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てにすまん 高西ともブログ ブログテーマ:過去の思い出

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自分らしく、そして・・・

[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/14(月) 08:13

選手時代を大きく分けると、
高校テニス部時代、上京テニスコーチ時代、
選手卵時代、スペインテニス時代、そして会社を
退職してフリーになったプロテニス選手時代という風に
分けられる。
 
どの時代ももがき苦しみながら、精いっぱい
テニスを頑張ってきたんだけど、特に苦しかったのは会社を
退職する時。
それまではとにかく勢いに任せてがむしゃらに
突き進んできたんだけど、会社を退職するキッカケは
その「勢い」が原因でもあるからね。
精神的にきつかった。
 
それまでは自分らしさってのを追求しながらテニスに取り組み
大きく成長する事が出来たんだけど、当然そういうスタイルは
多くの人達に迷惑をかけることにもなっていたし、色んな人の
支えが無いとやっていけなかったんだけど、そういったことを
ちょっと考えていなかった。
その結果、会社という組織にいられなくなった・・・という感じで
退職という道を選ぶことになった。
 
その後はフリーになって、仕事をしながら選手活動を続けた。
練習場所、練習相手などの確保の難しさは、フリーになって初めて
感じたよ。
その結果、色んな人達に支えられないとやっていけない活動を
しているって気が付いたよ。
自分らしさばかり追求してちゃダメなんだって。
自分らしさを持ちながらも、それが周りの人達にとってプラスに
なるようなことじゃないといけないんだって。
 
でもその「自分らしさ」と「周りとの協調」のバランスを考えて
活動する事って、テニスのプレーと似ているなって思った。
自分らしい生き生きとしたテニスをしながらも、相手あっての
スポーツなんだから、相手の考え方なんかに沿ってプレーを
調整しなければいけない。
だからと言って、完全に相手のことを気にし過ぎて自分らしさを
失ってもいけない。
その辺りのバランスは社会もテニスも同じだって分かったよ。
 
フリーになって最初は大変だったけど、徐々に環境を
整えて、結局ランキングは自己最高をマークする事が出来た。
でも結局選手を引退してからも「自分らしさ」と「周りとの協調」の
バランスは付いて回るね。
テニスで強くなりたい人も、社会で頑張って生きていく人も
この二つのバランスは永遠の課題と言えるんじゃない?

遠くに行けば強くなる!?

[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/09(水) 09:22

選手生活をしているとお金が掛かる。
ラケットやシューズ、ウェアなどをまだ提供して
もらえなかった時期は、そういう道具も自分で
買いそろえないといけないからね。
ラケットなんて3本か4本必要だし、シューズも練習が
ハードだから消耗が激しい。
ガット代も週1,2本は切っていたから出費が痛かった。
 
でも一番痛いのは、エントリー代と遠征費。
一回の出場費だけで8000円とか10000円とか掛かる。
それに移動代とか宿泊費も掛かるし、その分仕事を休むから
収入も減る。
そのうえ、最初は賞金なんて全然もらえなかったからね。
 
だからどうしても近場の大会を選びたくなる。
家から通えるうえに、試合は午前中だから、夕方から仕事に
戻れる・・・というメリットがある。
宿泊費と遠方への交通費が抑えられただけでも随分と
出費は少なくなるから助かるんだよ。
 
でも、俺は頑張って遠くへも遠征に行くようにしていた。
超貧乏選手だったけど、泊まりで行かないといけない場所へ
積極的に行くように心掛けていたよ。
その理由は何かと言うと「チャンス」なんだよね。
やっぱり俺が活動していた関東の試合は、強い選手が集まりやすい。
そうなると賞金が少ない大会でもけっこう高いレベルの選手が
集まってしまったりするので、勝ち上がるのが困難になったりする。
それが地方の大会となるとちょっと選手層が薄くなるので
勝ち上がってポイントや賞金をもらえるチャンスが増えるんだよ。
 
でもそんな感じで遠方への遠征を続けていると、勝ち上がるチャンス
だけじゃなくて、もっと多くのメリットを見付けることが出来た。
それは完全な「選手モード」になれるということ。
試合会場に朝からずっと色んな選手達と一緒にいて、アップしたり
試合したり、試合後に練習したり、その後トレーニングとか
一緒に風呂行くとか、メシに行く・・・なんて行動を共にしていると
徐々に自分の意識が「テニス選手」になっていき、モチベーションが
上がるのが感じられた。
 
