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テニス歴なんてくそくらえ![てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/10/22(月) 08:51

高校の部活でテニスを始めた・・・と言うと、大抵
「すごい!!高校の時どんな練習してたの?」
って驚かれるけど、高校の部活では普通のテニス部だったから
普通の高校生テニスだった。
一気に上達をし始めたのは20歳を過ぎてから。
周りに自分よりレベルの高い選手が多かったという環境と
その人たちのモチベーションに引っ張られて、段々と
心身共にアスリートとなれたため。
 
それでも「高校から始めてプロになるって凄い!」
と言われることは嬉しい。
「やっぱり才能があったんだね!」なんて言われると、
自分ではそうは思っていないけど、照れてしまう。
でもそういうことを言われる度に、ちょっと思い出すこともある。
それは俺と同じ、高校からテニスを始めた大阪の
履正社(りせいしゃ)高校のテニス部の二人だった。
 
試合会場で会っているうちに仲良くなった彼らのテニスは、
とても上手くて強かった。
同じ、高校テニスデビューとは思えないプレーに
驚いたし、かなり嫉妬した。
いや、嫉妬というより恥ずかしかった。
俺たちの学校のテニス部員は、皆高校に入ってからテニスを
始めた選手ばかりだったから、心の奥底に
「どうせ、俺たちは」って気持ちがあったので、皆頑張ってはいたけど
どこまで強くなりたいっていう目標も希望も無かったんだよ。
一生懸命頑張っても、そんな大した戦績はなかなか
期待出来ないって思っていたからね。
 
それが、履正社のその二人の選手は、高校から始めたのに
会うたびに上手くなり、強くなっていく。
強豪高校相手に、どう見ても高校テニスデビューとは
思えないようなプレーを我々は何度も見せつけられた。
俺たちは「高校で始めた」ということが口癖だったんだけど
それが負けた時の理由にもなったし、壁にぶち当たった時の
逃げ道となっていた。
でも彼らのプレーを目の当たりにすると、俺たちが常に
言い訳にしていた「高校テニスデビュー」ということがいかに
無意味なことなのか痛感させられた。
いつ始めたのかなんて関係ないんだ。
テニス歴1年目だろうが、10年目だろうが、その時を全力で
頑張らないといけないし、高い目標を掲げ、自信を持って
前へ進まないといけないんだって教えられた。
 
でもそんな事を感じながらも、結局高校時代はなかなか
「高校テニスデビュー」という言い訳を使う癖が抜けず、心の
どこかで履正社の選手達の存在を意識しながらも、相変わらず
「やっぱり俺たちは・・・」って口にしながら続けていたよ。
結局そういう言い訳癖が抜けてきたのはテニスの楽しさというか
奥の深さが分かってきた25歳頃かな。
テニスはどんなレベルの人達でも楽しめるスポーツなんだ、
工夫次第でいくらでもチャンスが生まれる、大きな可能性を
持ったスポーツなんだって心の底から分かって、初めて
言い訳をしないテニスになった気がする。
 
いや、もしかしたら「高校テニスデビュー」という言い訳癖は
簡単には治らなかったけど、履正社高校の選手たちのテニスを
見て、大きなショックを受けたのは事実だから、それから少しずつは
心の中で何かが生まれたのかもしれないし、それが25歳になって
やっと花開いたのかも。
 
そんな過去のことを覚えているのは、未だに「高校デビュー」を
評価されることが多いし、自分自身色んな高校に行っては
高校でテニスをスタートさせたということを話していて、その都度
頭の片隅に履正社高校の彼らを思い出すから。
そして思い出すたび、いつ始めたのなんか関係ないって思う。
今どうなの?そして今後どうするの?そこを大事にしたい。
そこに目を向けない限り、なかなか100%頑張るってことって
出来ないんだと思うよ。
 
でもよくよく見てみると、高校テニスデビューで俺以上に
活躍しているテニス選手は山ほどいる。
そしてそんな選手達に共通しているのは、やっぱり
「確かに高校から始めたよ。でもそんなの関係ない」という
完全前向きな姿勢。
いつから始めたかなんて関係ないよね。
今をしっかり生きてゆこう。

