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てにすまん 高西ともからのメッセージブログ
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いわゆるスペインドリルってやつ。[てにすまん 高西ともブログ]
投稿日時:2011/08/18(木) 09:38
高校の部活レッスンではボール出しのドリル練習を
よく行っている。
ボール出しだから、ボールの勢いは無い。
だから基礎練習という意味もあるんだけど、そのゆっくりと
したボールをコートの隅々に出して、とにかく選手を
走らせる。
なので、ちゃんと追い付いてしっかり良いポジションに
入ったらしっかり打てる。
が、段々体力が無くなってきて追い付くのがやっとに
なるとボール出しの簡単ボールと言えどもミスを連発してしまう。
実際テニスの試合もそうだからね。
相手のショットが凄すぎてミスするなんて、そんなにあるはずがない。
殆どが、自分自身のポジショニングミスなんだから。
そんなドリルを俺が覚えたのはスペインに行った時。
24歳の頃。
もちろんその前にもボール出しで厳しいドリルはやっていたけど
ちょっとコンセプトが違ったからね。
単調なのを延々とやらされるスペインのドリルは何だか
俺の性格にも合っているって思ったよ。
でも初めてこのドリルを受けた時は悲惨だった。
5月にスペインのバルセロナに入ったんだけど、その時期でも
けっこう暑かった。
そんな暑い中、いきなり初日にコーチからこのドリルを
延々とやらされたんだけど、俺としてはここで日本人の意地を
見せないといけない。
弱音を吐かず、とことん頑張り抜いた。
しかし・・・こういうキツイ練習を続けて一週間経った頃
足の裏がガチガチに固くなって来た。
筋肉が疲労で固まってしまったのだ。
普通に歩くのも困難なほどだったから、練習はもちろんできず。
コートの片隅で上半身トレーニングをしながら「はぁ~」って
溜息ついていたのを今でも思い出す。
でもそれが一年後には
「お前はいつまでやればへこたれるんだ?」
ってコーチに言われるほどになったからね。
今は高校生達をヒーヒー言わせながら走らせているが
そんな彼らを見ていると、スペインに行った当初の俺を
思い出す。
頑張れ、若者達。
よく行っている。
ボール出しだから、ボールの勢いは無い。
だから基礎練習という意味もあるんだけど、そのゆっくりと
したボールをコートの隅々に出して、とにかく選手を
走らせる。
なので、ちゃんと追い付いてしっかり良いポジションに
入ったらしっかり打てる。
が、段々体力が無くなってきて追い付くのがやっとに
なるとボール出しの簡単ボールと言えどもミスを連発してしまう。
実際テニスの試合もそうだからね。
相手のショットが凄すぎてミスするなんて、そんなにあるはずがない。
殆どが、自分自身のポジショニングミスなんだから。
そんなドリルを俺が覚えたのはスペインに行った時。
24歳の頃。
もちろんその前にもボール出しで厳しいドリルはやっていたけど
ちょっとコンセプトが違ったからね。
単調なのを延々とやらされるスペインのドリルは何だか
俺の性格にも合っているって思ったよ。
でも初めてこのドリルを受けた時は悲惨だった。
5月にスペインのバルセロナに入ったんだけど、その時期でも
けっこう暑かった。
そんな暑い中、いきなり初日にコーチからこのドリルを
延々とやらされたんだけど、俺としてはここで日本人の意地を
見せないといけない。
弱音を吐かず、とことん頑張り抜いた。
しかし・・・こういうキツイ練習を続けて一週間経った頃
足の裏がガチガチに固くなって来た。
筋肉が疲労で固まってしまったのだ。
普通に歩くのも困難なほどだったから、練習はもちろんできず。
コートの片隅で上半身トレーニングをしながら「はぁ~」って
溜息ついていたのを今でも思い出す。
でもそれが一年後には
「お前はいつまでやればへこたれるんだ?」
ってコーチに言われるほどになったからね。
今は高校生達をヒーヒー言わせながら走らせているが
そんな彼らを見ていると、スペインに行った当初の俺を
思い出す。
頑張れ、若者達。
初戦は怖い[てにすまん 高西ともブログ]
投稿日時:2011/08/15(月) 13:13
大会の一回戦は緊張する。
その大会で活躍したい気持ちがあるし
初日でいきなり負けたくないプレッシャーもあるからね。
他にもその大会のコートにまだ身体もプレーも馴染んで
いないことも初戦の緊張の原因となりやすい。
そんな感じで現役時代、毎回大会の初戦はドキドキだった。
ある時、とある福島での大会の予選一回戦で当たったのが
大したショットは打って来ないけど、ひたすらスライスで粘り続ける
ことで有名な選手。
当時俺は22,3歳だったかな?
