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ブログ2012/3

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ホント、ムカツク!![てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/03/23(金) 23:09

テニスはネットを挟んで相手と打ち合うので
サッカーとか格闘技のように、相手との接触が
ないスポーツ。
しかし相手と向き合って試合をするし、殆どの
試合がセルフジャッジで行われるので、相手との
トラブルは付いて回る。
 
俺も試合中、何度か揉めた経験がある。
一番はやっぱりジャッジのことだね。
相手の汚いジャッジに対して、こっちが抗議を
しないといけない状況になるんだけど、出来れば
そういう揉め事って誰もが避けたい。
この避けたいという気持ちのせいで泣き寝入りして
しまう人も多いんじゃない?
本当はテニスのプレーで勝負したいのに、そんな
やり取りで喧嘩になると肝心なテニスに集中
出来なくなり、調子が狂いやすくなるからね。
 
でも俺は更に上を行く厄介な選手と当たったことがある。
その選手はもともと強いんだけど、それとは別に普段から
ジャッジが汚くて有名。
でもそれだけじゃない。
揉め事大好きで、常に相手とトラブルを起こしては、
それをキッカケにして自分のペースに持ち込む。
さっきも言ったように、「トラブルはウンザリ」という人が
多いから、その効果は結構あるんだろうね。
でもそのやり方がまた卑怯で悔しいやり口なんだよ。
そのやり方とは・・・。
 
自分のショットがアウトしたときに、こっちが「アウト!」って
ジャッジすると「えっ!ふざけんなよ!」ってクレームを
付けてきたと思ったら、審判を呼んで
「あの選手、ジャッジが汚いから、試合にならない」って
先にこっちが悪いって審判にアピールする。
そんなことより自分はどうなんだ!!!!!って腸が
煮えくり返る思いをするんだけど、それがやり方なんだよ。
 
その試合?
まんまとペース乱され、やられたよ。
動じないできっちりやれなかった俺の責任でもあるが
いろんな人がいるなって思った。
その選手、他の選手との試合でもよくその手を使ってるのを
見たんだけど、俺と同じように相手はイライラ状態になってたな。
テニス選手として勝ち続けるには、テニスのプレーが
上手いだけでは勝ち続けることは出来ないってことだ。
残念ではあるが、現実はそういうものだ。

むちゃくちゃレベル差がある相手に勝つ方法[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/03/22(木) 00:51

テニスってどんなにレベル差が
あっても勝つ可能性が残されたスポーツ。
だから諦めずに皆、頑張れ!!!!
 
そう大声でテニス頑張っている皆に叫びたい。
でも、そんなにレベル差がある相手に勝つ可能性が
あるのなら、どうなった時にそれが実現されるの?
それが分かってないと、どう頑張って良いのか
分からない。
 
では、もしテニス歴2年の高校生が、フェデラーと
シングルスの対戦をしたとしよう。
校内ではちょっとフォアハンドが強烈で、それが彼の
自慢だったとしても、サーブが部内ナンバー1だったとしても、
そんなのはフェデラーにとっては何でもない。
あまりに次元が違いすぎる。
その得意なフォアの出来が、フェデラー相手に最高の
出来だったとしても、ありえないくらい1stサーブが
入りまくったとしても、恐らくフェデラーがびっくりするような
ショットとは言えないよね。
 
じゃあやっぱり勝つ可能性は0%なのか・・・。
いや、やっぱり勝つ可能性は残されている。
ほんのわずかなだが、あるのだ。
それは何なのか。
どうすれば良いのか。
それは・・・・・・「アクシデントが起こるのを待つ」のだ。
もうそれしかないのだ。
 
0-6、0-6ですんなりストレート負けする可能性は
かなり高いのだが、最低でもフェデラーは12ゲーム
やらないといけない。
その12ゲームプレーする間に、フェデラーがもしかしたら
足を捻るかもしれない。
急に腹痛が起きるかもしれない。
隣のコートからラケットが飛んできて、フェデラーに
当たるかもしれない。
とにかく何かが起きる可能性だけは残されていて
それによって高校生が勝ってしまうなんて可能性は
無いとは言えないでしょ?
 
