆にロブを警戒しているように
見せたり・・・とアピールしておいて、それにどう反応するか
観察しながら試合を進めていく。
それが上手くいくと、どんどん相手のやろうとしていることが
読めるようになるから、駆け引きもしやすくなる。
でも、そう簡単にいかない相手も当然いる。
現役時代、とあるダブルスペアと対戦したんだけど
そのペアはなんと全日本ダブルス優勝ペア。
もちろんサーブ、レシーブ、ポーチと全てが我々ペアより
上回っていたんだけど、テニスはそれでもなんとか崩せば
勝つ可能性が残されたスポーツ。
いつもの通り、俺はネットにいる時、目の前の選手に対して
動き回って混乱させようと思った。
しかし・・・俺は動けなかった。
なぜなら、目の前でボールを打つ相手選手は、うつ瞬間も
あまりボールを見ないでジッと俺を見ていたから。
レシーブ打つときも、前に出てきてボレーボレーの
状態になってもあまりボールを見ないで、正面で色々
動こうとしている俺をジーッと見ているではないか。
そして俺がどんな動きをしようとしているのか、どんな表情を
しているのか、目線はどこを見ているのかをしっかり確認してから
結局俺が一番意識してないところへサッと打ちやがる。
その試合中、何度その選手と目があったことか。
「お前のこと見てるよ」って感じで見つめられると、完全に
こっちの考えが見透かされているようで、結局俺は全然動けず
何も出来ないでボーッと立ったまま・・・という結果に終わったんだよ。
あのショックは大きかったね。
その体験をしてから、いいネットプレーヤーとして
プレッシャーをかける動きをもっと出来るようにすることも
大事だと思ったけど、それと同じくらいに、相手にいい
ネットプレーヤーがいた場合は、その動きを封じる
テクニックも重要だって思った。
ポーチ決められたら、クロスショットが甘いってこともあるが
相手がポーチに出られない雰囲気を作ることが大事ってこと。
ダブルスは正面の人をしっかりと見つめろよ。
プレッシャー。
特に最初からネットにいる選手はしっかりと
相手に対して「目障り」なヤツとして存在しないと
ネットにいる価値が半減。
だからダブルスの時は、しっかり動きまわって
やなヤツを演出するよう努力している。
なので、ダブルスの試合中は、チラッと目の前で
ボールを打とうとしている相手がこっちを見た瞬間、
ポーチに出るふりを見せたり、逆にロブを警戒しているように
見せたり・・・とアピールしておいて、それにどう反応するか
観察しながら試合を進めていく。
それが上手くいくと、どんどん相手のやろうとしていることが
読めるようになるから、駆け引きもしやすくなる。
でも、そう簡単にいかない相手も当然いる。
現役時代、とあるダブルスペアと対戦したんだけど
そのペアはなんと全日本ダブルス優勝ペア。
もちろんサーブ、レシーブ、ポーチと全てが我々ペアより
上回っていたんだけど、テニスはそれでもなんとか崩せば
勝つ可能性が残されたスポーツ。
いつもの通り、俺はネットにいる時、目の前の選手に対して
動き回って混乱させようと思った。
しかし・・・俺は動けなかった。
なぜなら、目の前でボールを打つ相手選手は、うつ瞬間も
あまりボールを見ないでジッと俺を見ていたから。
レシーブ打つときも、前に出てきてボレーボレーの
状態になってもあまりボールを見ないで、正面で色々
動こうとしている俺をジーッと見ているではないか。
そして俺がどんな動きをしようとしているのか、どんな表情を
しているのか、目線はどこを見ているのかをしっかり確認してから
結局俺が一番意識してないところへサッと打ちやがる。
その試合中、何度その選手と目があったことか。
「お前のこと見てるよ」って感じで見つめられると、完全に
こっちの考えが見透かされているようで、結局俺は全然動けず
何も出来ないでボーッと立ったまま・・・という結果に終わったんだよ。
あのショックは大きかったね。
その体験をしてから、いいネットプレーヤーとして
プレッシャーをかける動きをもっと出来るようにすることも
大事だと思ったけど、それと同じくらいに、相手にいい
ネットプレーヤーがいた場合は、その動きを封じる
テクニックも重要だって思った。
ポーチ決められたら、クロスショットが甘いってこともあるが
相手がポーチに出られない雰囲気を作ることが大事ってこと。
ダブルスは正面の人をしっかりと見つめろよ。
思い出のハワイ大テニスチーム
[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/17(木) 09:49
初めて海外に行ったのは22歳の時。
ハワイ大学テニス部のヘッドコーチを紹介してもらい
ハワイで1ヶ月半過ごしながら、ハワイ大学で練習した。
ワイキキビーチは日本語も通じるんだけど、ハワイ大の