ま、有名と言っても当時の俺のカテゴリー内で有名だっただけで
今思うと、そんなに強かったわけじゃない。
でも当時まだまだ荒いプレーをしていた俺にとっては、そんな
スライスばかりで繋いでくる選手はかなり脅威だった。
試合がスタートすると案の定相手は、俺のバックにスライスで
集め続ける。
当時、ダブルハンドにしたばかりの超ド下手バックだった俺は
そのスライスに苦しんだ。
俺は両手バックで返球し続けるか、それとも回り込んでフォアを
打ち込むか、こちらもスライスで応戦するか悩みまくったが、結局
スライスは控えてバックのトップスピンで応戦し、甘いボールは
回り込んでフォアを振り抜くことに決めた。
しかし・・・やはり初戦の緊張感に加えて粘っこいスライスの
応戦で苦しいテニス。
振り抜くつもりだったのに、何だかスウィングスピードもフォロースルーも
中途半端でストレスが溜まる。
結局相手の思惑通り、スライスに苦しめられてミスが増えていく。
そんな大した選手じゃないし、弱そうだし・・・なんて思ってたから
余計に自分のミスが悔しくてイライラが募ってしまった。
しかし予選はラッキーにも8ゲームマッチ。
前半苦しんでリードされたけど、3-6になってから
徐々に振り抜いていたフォアハンドストロークが
しっかりと入り始めた。
さすがにずっと相手していると、嫌なスライスも慣れて来る。
そして逆転して8-6勝利。
なんとか勝ったけど、やっぱり初戦の怖さは更に増した。
が、その代わりこの試合をキッカケに、ビビっても迷わず
振り抜き続ける重要性も認識。
その為にも試合前のアップは入念にしなきゃね。
その大会で活躍したい気持ちがあるし
初日でいきなり負けたくないプレッシャーもあるからね。
他にもその大会のコートにまだ身体もプレーも馴染んで
いないことも初戦の緊張の原因となりやすい。
そんな感じで現役時代、毎回大会の初戦はドキドキだった。
ある時、とある福島での大会の予選一回戦で当たったのが
大したショットは打って来ないけど、ひたすらスライスで粘り続ける
ことで有名な選手。
当時俺は22,3歳だったかな?
ま、有名と言っても当時の俺のカテゴリー内で有名だっただけで
今思うと、そんなに強かったわけじゃない。
でも当時まだまだ荒いプレーをしていた俺にとっては、そんな
スライスばかりで繋いでくる選手はかなり脅威だった。
試合がスタートすると案の定相手は、俺のバックにスライスで
集め続ける。
当時、ダブルハンドにしたばかりの超ド下手バックだった俺は
そのスライスに苦しんだ。
俺は両手バックで返球し続けるか、それとも回り込んでフォアを
打ち込むか、こちらもスライスで応戦するか悩みまくったが、結局
スライスは控えてバックのトップスピンで応戦し、甘いボールは
回り込んでフォアを振り抜くことに決めた。
しかし・・・やはり初戦の緊張感に加えて粘っこいスライスの
応戦で苦しいテニス。
振り抜くつもりだったのに、何だかスウィングスピードもフォロースルーも
中途半端でストレスが溜まる。
結局相手の思惑通り、スライスに苦しめられてミスが増えていく。
そんな大した選手じゃないし、弱そうだし・・・なんて思ってたから
余計に自分のミスが悔しくてイライラが募ってしまった。
しかし予選はラッキーにも8ゲームマッチ。
前半苦しんでリードされたけど、3-6になってから
徐々に振り抜いていたフォアハンドストロークが
しっかりと入り始めた。
さすがにずっと相手していると、嫌なスライスも慣れて来る。
そして逆転して8-6勝利。
なんとか勝ったけど、やっぱり初戦の怖さは更に増した。
が、その代わりこの試合をキッカケに、ビビっても迷わず
振り抜き続ける重要性も認識。
その為にも試合前のアップは入念にしなきゃね。
夏の苦い思い出[てにすまん 高西ともブログ]
投稿日時:2011/08/10(水) 09:14
高校2年の夏休み、俺は部活を殆ど休んだ。
テニス部の副部長って身でありながら
堂々と休んだのだ。
休んで何やっていたかと言うと、長野県の白馬で
父の友人が夏の間中ずっと開催しているテニス合宿で
コーチとして手伝いに行ったのだ。
コーチしながら空いた時間にコーチ同士で練習という
生活を続けたんだよ。
2週間くらいだったかな?