実際俺も「これはもう勝てるな・・・」と感じてプレーを
している最中、靭帯を断裂するというアクシデントで
リアタイしたことがある。
その時のスコアは6-2・5-1だったのだ。
 
ということは、もし格が違いすぎる強い相手と対戦し
もうなす術も無いという絶望的状況に陥ったら、
あとはもう、とにかく相手のアクシデントを祈るのだ。
でも祈るだけじゃダメ。
ここが大事!!!!!
その可能性を広げるためにも、試合時間を1秒でも
長くしようとすることだ。
試合時間が長いほど、アクシデントが起こる可能性も
高くなるが、逆にすぐ終わると何も起こらないまま試合が
終わる可能性が高くなる。
 
だからと言って、ボールをのんびり取りに行くとか、
試合をダラダラ引き伸ばすんじゃなくて、ラリーをしぶとく
繋ぎ続けろってこと。
攻めどころが見つからないからといってイチかバチかで
一発勝負の攻撃するのが一番短命になる。
もちろん決めチャンスは決めるのだが、相手には
1ポイントやる毎に段々ラリー数が増えているかのような
印象を与えたい。
 
そうすることで何かが起こることをひたすら待つ。
それが出来ないとアクシデントが起こる前に試合が
終わってしまうのだ。
だからどんなにレベル差がある相手と当たっても、
どんなにスコアの差が空いたとしても、絶対に
諦めちゃいけない。
最後は相手のアクシデントを期待するためにも
とことん粘り続けよう。
テニスはどんなにレベル差があっても、勝つ可能性が
残されたスポーツなのだ。

気分はリレー走者[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/03/21(水) 11:34

ボレーの時、ボールが通過するところに
ラケットを置いといて、「待つ」ボレーなのか、
ボールのところにラケットを持っていく「迎え」ボレー、
さてあなたはどっちの感じで打ってる?
 
俺の場合は、どっちもだな。
どっちもとは、どういうことかと言うと、ある程度ボールが
通過しそうな場所にラケットを置いておくのだが
ボールが来た瞬間、ちょっとだけ前には迎えに行く。
でもこの、「ちょっと」でも良いから「迎えに行く」という
要素がスゴイ大事だって思っている。
 
だって、迎えに行けば、打点を体より前にすることが
出来るから詰まった振り遅れの当たりに、なりにくいし
迎えに行く勢いも得られるでしょ?
そして迎え行って、体より前の打点でボールを
打つことが出来ればラケットヘッドを立てた状態で
ボレーをすることが可能になる。
ヘッドがグリップよりも上にある状態でのボレーを
打った方がパンチ力も伸びもあるボレーも打ちやすい。
そして急な方向転換をするのにも適しているから
コースもバレにくいからね。
 
それを完全に「ボールが来るのを待つ」というタイプの
ボレーにしてしまうと、大抵思った以上に打点が
食い込まれる。
そうなると、ラケットヘッドを寝かせてラケット面の修正を
してしまい、それがボレーの質を落としてしまう。
もちろん多少食い込まれても打ち返せるけど、ベストな
打点とは言えないし、その打点ばかりだと誤魔化し上手に
なるだけだ。
 
イメージとしては、リレーの選手が次の走者にバトンを
渡すのに似てる気がする。
バトンを体より前に出して、前に走っていく感じ。
ちょっと違う点は、そのまま正面向きで対象物に
向かっていくリレーとは違って、体の正面を外して
少し横向きを作ったまま向かっていく点かな。
 
そんな頻繁にチャンスボレーは来ないので、
さすがに二歩も三歩も走って迎えに行くボレーは
少ないけど、最初にも言ったように、ほんの少しでも
前へ迎えに行く気持ちが無いと、途端に「待つ」ボレーに
なるので気を付けよう。
自分で迎えにいかないとバトンは渡せない!!
そういう気持ちでね。

信じていることを伝えてあげて[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/03/20(火) 18:14

24才までは横浜のテニススクールを拠点にして
スクールコーチとして働いていたんだけど、1年間の
スペインでの選手活動から帰国してからは東京の
昭島市にある昭和の森テニスクラブに派遣され、
ジュニアの選手育成をメインに行うことになったんだよ。
スペインでの選手活動で培ったものを活かすチャンスと
ばかりに張り切って引き受けさせてもらった。
 
それまでもジュニア育成のプログラムには
携わっていたのである程度のやり方は自分の中では
イメージできていた。
しかし実際スタートすると、理想と現実は大きく違って
なかなか難しい問題が次々と起こる。
その一つが頑張っているジュニア選手たちの親との
関係である。
 