それから移動時間も重要だった。
特に遠方の地で敗退した後、飛行機や新幹線に一人で乗って
窓の外を眺めながら試合のことを思い出すと、本当に悔しくて悔しくて、
「絶対俺は強くなってやる!!!」という気持ちをしっかりと胸に刻み
その悔しさを再確認出来た。
その悔しさが俺のテニスを成長させてくれた。
 
一回の遠征でエントリー代、宿泊費、移動代など合わせると
数万円・・・なんてこともあったから、本当に貧乏選手だった俺には
きつかったんだけど、その後のテニスの成長には大いに役立った。
日本全国、色んな場所へ行くことも出来たしね。
そう考えると、結局テニス選手って、遠征、遠征、遠征・・・の生活を
繰り返さないと強くなれないのかもって思うし、そういったことに
お金を惜しむようだとダメなのかもって思うね。

パワーの無いヤツと言われ・・・

[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/04(金) 10:48

テニス選手「高西朋」の武器は何か・・・。
もう引退してしまったから、今現在はちょっと違うけど
現役時代に自分自身でウリにしていたのは体力だったかなぁ。
走りまくって粘りまくる・・・というスタイルを一番相手にアピール出来た時
手応えが大きかった。
もちろん他の要素もあったけど、粘りや安定感というのがベースに
あることが大前提だったからね。
 
だから「パワー」という部分はそんなでも無かったかな。
一応男としてパワーショットや速いサーブを磨いたけど、パワーが
主役になれるって最後まで思えなかったし。
だから俺のテニスは「まあまあのパワーで粘れるプレーヤー」という
のが自分が持っているイメージだし、周りの選手もそう思っていたと思う。
となると、意外とヒッティングパートナーとして重宝された。
しかも女の子の選手・・・。
日本にいる時も実業団やプロの女子選手からよく「練習相手に・・・」と
言われたし、アメリカでもスペインでもよく相手として指名された。
 
スペインでアランチャ・サンチェス選手とよく練習をさせてもらったんだけど
その時よく
「トモは本当に良い練習相手!だってショットのスピードが女子っぽいから」
って褒められたよ。
指名してもらえたのは嬉しかったけど、その言葉は微妙かなぁ・・・。
でもショットのスピードが遅いだけじゃなくてもう一つ
「トモは何時間一緒に練習し続けても、絶対に集中力が切れない」という
のもよく言ってもらえた。
 
結局テニスってそういうスポーツなんだよね。
パワーが無くても、粘る足と切れない集中力があればそこから
切り開いていける。
実際アランチャ・サンチェス選手も他の選手と比べてそうだったしね。
でもそこにはもう一つ大事な要素が必要なんだ。
それは・・・・戦術。
 
ということで、俺はそれから戦術を重視してテニスをし始めた。
もう引退して随分と経った今現在、俺のテニスから体力と脚力が消えつつ
あるので、ほぼ戦術を武器としてテニスをしている。
でももう少しちゃんとトレーニングして、体力と脚力も残しておかないと・・・。

長期遠征ストレス

[過去の思い出] 投稿日時:2011/11/01(火) 10:13

選手活動から離れてもうずいぶんと経つ。
先日偶然東名高速のサービスエリアで、選手時代の
仲間達とばったり会って「おぉ!!何やってるの?」って
聞いたら、「今から兵庫で試合ですよ!!」と生き生きとした
表情で答えてくれたのを見て、羨ましいって思った。
選手とかコーチが一緒にチームとなって、遠征に行くのって
やっぱり楽しいからね。
 
でも国内で選手活動している時って、どこかの大会に
出場してそれが終わるとウチに帰る。
近場の試合なんかは当然ウチから通うし、ちょっと遠くても俺なんか
特にホテルとかに泊まらず、頑張ってウチから通っていた選手だから
決勝まで勝ち残ったとしても、ホームシック的なものにはならなかった。
でもスペインにいた時は選手7,8名とコーチでチームを作り、それで
3週間も4週間も色んな場所に移動しながら試合に出続けるんだけど
それが結構俺にとってはきつかった。
 
テニスの試合は刺激的で楽しいんだけど、俺の場合、テニスがちょっとその
レベルに追い付いていなかった部分もあって、勝っても予選一回戦だけとか・・・。
あとは殆ど予選の一発目で撃沈されて、早々に大会は終了してしまう。
そうなると、もう他の選手の応援と自分の練習をその試合会場で
やるしかない。
 