俺より遥かに上手い大人のコーチ達と毎日コートに立って
レッスンしたり練習したり・・・という毎日を送り、そこで
テニスの楽しさやコーチという仕事の面白さを感じる
ことが出来て、結局それが今に繋がっているのだ。
しかし・・・俺は部活を休んだので、その間の部活練習が
どんなだったか知らない。
当然後輩の指導も他の部員に任せっきり。
高一の後輩とは仲は良かったけど、結局テニスに関する
思い出は殆どないし、卒業した後の繋がりも残っていないのは
そういう俺の勝手な行動によるものなんだろう。
確かに俺はその白馬合宿でテニスは上達し、部内ランキングで
一位の座を維持していたけど、それを次の代に繋ごうという
意識が無かった。
それだけが原因では無いんだけど、その後俺の学校のテニス部は
どんどん部員が減って戦績もあまり芳しくなかったと聞く。
当時、高校生だった俺は自分のことで頭がいっぱいで
そんなことも考えていなかったけど、今考えるとそんな副部長って
どうなの?って思うよ。
いつも高校生達に「責任ある部活動をしろよ!」って偉そうに
言うけど、それは高校時代に無責任な部活動を行っていた俺の
後悔から来る言葉なんだよね。
テニスで生きていく道を見付けた喜びと、同期や後輩を
ほったらかしにした後悔。
暑い夏が来ると、このことを考えるのである。
複雑な思いだよ。
テニス部の副部長って身でありながら
堂々と休んだのだ。
休んで何やっていたかと言うと、長野県の白馬で
父の友人が夏の間中ずっと開催しているテニス合宿で
コーチとして手伝いに行ったのだ。
コーチしながら空いた時間にコーチ同士で練習という
生活を続けたんだよ。
2週間くらいだったかな?
俺より遥かに上手い大人のコーチ達と毎日コートに立って
レッスンしたり練習したり・・・という毎日を送り、そこで
テニスの楽しさやコーチという仕事の面白さを感じる
ことが出来て、結局それが今に繋がっているのだ。
しかし・・・俺は部活を休んだので、その間の部活練習が
どんなだったか知らない。
当然後輩の指導も他の部員に任せっきり。
高一の後輩とは仲は良かったけど、結局テニスに関する
思い出は殆どないし、卒業した後の繋がりも残っていないのは
そういう俺の勝手な行動によるものなんだろう。
確かに俺はその白馬合宿でテニスは上達し、部内ランキングで
一位の座を維持していたけど、それを次の代に繋ごうという
意識が無かった。
それだけが原因では無いんだけど、その後俺の学校のテニス部は
どんどん部員が減って戦績もあまり芳しくなかったと聞く。
当時、高校生だった俺は自分のことで頭がいっぱいで
そんなことも考えていなかったけど、今考えるとそんな副部長って
どうなの?って思うよ。
いつも高校生達に「責任ある部活動をしろよ!」って偉そうに
言うけど、それは高校時代に無責任な部活動を行っていた俺の
後悔から来る言葉なんだよね。
テニスで生きていく道を見付けた喜びと、同期や後輩を
ほったらかしにした後悔。
暑い夏が来ると、このことを考えるのである。
複雑な思いだよ。
合宿恒例行事[てにすまん 高西ともブログ]
投稿日時:2011/08/05(金) 17:12
高校の合宿コーチとしてこの時期、色んな学校の
