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スペインに慣れたんだよ。[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2011/10/03(月) 10:26

初めてスペインに行ったのは23歳の時。
バルセロナに1年間滞在して、そこを拠点にテニス選手として活動した。
でも帰国して2年後にまた同じバルセロナのアカデミーへ。
今度は3カ月。
でも3カ月しか滞在しなかった2回目の方がグーンと
自分のテニスが成長したのを感じることが出来た。
 
それは何でかと言うと・・・一回目のスペイン滞在で下地が
出来上がっていたからだ。
初めての滞在ではスペイン語もちゃんと喋れなかったし
練習内容もトレーニングも慣れなかったから、身体が適応するのに
時間も掛かったしストレス量も尋常じゃなかった。
コーチや周りの選手の人間関係、そして生活環境を整えるのも
時間が必要だから大変。
でも2回目のスペイン滞在は、殆どその苦労が無くて済んだから
初日からテニスに集中する事が出来た。
 
初めてトライすることってやっぱり浮足立って
上手く出来ないことが多い。
でも、上手く出来なかったとしても、それは「才能が無い」とか
「センスが無い」で片付けるのは勿体ない。
まずは慣れることだね。
人間って学習能力があるんだから、経験を重ねて覚えていけば
それまで見えなかった部分が見えて来る。
2回目のスペイン滞在では、前回と同じコーチが同じことを言ってるのに
「ああ、なるほど!」って思えたからね。
 
その頃、多くの日本人選手が、自分のテニスの上達を夢見て
スペインへたくさん来ていた。
彼らのチャレンジ精神って凄かったよ。
でも結果が出ないと、だんだん勢いも無くなり、日本に帰国した後は
選手活動もあまり活発じゃ無くなったりする人も多かった。
大事なことはチャレンジ精神ともう一つ、とことん頑張り続ける継続力。
 
2回のスペイン滞在で、人間の学習能力をバカにしてはいけないって
思ったよ。
しっかりと環境に慣れさせると、思った以上に自分は頑張れるもんだ。
これからも俺は「チャレンジ精神+継続力」で自分を成長させてやる。

カッコイイラケット[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2011/09/28(水) 13:24

初めてラケットを買ったのはいつか・・・。
それは19歳の時である。
テニスを始めたのは高校の時なんだけど
もともとテニスを始めたキッカケは、テニスをしていた
父親のラケットがゴロゴロ家に転がっていたからで
特に「テニスがやりたいんだ!」という理由じゃなかった。
だから高校3年間はなんとなく、父親が使わなくなった
ラケットを使ってテニスをしていたから、好きなラケットを
買ったことは一度も無かったんだよ。
 
で、19歳で生まれて初めて買ったラケットは何かというと
HEADのラジカルツアー。
当時はアガシが使っていて、それが真っ黄色に稲妻が走る
デザインでムチャクチャ格好良かったんだよ。
職場の先輩コーチがそれを使っていて即決。
試打もろくにしないで3本購入したのを今でも覚えている。
 
それまで俺は、色んなラケットをまとめて持っていた。
同じ種類のラケットがあまりウチに無かったから、仕方なかったんだけど
ダンロップのMAXというちょっと感触が変わったラケットから、ミズノの
重いレンドルモデル、ヨネックスのRQ200も持ってたなぁ。
ガットもテンション適当に張ってたし、ホント何もこだわりなく
やってきていた。
 
そんな感じだったから、HEADのラジカルが自分に合っているか
どうかなんて判別しようが無い。
ただただ「カッコ良い!!!」ってだけで購入したんだ。
でも「カッコ良い!!」って思うことは重要だよね。
そのラケットを持つようになってから、急に「もっと強くなりたい」って
気持ちが湧いて来た。
カッコいい道具を持ったことで、もっとこのカッコいいラケットを
持ってカッコいいプレーをしている俺を見て欲しい・・・という
気持ちになったんだよ。
 