俺が尊敬する、マナーの悪いスペシャルなコーチ[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/10/17(水) 02:19

携帯電話って色んなマナーがあるでしょ。
例えば電車の車内において携帯電話で話をするのは
マナー違反だよね。
車の運転中、自転車に乗っている時の通話は
マナー違反ってことより道路交通法違反か。
レッスン中に生徒さんの携帯に電話が掛かってきて
「ちょっとすみません!」ってラリー途中に抜け出して
電話に出る・・・というのにも遭遇したことがあるが、それも
ちょっとマナー違反じゃないかな。
でも今までで出会った携帯電話のマナー違反で一番
強烈だったのはスペインのコーチだ。
 
そのコーチは、レッスン中に平気で電話に出るんだよ。
ま、でもそんなのはスペインにいる頃、コーチ達は
当たり前だった。
実は問題はそこじゃない。
当時、定番の練習としてコーチがボレーで相手をしてくれる
ボレーストロークを毎回やっていたんだけど、それはこちらが
思い切りハードヒットしたストロークをコーチがゆっくりにして
返球し続けるというもの。
ゆっくり来たボレーをまた力いっぱい選手がコーチに打ち込み、
それをまたコーチがゆっくり返球する・・・というのを繰り返す。
これまた絶対ミスしない驚異的なコーチが多いもんだから、
打ち込みを延々と続けないといけないんだよ。
マナー違反とは、選手相手にそんなボレーをしているコーチが
携帯電話で話を始めたこと!!
 
そして俺とのボレーストロークの最中に電話に出た何とも
失礼なコーチは、セルジオ・カサルというダブルスで
元世界No.1の選手だった人。
俺とのボレーストロークで、「トモ!!もっと強く打て!!」なんて
言われ続けるので、こちらも全力でカサルへ打ち込み続けていた
そんな最中、彼のポケットに入っていた携帯が鳴り、躊躇なく
彼はポケットから電話を取り出し、「もしもし」って喋りだす。
しかし、この間ずっと俺が全力で彼にボールを
打ち込んでいるのはもちろんのこと。
しかも彼はたまに「チャンス!!」とばかりに、サービスライン
辺りへショートのボレーをしてくれるから、俺はそれもためらい無く
彼のボディめがけて本気で打ちまくるんだけど、それもやっぱり
涼しい顔で返球しながら電話でお喋りを続けている。
 
その時の電話の相手は彼の奥さん。
いつもアカデミーへ来ていたのでよく知っている奥さんだったので
カサルも「今、トモのレッスンをしている最中だよ」と奥さんに
ボレーストロークをしながら、報告している。
俺もこんな悔しいというか、屈辱的な想いをしながらの練習は
初めてだから、何とか電話中のカサルをミスさせようと、全身全霊で
ボールを打ちまくるが、サービスラインから打っても、それより近距離から
打ち込んでも全然ミスせず、やっぱり返ってくるのだ。
そして結局電話で奥さんとトークしている間は悲しいことに
カサルを倒せず、そのまま俺が体力切れでミスして
終わってしまったが、ゼーゼーハーハー荒い息をしながら
苦しそうにしている俺に向かってカサルが最後に一言、
「ウチの奥さんがトモによろしくって。」だって。
 
さすがにボレーストローク中、携帯電話で会話をし始めた
コーチはカサルだけだったし、そんな経験もたった一回だけ。
それでも、何とも失礼なコーチって思ったよ。
でもその時感じた悔しさは、マナー違反ってことよりも、
あんな近距離から彼めがけて打ったのに、全然ダメージを
与えられなかった自分の不甲斐なさと、カサルのボレーの凄さ。
世界のレベルをそういうところで感じる事が出来た。
でも、考えてみたら世界100位以内の選手たちも同じ練習場所として
ここで俺と同じようにカサルのボディめがけて打ちまくっている
わけだから、そんなたかだか俺のフォアなんて彼にとっては
スローに見えるんだろうね。
そういうことを考えると今でも悔しさが蘇る。
チクショー!、カサル!お前を倒したかったぜ。