色んなテニス部にお邪魔してレッスンしている。
宿泊してずっと一緒にいるので、ただレッスンするだけじゃなく
ミーティングや朝練習なんかも参加する。
それが結構面白い。
それぞれの学校で伝統と言うか合宿恒例の何かが大抵
あるんだよ。
例えば山中湖で合宿している学校は、山中湖一周ランニング
だったり、皆で練習後ヘトヘト状態になっている状態で声出しの
練習だったり、地獄のトレーニングという名が付いた筋トレだったり。
そう言えば、俺が高校生の時のテニス部も恒例の10キロランニング
あったなぁ。
その10キロランニングと怖いOBがウチの学校の合宿恒例だった。
毎朝ランニングと体操は行うんだけど、10キロランニングは
確か合宿最終日に行った気がする。
ただダラダラ10キロ走るのは楽チンだけど、OBが来ているので
そんなに甘くは無い。
そのOBが車に乗って「おいっ!チンタラ走んなよ!!」って
喝を入れるのでオーバーペースで走らないといけなくて、それが
とてつもなくキツかった。
でもその思い出は確か高一までだったかな?
顧問の先生が変わって2年の時にも同じ場所で合宿したけど
あまり思い出が無い。
10キロ走ったのか?
OBに怒られたのか??
合宿恒例のビッグイベントをしっかり皆で乗り切ることが
思い出にもなるし、その達成感が次へと繋がる。
どこの学校もせっかくの合宿なんだし、しっかりと合宿恒例行事を
頑張ってもらいたい。
合宿恒例行事がない部活?
せっかくなんで、今年からキツイのを設定してみよう!!
皆で一致団結して乗り越えると自信に繋がる。
そして次の代にそれをしっかりと引き継いでいかないといけないよ。
色んなテニス部にお邪魔してレッスンしている。
宿泊してずっと一緒にいるので、ただレッスンするだけじゃなく
ミーティングや朝練習なんかも参加する。
それが結構面白い。
それぞれの学校で伝統と言うか合宿恒例の何かが大抵
あるんだよ。
例えば山中湖で合宿している学校は、山中湖一周ランニング
だったり、皆で練習後ヘトヘト状態になっている状態で声出しの
練習だったり、地獄のトレーニングという名が付いた筋トレだったり。
そう言えば、俺が高校生の時のテニス部も恒例の10キロランニング
あったなぁ。
その10キロランニングと怖いOBがウチの学校の合宿恒例だった。
毎朝ランニングと体操は行うんだけど、10キロランニングは
確か合宿最終日に行った気がする。
ただダラダラ10キロ走るのは楽チンだけど、OBが来ているので
そんなに甘くは無い。
そのOBが車に乗って「おいっ!チンタラ走んなよ!!」って
喝を入れるのでオーバーペースで走らないといけなくて、それが
とてつもなくキツかった。
でもその思い出は確か高一までだったかな?
顧問の先生が変わって2年の時にも同じ場所で合宿したけど
あまり思い出が無い。
10キロ走ったのか?
OBに怒られたのか??
合宿恒例のビッグイベントをしっかり皆で乗り切ることが
思い出にもなるし、その達成感が次へと繋がる。
どこの学校もせっかくの合宿なんだし、しっかりと合宿恒例行事を
頑張ってもらいたい。
合宿恒例行事がない部活?
せっかくなんで、今年からキツイのを設定してみよう!!