でもそういう気持ちって、「選手」として、本当に重要な事だと思う。
見てもらいたい気持ちが無いと強くなれないからね。
自分で選んだカッコいいラケットを手にしたことで、俺のテニス選手の
道は始まったのかもしれない。
ウェアだってシューズだってそうだよ。
ちゃんと良い物を身に付けて、それを評価してもらうためには強くないと
いけないんだ・・・って思い始めたのだ。
 
でも当時は「強くなりたい」って気持ちが強すぎて、まずはハードヒットの
道に進んで行く。
それによりショットは速くなったけど、超淡白なテニスで全然勝てないテニスに
なるのだが、ま、そういうこともあるさ。
遠回りしながらも、徐々に勝てるようなテニスになり、それと同時にラケットの
良し悪しも分かるようになって来たからね。

選手育成の一番難しい部分[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2011/09/23(金) 15:12

28、29歳頃から選手活動しながら、若手選手のコーチを始めた。
もともと、昔からジュニア選手の育成コーチをしていたから、選手を
どう育てるかは自分自身でビジョンを持っていたし、それを活かした
コーチ活動をしたいって思っていたからね。
最初はテニススクールのコーチとして会社に属していたから
社内の若手コーチや後輩の育成をやっていたけど、フリーに
なってからは、選手と契約してコーチを行った。
 
そんな俺の元に色んな選手が来てくれた。
貧乏な選手が多いので、そもそもお金を払ってまでしてコーチを
付けよう・・・なんていう時点で気合の入り方が違う。
こちらがハードにトレーニングや練習を行っても、泣き言一つ言わず
黙々と取り組む彼らは凄かった。
だから、選手達は技術や戦術面もメキメキと上達し、レベルアップして
くれたんだけど、大事なことは戦績を出すこと。
ここが結構大変だった・・・。
 
というのも、「この練習をこれだけやるぞ!!」って言うと
「はいっ!」ってすぐに取り組むんだけど、
「明日の試合は試合会場に行って、誰か知らない選手を捕まえて
一緒に練習し、終わったらシード選手にお願いして、マッチ練習してもらえ!」
なんてリクエストすると「え~、ちょっと難しいです・・・・」みたいな
モゴモゴ口調で急に元気が無くなる。
 
もちろん俺が一緒に試合会場にいたら、一緒に打ってあげたり
コーディネートしてあげるんだけど、俺がいない場合は選手が自分で
試合会場での練習環境を作らないといけない。
それが出来るかどうかが選手として大成出来るかに関わって来るんだよ。
そこで自信無さそうになってしまうと、当然試合会場でその選手は
ちっぽけな存在に見られるんだよ。
 
その選手達、ある意味俺には「コーチ代」というお金を払うってことで
声を掛けやすかったと思う。
でもお金とか無しで、人に物事を頼むのって勇気がいるし、自分で自分を
ちゃんと強く持ってないとダメ。
そしてそれが出来ない選手は、試合で勝ち続けられないんだよ。
選手育成のコーチとして、ある意味こういうところが一番大変。
横の連携が取れない選手は長く続かないんだよ。
 
ま、かつては俺もそうだったから、よく分かる。
分かるけど・・・選手なら、会場で頑張って声を掛けよう。

ネットプレー研修生[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2011/09/20(火) 17:52

シングルスのプレースタイルはオールラウンドだ。
もともとはベースラインプレーヤーで、とことんストロークで
打ちまくるか、とことん粘りまくるか・・・というスタイルだった。
でも過去に2度、ネットプレーヤーになった時期がある。
 
初めてネットプレーヤーになったのは、21歳の頃だったと思う。
理由は「ネットプレーが出来ないからやってみよう」というお試しな感じ。
ボレーも下手だったから、全くネットプレーに自信を持っていなかった
俺は「よし、この1年間ネットプレーヤーになろう!」と
サーブ&ボレーとレシーブダッシュを繰り返しまくった。
 
その結果、ボレーが上手くなったかと言うとそうでもない。
その代わりネットに出る目的が見えてきた。
当時はそんなにサーブも良くなかったし、アプローチのスライスも
伸びは無いし、アプローチのコースさえも甘かった。
だからネットに出ていくとまず簡単に抜かれることが殆ど。
でもまずその最初に抜かれたコースを覚えておいて
次に出る時はそのコースを一番警戒すると、相手は次の手を
打たないといけなくなる。
そうやって出る度に相手が得意なコースを覚えておいて
コースを潰して行くと、ある時急にパスを抜かれ続けていたのが
ウソのように相手がミスしまくるようになるんだよ。
 