ホテルの宿泊も仲の良い選手と一緒という訳にはいかないので
けっこう何日も泊まっているとストレスになってくるし、晩ご飯は
チーム一緒に食べるのが決まりだから、待ってないといけない。
特にスペイン人って晩ご飯を食べ始めるのが夜10時とかだから
もう待ちきれなくてイライラしていた。
 
じゃあ他の選手はどうなのか・・・というと、楽しそうに見えたよ。
でもやっぱり長期間ずっと家を離れて、家族や恋人と会えないのは
ストレス溜まるみたい。
でもそこで俺と違ったことは、試合で勝ち進めるということ。
結局テニスの遠征で来ているんだから、そこで勝ち上がる喜びを
得られるからこそ、遠征の辛さを忘れられるって感じかな。
俺は空しく初戦負けが続き、テニスコートで得るストレスも更に
加わったって感じかな。
 
そうなると、「早くウチに帰りたい・・・」なんて思ってしまう。
「テニスで勝ち上がってやろう」よりもそれが強くなると危険だ。
でもこういう考え方もあったかも・・・って最近思う。
テニスで勝てないストレスがあるから、長期遠征が辛かった・・・ではなく
長期遠征を楽しめなかったから、テニスの試合でも勝てなかった。
確かに海外で強くて活躍している選手って、どの国行っても
どんなメンバーとでも何だか楽しそうにしているなぁ。
 
とにかく選手は長期遠征が付きもの。
上手く遠征を楽しめないと、実力が発揮できなくなる。

これが世界レベルってヤツかぁ!!

[過去の思い出] 投稿日時:2011/10/27(木) 15:30

今まで一番レベルの高い選手とテニスしたのはスペインに
いる時かな。
いや、アメリカでも元デビスカップアメリカ代表の選手と
練習をしたことあるけど、その時その人はもう引退した後
だったから、現役選手とプレーしたのはスペインにいる時が
一番多かったね。
 
特に俺が所属していたアカデミーは強い選手が多かったから
チャンスはけっこうあったよ。
もちろん日本からスペインに行ってすぐは全然どころか
俺の相手は14歳の少年とか、たまに少女とか・・・・。
大したレベルではないと当然そういうクラスに入れられるのだ。
それから自分のテニスのレベルを上げ、そしてコーチの信頼を
得て、期待させる選手になっていくと、どんどん良い選手と一緒に
練習させてもらえるようになるわけだ。
 
そういうチャンスを作る為に、俺自身も積極的に遠征行く時は
付いていくようにしたんだけど、そういうチームに潜り込むと俺以外の
選手は全員世界ランキング持っている・・・なんて夢のようなチームで
遠征に行けたりするから、練習相手は贅沢になるんだよ。
で、そんな世界ランキング一番高かった選手は誰かと言うと
同じアカデミーにいたランキング200位代の選手かな。
 
確かクリスマスシーズンとかで、殆どの選手が自分達の国に
帰ってしまっている時で、アカデミーには地元バルセロナに住んでいる
選手と俺みたいにずっといっ放しの選手だけになるから、結構その時に
沢山良い選手と練習させてもらえた。
で、そんな世界ランキング200位の選手のボールはどうかと言うと
そんなにあり得ないほど速いボールでは無かった。
もちろんそれなりには速いよ。
 
でもそれよりびっくりしたのは、バウンドの高さ。
スウィングスピードがムチャクチャ速いから、ボールの回転量が
半端なく掛かっていて、ビックリするくらいバウンドするから
最初のちょっとしたラリーの段階から俺は完全に後ろ体重で
打点食い込まれっ放し。
その後、ポイント練習やったんだけど、アップの段階で
いっぱいいっぱいなんだから、ゲーム形式なんてとんでもなかったよ。
 
結局テニスって、どれだけ攻撃出来るかってこと以上に
どれだけ攻撃されないようにするかが大事だったりする。
だからその選手も、その速いスウィングを活かして、速いショットを
打つ以上に、相手をいかに下がらせるか、いかにコートの外へ
追い出せるか・・・が重要なんだよね。
もちろん凄い速いスウィングスピードだから、打とうと思えば
ライナー性の超速いショットも打てるんだろうけど、俺との
対戦では結局最後までそんなショットを使うまでも無かったみたい。
 
でも、俺にとってはある意味衝撃的な体験だったよ。
真の強さを見させてもらった気がした。
「強い=速い」じゃない。
「強い=やられない」ってことが重要なんだって。
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