選手活動の殆どは悩むものだ。
順調に戦績を伸ばしながら、確実に成長し続ける
選手なんて殆どいない。
伸び悩み、壁にぶつかることが普通だし、下降してダメに
なっていく選手も珍しくない。
それでもたまにいい結果が出たり、成長出来たりすると
スゴイ嬉しいし、その一時の喜びがあるから頑張れる。
その可能性を信じているからこそ選手活動が成り立つ。
 
でも選手の親の中には、選手が苦しんでいる時期に
我慢しきれず、我々コーチとか選手本人に
「何とかしないと、このままじゃあ・・・・」とまるで
もう可能性が無くなったかのような接し方をしてくる
人たちもいた。
こうなると親って、選手本人にとっては応援ではなく、
単なる不安を煽ってくる存在になってしまう。
 
とにかくこういう親には子供たちを今後どうやって
育てていくかを説明し、そして我々コーチにとってどういう
存在でいて欲しいかを話した。
どういう存在でいて欲しいか・・・。
それは毎日練習しているにも関わらず、なかなか成果が
出ない、手応えが感じられない時期でも、その子が
今後更に成長していく可能性を持っていて、それを
親として信じているから応援している、そう言ってあげられる
存在でいてもらいたい。
 
どうしてもレッスンでは技術的なこと、身体的なこと、そして
メンタル的なことで子供たちを厳しい状況に追い込んで
頑張らせてしまう。
帰宅して親と接している時にはせめてその頑張りを
労わってあげてもらいたいもんだ。
 
それはでも「期待」ということよりも、「信じる」という
言葉に近いかな。
テニスで大事な「決断」「行動力」「自信」を養うためには
親が子供の活動を信じていることを伝えないといけない
からね。
 
ジュニア選手の育成を行なっていた経験は
今行なっている中高生テニス部支援の活動に大きく
影響している。
子供たちには頑張ってもらいたい。
でもそれをは応援してくれている、先生、そして
親や兄弟などの影響が大きい。
そしてその親が子供をどう思って接しているかが
また更に重要になるってことをその時学んだからね。
コーチ、選手、家族、この3つの関係がベストになると
ホントに頑張れるのだ。

相手より常に一枚上手を行け[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/03/19(月) 23:58

テニスは相手が人間である。
そしてその相手の人間は当然のことながら
学習能力がある。
ましてや「こんな相手に勝ちたい!」と目標に
しているレベルの選手になると学習能力は
半端じゃない。
最初のアップの段階で既に色々と学習されてしまって
結局試合始まる前に全てお見通しってことも
よくある話だからね。
 
ということを考えると、こちら側としても幾つかの
引き出しというか、更なる策を学習能力ある相手に
勝つためには用意しておかないといけない。
だから「俺はこういうスタイルで戦うんだ!」って
ある戦いパターンを宣言したとしても、どっかで違う
パターンを混ぜたいね。
 
よくあるこの手の失敗パターンはこれ。
「俺は繋ぐテニスをするんだ!」と粘りながら試合を
始めたんだけど、その甲斐あって相手はミスって
くれて3-0リードまですんなりいった。
でもそうなると相手は当然、
「ダメだ!こちらもミスしないようにしなきゃ!」って思い始める。
同じように繋ぎ始めたのだが、それに対しての対処を何も
出来ていないと、相手がそのまま調子を上げていき
とうとう追いつかれるというパターン、よくあるでしょ?
 
これは、相手が「このままじゃダメだ!」って思った
辺りで次の手を打たないといけないんだよ。
この場合だと「ミスしないようにしなきゃ」って思って
こっちと同じように繋ごうとしている訳だから、例えば
ネットプレーを混ぜて勝負を仕掛けてみたり、
逆に相手をネットへおびき出したりとかね。
 
Aのパターンをこちらが続けているのを相手が見て
「Aをし続けるのなら、こちらはBだ!!」と思って
相手がBをし始めたら、それと同時にこっちがCに切り替えて
「残念でした!!!」とその対処法を打ち崩す、これが
相手としっかり向き合って戦い合うテニスの
醍醐味でもあるんだよ。
 
だから皆も、メインのプレースタイルは、それはそれで
しっかりと用意して相手にアピールしてもイイんだけど
それに対して相手が仕掛けてくる時には、
違うバージョンを見せられるようにしておくこと。
そしてそのパターンをスムーズに挟めるように普段から
しっかりと練習しておかないといけない。
常に相手との戦いなんだってことを忘れちゃダメだよ。
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