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てにすまん 高西ともブログ 2012/5/28
そうです!私が高西です!
[過去の思い出] 投稿日時:2012/05/28(月) 18:38
高校生の頃、テニスが好きだったか嫌いだったか。
どっちかと言うと嫌いだったかも。
でも厳密の言うと、テニスが嫌いだったのでは無く
試合が嫌いだった。
更に細かく言うと、試合会場が嫌だった。
じゃあ試合会場の何が嫌だったか・・・。
それは父親に関係があるんだよ。
当時、父はテニスが強くて大抵、大阪の
テニス関係者は「高西」と言えば、俺の父のことを
思い出すほど。
だから、大会に出場して受付なんかに行くと
「タカニシ・・・ん?もしかして高西先生の息子さん?」
ってよく言われた。
小学校の先生だった父は皆に「高西先生」と呼ばれて
いたのだが、とにかく俺は試合会場で
「あの高西先生の息子らしい」と言われることが
ホントに嫌だった。
その理由はまず年頃ってことが大きい。
高校生の男子はとにかく親と比較されるのがとても
嫌なので、表面的には「そうなんですよ~」と言いながらも
「めんどくせぇ~」って思ってた。
でも一番の理由は自分のテニスに自信が無かったから。
強くて上手い父のテニスに比べると全くダメだったし、当時は
父と3セットマッチやっても、1,2ゲームしか取れないうえに
その父から超ダメ出しされていたからね。
大会の度にそんな感じで運営の人たちに言われて
いたのだが、とある大会に出場した時のこと、
また受付のおじさんに「高西先生の息子さん?」って
バレてしまった。
しかもそのおじさんが俺の父親のことを
知っている他の参加者の高校生にそれを言ってしまったのだ。
するとその高校生が仲間を連れて俺の試合しているコートへ
見に来たのだ。
「あれが高西先生の息子らしいよ・・・」
「高西先生って?」
「むちゃくちゃテニスが強い人」
「じゃあ息子も強いんやろか?」
そんなヒソヒソ声がしっかりプレー中の俺の耳にも
入ってきたうえに、「何?何?どうしたん?」
ってどんどん人が集まってくるのを感じた。
皆、強い選手がそのコートでやってるのかと思って
集まってきたのだが、そこで試合しているのは
まだテニス歴1年の下手くそな俺。
「凄いテニスが強い人の息子らしい」という
情報はまたたく間に集まった皆に知れ渡ったのだが、
そこで俺のサービスゲームになった。
どんな凄いサーブが出るのだろう・・・と皆が期待しながら
観ている中、俺はその期待に応えようと一番速い
サーブを打ってやった。
しかしそんなサーブ、入るわけない。
ということで、セカンドサーブの出番となったのだが
実は俺、高2の夏までセカンドはアンダーサーブだったのだ。
大勢の観客が見守る中、俺は仕方なくアンダーサーブを
打ったんだけど、その瞬間、
「アンダーや!!アンダーでセカンド打った!!」
「高西先生の息子、アンダーサーブ使いよった!」
その試合の結果は全く覚えていない。
でもその時の恥ずかしさと悔しさは今でも覚えている。
上京してこっちでコーチになったのはそんな大阪の
テニス界から逃げ出したかったのかも知れない。
今もベテランテニス界で活躍する父は、オジサンテニスの
憧れの存在なので、未だに
「高西コーチって高西先生の息子さんですか?」って
聞かれる。
でも今は「そうですよ!」って元気よく応えられる。
だって俺はもう自分のテニスに誇りを持っているし、
何よりアンダーサーブからは卒業したからね。
若き日の苦い思い出でした。
どっちかと言うと嫌いだったかも。
でも厳密の言うと、テニスが嫌いだったのでは無く
試合が嫌いだった。
更に細かく言うと、試合会場が嫌だった。
じゃあ試合会場の何が嫌だったか・・・。
それは父親に関係があるんだよ。
当時、父はテニスが強くて大抵、大阪の
テニス関係者は「高西」と言えば、俺の父のことを
思い出すほど。
だから、大会に出場して受付なんかに行くと
「タカニシ・・・ん?もしかして高西先生の息子さん?」
ってよく言われた。
小学校の先生だった父は皆に「高西先生」と呼ばれて
いたのだが、とにかく俺は試合会場で
「あの高西先生の息子らしい」と言われることが
ホントに嫌だった。
その理由はまず年頃ってことが大きい。
高校生の男子はとにかく親と比較されるのがとても
嫌なので、表面的には「そうなんですよ~」と言いながらも
「めんどくせぇ~」って思ってた。
でも一番の理由は自分のテニスに自信が無かったから。
強くて上手い父のテニスに比べると全くダメだったし、当時は
父と3セットマッチやっても、1,2ゲームしか取れないうえに
その父から超ダメ出しされていたからね。
大会の度にそんな感じで運営の人たちに言われて
いたのだが、とある大会に出場した時のこと、
また受付のおじさんに「高西先生の息子さん?」って
バレてしまった。
しかもそのおじさんが俺の父親のことを
知っている他の参加者の高校生にそれを言ってしまったのだ。
するとその高校生が仲間を連れて俺の試合しているコートへ
見に来たのだ。
「あれが高西先生の息子らしいよ・・・」
「高西先生って?」
「むちゃくちゃテニスが強い人」
「じゃあ息子も強いんやろか?」
そんなヒソヒソ声がしっかりプレー中の俺の耳にも
入ってきたうえに、「何?何?どうしたん?」
ってどんどん人が集まってくるのを感じた。
皆、強い選手がそのコートでやってるのかと思って
集まってきたのだが、そこで試合しているのは
まだテニス歴1年の下手くそな俺。
「凄いテニスが強い人の息子らしい」という
情報はまたたく間に集まった皆に知れ渡ったのだが、
そこで俺のサービスゲームになった。
どんな凄いサーブが出るのだろう・・・と皆が期待しながら
観ている中、俺はその期待に応えようと一番速い
サーブを打ってやった。
しかしそんなサーブ、入るわけない。
ということで、セカンドサーブの出番となったのだが
実は俺、高2の夏までセカンドはアンダーサーブだったのだ。
大勢の観客が見守る中、俺は仕方なくアンダーサーブを
打ったんだけど、その瞬間、
「アンダーや!!アンダーでセカンド打った!!」
「高西先生の息子、アンダーサーブ使いよった!」
その試合の結果は全く覚えていない。
でもその時の恥ずかしさと悔しさは今でも覚えている。
上京してこっちでコーチになったのはそんな大阪の
テニス界から逃げ出したかったのかも知れない。
今もベテランテニス界で活躍する父は、オジサンテニスの
憧れの存在なので、未だに
「高西コーチって高西先生の息子さんですか?」って
聞かれる。
でも今は「そうですよ!」って元気よく応えられる。
だって俺はもう自分のテニスに誇りを持っているし、
何よりアンダーサーブからは卒業したからね。
若き日の苦い思い出でした。
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