結局ネットプレーってボレーの上手い下手以上に
アプローチの仕方とコースの読み方にあるって感じた。
この発見は大きかったね。
でもやっぱりボレーのセンスは自分自身に感じなかったので
その経験は逆にストローカーとしてその後活かされた。
相手がネットに出てきても、そう簡単に自分の好きなコースを
見せないようにしたり、相手が読んでいるコースを確かめてから
こっちがコースを決めたり・・・ってね。
 
2度目のネットプレーヤーは30歳過ぎてからなんだけど
その時は完全にネットプレーを自分のモノにしようと思っていた。
でも21歳の頃感じた「ネットプレーヤーの考え方」が基本に
あったからやりやすかったね。
それにより自分自身の中でネットプレーという分野が成長し
オールラウンドプレーヤーとして引退する最後の年、一気に
戦績も上げてランキングもアップ出来た。
 
1年という時間はかなり長いのだが、ネットプレーヤーに
憧れている人も、ストローカーとしてやって行こうと思っている人も
一度はネットプレーヤーに徹してプレーし続ける時期って必要だと
思うし、お勧めする。
「相手との駆け引き」って感じがスゴイするからね。
もっとテニスが面白くなるよ。

イライラした状態で、トレーニングしてない?[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2011/09/15(木) 01:35

スペインに初めて行ったのは24歳の時。
1年間滞在して選手活動をしてきた。
当時は日本でテニスコーチをやりながら試合に出ていたから
会社に「1年間行って来て良いですか?」とお願いして休みを
もらって行ってきたんだけど、1年間となるとビザが必要なので
東京のスペイン大使館に何度も足を運びながら、書類を揃えて
申請をしてビザが下りるのを待った。
 
でもこれがまた時間が掛かって大変!
スペイン人の人柄だからか、とにかく時間が掛かりまくったよ。
スクールで俺が担当していたクラスの皆さんには
「3月からスペインに行くので2月いっぱいでいなくなります・・・」とか
言って交代したから、なんかその後もずっとスクールに顔を出すことも
出来なかったよ。
 
なので、ビザが下りるまでは違う場所で練習とかトレーニングを
したりしていたんだけど、たまに道でバッタリ会って
「あれ?高西コーチはスペインに行ったんじゃ・・・」なんて
言われる始末。
挙句の果てに、夢にまで「あれ?まだ行ってないの?」って言う
生徒さんが出てきてウンウンうなされていたよ。
 
そこで逃げるように大阪の実家へ避難。
なかなかビザも下りないので、結局1ヶ月実家でお世話になり
その間、大阪の選手と練習したりしたんだけど、やっぱり本拠地じゃないから
なかなかそう選手と毎日練習する事が出来なかった。
そうなるとやることと言ったらトレーニングしかない。
特に長期海外生活や向うでテニスが通用するのかという不安、
そしてなかなか出国できないことで、ストレスが溜まっていた時期だから
もうここはストレス発散とばかりにジムで鍛えて、プールで泳ぎまくって
身体をいじめることに熱中した。
 
その結果、俺はこの1ヶ月でけっこう筋肉が付いたのだ。
俺の選手人生の中で一番マッチョな時期だったな。
なんせ有り余る時間をどんどんトレーニングにつぎ込んだから。
でもその結果、そんな筋肉マッチョな身体は重すぎ!!
スペインに行っていきなり足の裏を痛める・・・というスタートを
切ってしまったのだ。
 
トレーニングはけっこうやった分だけ筋肉になってくれる。
それがかなり楽しいんだけど、ある種中毒になることが
あるから気を付けよう。
あくまでも適正な体重でしっかりと筋肉を付けて行きたい。
そうじゃないとマッチョだけど動けない・・・なんて悲惨な状況になるよ。
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MONTUEWEDTHUFRISATSUN
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