中となるとも観光地じゃないから英語しか使えない。
海外初めてだし、中学、高校と英語をロクに勉強しなかった
俺は当然言葉の壁にぶち当たったのを覚えている。
ハワイ大のテニス部に混ぜてもらって4日目くらいに
練習の最後、皆で集まって円陣を組み、その真ん中でヘッドコーチが
ずっと喋ってたんだけど、なんかよく理解できなかった。
周りで聞いている学生の選手達も真剣な表情で頷いたり
「Yeah!!」って相槌打ったりしている。
俺も一緒になって「Yeah!!!!」とか言ってたんだけど、
さっぱり何言ってるのか分からなかった。
次の日、いつもと同じように夕方3時過ぎにコートに行くと
誰もいない。
おかしいなーって思ってたら、数名のテニス部員だけ現れた。
「他の皆は?」って聞いたら、
「トモ、何言ってるの?皆はメインランド(アメリカ本土)に遠征へ
行ったよ!!」
昨日の話は、翌日からの遠征試合の結団式の話だったのだ。
残ったテニス部の学生は、インド人とオーストラリア人の男子選手、
そして超気の強いイギリス人の女子選手。
彼らは勉強のこともあるから・・・と残ったのだ。
しかしその日から、この3名に俺も加わった4人で練習することに
なり、それがとても楽しかった。
テニスのレベルは大したことなかったけど、俺のテニスもレベルは
低かったので問題なし。
それよりも聞き取りにくいイギリス英語とオーストラリア英語を
相手に頑張って毎日会話したり、4人で一緒にメシを食いに行ったり
ハワイ大のバスケットチームの応援に行ったり・・・とまるで
俺もハワイ大に入学している気分になった。
チームの遠征は一カ月以上もあったので、結局俺は殆どこの
4人自主練習で練習していたんだ。
テニスの上達はあまり無かったけど、さすがに英語は上達した。
そのおかげで、その後俺自身がアメリカ本土を1ヶ月半
放浪出来たんだと思う。
初めての海外だから、ハワイはちょうど良いかもって
思ったけど、まさか英語漬けで日本語全くなしの生活を
するとは思っていなかった。
俺にとってはホント夢のような1ヶ月半のハワイ滞在だったなぁ。
多分、多くのテニス部員の中で練習していたら、あそこまで
仲の良い仲間は出来なかったかも・・・って未だに思う。
ハワイ大学テニス部のヘッドコーチを紹介してもらい
ハワイで1ヶ月半過ごしながら、ハワイ大学で練習した。
ワイキキビーチは日本語も通じるんだけど、ハワイ大の
中となるとも観光地じゃないから英語しか使えない。
海外初めてだし、中学、高校と英語をロクに勉強しなかった
俺は当然言葉の壁にぶち当たったのを覚えている。
ハワイ大のテニス部に混ぜてもらって4日目くらいに
練習の最後、皆で集まって円陣を組み、その真ん中でヘッドコーチが
ずっと喋ってたんだけど、なんかよく理解できなかった。
周りで聞いている学生の選手達も真剣な表情で頷いたり
「Yeah!!」って相槌打ったりしている。
俺も一緒になって「Yeah!!!!」とか言ってたんだけど、
さっぱり何言ってるのか分からなかった。
次の日、いつもと同じように夕方3時過ぎにコートに行くと
誰もいない。
おかしいなーって思ってたら、数名のテニス部員だけ現れた。
「他の皆は?」って聞いたら、
「トモ、何言ってるの?皆はメインランド(アメリカ本土)に遠征へ
行ったよ!!」
昨日の話は、翌日からの遠征試合の結団式の話だったのだ。
残ったテニス部の学生は、インド人とオーストラリア人の男子選手、
そして超気の強いイギリス人の女子選手。
彼らは勉強のこともあるから・・・と残ったのだ。
しかしその日から、この3名に俺も加わった4人で練習することに
なり、それがとても楽しかった。
テニスのレベルは大したことなかったけど、俺のテニスもレベルは
低かったので問題なし。
それよりも聞き取りにくいイギリス英語とオーストラリア英語を
相手に頑張って毎日会話したり、4人で一緒にメシを食いに行ったり
ハワイ大のバスケットチームの応援に行ったり・・・とまるで
俺もハワイ大に入学している気分になった。
チームの遠征は一カ月以上もあったので、結局俺は殆どこの
4人自主練習で練習していたんだ。
テニスの上達はあまり無かったけど、さすがに英語は上達した。
そのおかげで、その後俺自身がアメリカ本土を1ヶ月半
放浪出来たんだと思う。
初めての海外だから、ハワイはちょうど良いかもって
思ったけど、まさか英語漬けで日本語全くなしの生活を
するとは思っていなかった。
俺にとってはホント夢のような1ヶ月半のハワイ滞在だったなぁ。
多分、多くのテニス部員の中で練習していたら、あそこまで
仲の良い仲間は出来なかったかも・・・って未だに思う。
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