皆で一致団結して乗り越えると自信に繋がる。
そして次の代にそれをしっかりと引き継いでいかないといけないよ。
観客ウェルカム[てにすまん 高西ともブログ]
投稿日時:2011/08/02(火) 20:20
観られる喜びを感じるようになったのは
いつからかなぁ。
間違いなく高校生の頃は、テニスの試合の時
周りで観ている人がいると気になった。
「観るなよ~」っていう意味でね。
でも現役選手の頃、特に20代後半になる頃には、
観ている人がいると嬉しくて仕方が無い状態。
むしろ観ている人がどのくらいいるのか気になっていたほど。
ま、これはこれで問題あるんだけど、やっぱり選手として
コートに立って試合をしている以上観られる喜びを
感じた方が強い気がする。
観られることを喜ぶか気にするかの境界線は、自分のテニスに
自信を持っているかどうかが、境の一つになっていると思う。
それは「勝つ自信」ではなくて、自分のやっていることに
誇りを持っている「自信」である。
だから、負ける可能性は十分ある相手でも、信念をもって戦う試合は
やっぱり観客の人達には観ていてもらいたかった。
と言うことは、観てもらいたくなかった時のテニスは
信念が無かったというか、テニスというスポーツが何なのか
イマイチ理解できなくて、手探りでプレーしていた時期だっだと思う。
ちょっとリードされると慌てるし、逆にリードしていると不安になるし、
競っていたら怖くなることがよくあったその時期は、ドタバタしていたもんだ。
そんな姿、やっぱり周りには観られたくないもんね。
でもだからと言って、信念持ってやっていた選手時代後半の俺は
迷いが無かったかと言うと、そんなことはない。
やっぱり高校生の頃の俺と同じで、色んな状況に直面するから
プレッシャーを感じていたし、高校生の時以上に大舞台に立つことが
出来るようになっていたから、もっと強く色んな決断を試合中に
迫られる状態にあった。
だからこそ、観客に囲まれた状態でプレーを行い、観られていることを
意識する事で、自分の信念から逃げられないようにしていたんだと思う。
もちろん良いプレーを観てもらいたいって気持ちはあったけど
そういう監視の目を要求する事で、自分の意識を高く維持できたんだ。
選手である以上、皆も観られる喜び、観られるメリットを感じよう。
大勢の観客の中で優勝を決めると、本当に気持ち良いからね!!
いつからかなぁ。
間違いなく高校生の頃は、テニスの試合の時
周りで観ている人がいると気になった。
「観るなよ~」っていう意味でね。
でも現役選手の頃、特に20代後半になる頃には、
観ている人がいると嬉しくて仕方が無い状態。
むしろ観ている人がどのくらいいるのか気になっていたほど。
ま、これはこれで問題あるんだけど、やっぱり選手として
コートに立って試合をしている以上観られる喜びを
感じた方が強い気がする。
観られることを喜ぶか気にするかの境界線は、自分のテニスに
自信を持っているかどうかが、境の一つになっていると思う。
それは「勝つ自信」ではなくて、自分のやっていることに
誇りを持っている「自信」である。
だから、負ける可能性は十分ある相手でも、信念をもって戦う試合は
やっぱり観客の人達には観ていてもらいたかった。
と言うことは、観てもらいたくなかった時のテニスは
信念が無かったというか、テニスというスポーツが何なのか
イマイチ理解できなくて、手探りでプレーしていた時期だっだと思う。
ちょっとリードされると慌てるし、逆にリードしていると不安になるし、
競っていたら怖くなることがよくあったその時期は、ドタバタしていたもんだ。
そんな姿、やっぱり周りには観られたくないもんね。
でもだからと言って、信念持ってやっていた選手時代後半の俺は
迷いが無かったかと言うと、そんなことはない。
やっぱり高校生の頃の俺と同じで、色んな状況に直面するから
プレッシャーを感じていたし、高校生の時以上に大舞台に立つことが
出来るようになっていたから、もっと強く色んな決断を試合中に
迫られる状態にあった。
だからこそ、観客に囲まれた状態でプレーを行い、観られていることを
意識する事で、自分の信念から逃げられないようにしていたんだと思う。
もちろん良いプレーを観てもらいたいって気持ちはあったけど
そういう監視の目を要求する事で、自分の意識を高く維持できたんだ。
選手である以上、皆も観られる喜び、観られるメリットを感じよう。
大勢の観客の中で優勝を決めると、本当に気持ち良いからね!!
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