一番イイ過去の振り返り方[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/10/09(火) 11:40

テニスを頑張っている人間は多いが、その人達皆、
その努力が結果として報われているかというと、そうではない。
練習もトレーニングも必死になって頑張っているのに、
なかなか思ったように試合で勝てなくてイライラしながら
選手活動をしている・・・なんて人を何人も見てきたし、
自分自身もそういう時期の方が殆どだったよ。
でもそういう辛い時期にいる時でも諦めず、腐らず、
もがきながらも前へ進もうと頑張り続けていると、ある時
いい結果がもたらされることもあるんだよ。
 
俺が初めてJOPのオープン大会で優勝したのは31歳の時。
20際の頃から本格的に選手活動を開始したから、実に10年以上
続けてやっと掴んだ初タイトルだった。
当然その10年の間に色んなことがあったんだけど、自分の
可能性を疑わず、必死に頑張り続けた結果優勝できた。
でも優勝するまでは、自分が普段そんなに頑張り続けているなんて
考えたことがなかった。
予選で敗退したり、本戦まで勝ち上がったけどすぐに負ける
なんてことを繰り返しているうちは、
「なんで勝ち進めないんだろう?」って頭の中はもっと安定して
勝ち進めるテニスを考えていたし、ベスト4や決勝なんかに
勝ち進めるようになった時も、そこまで勝ち進んでおきながら
負けたことが悔しくて、頭の中は「次こそは絶対優勝だ!」って
思っていたから、とてもそれまでの選手人生を振り返ったり、
今自分がどれだけ頑張っているかなんて考えたこともなかった。
 
でも初めて優勝した山梨の大会の帰りの車中、初めて
自分自身がそれまで歩んで来たテニスを振り返ったのだった。
そして「俺は頑張った」、そう自分に言ってあげた。
それまでのテニス人生を振り返ると、本気でそう思った。
 
心は充実感に満たされ、それに加えて夕焼け色に染まった雲が
とても綺麗で、最高のドライブだったのを覚えているが、この
「振り返り人生」ってやっぱり優勝出来たご褒美として
得られたんだって思う。
だって、最後の最後まで負けを経験しないで大会を終えられるって
大会参加選手の中でたった一人だけだからね。
もちろん反省点も多かったけど、優勝者したチャンピオンは
最後まで負けずにその大会を終えられるんだから、その時くらいは
その試合の反省をする前にそれまでの過去を振り返って、
自分自信を褒めてあげることくらい許されるし、それも優勝の
副賞としてアリなんじゃないかな。
だって、選手生活の殆どが、過去を振り返る暇もなく、ずっと前を見て
もがき続けながら毎日を送っているわけだからね。
 
賞金も嬉しかったけど、それまでの自分の頑張りを、自分自身で
認めてあげた瞬間のあの心地よさは、また苦しい選手生活を
送り続けなきゃいけない苦悩を綺麗に取り払ってくれる。
優勝して、それまでの自分の頑張りを褒めてあげる。
これがやっぱり選手には一番のご馳走だね。

コーチにちゃんと見てもらおう[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/10/02(火) 13:29

意外と選手の殆どにはコーチが付いていない。
もちろんトッププロ、トップジュニア、それから
もちろんある程度お金に余裕のある選手は別だけど
選手として活動している人の殆どが、遠征費や
用具だけでもお金が掛かるので、なかなか一人の
コーチと契約して、そのコーチに練習を見てもらったり
遠征に付いて来てもらったりって難しいのだ。
 
もちろん練習や試合の後に、相手へアドバイスを求めるなど
して、自分のテニスを伸ばそうとするんだけど、やっぱり
そこまで相手はこちらのテニスをコーチとして注視している
訳じゃないからいいアドバイスをもらえることは希である。
 
俺も日本で活動している時には、コーチなんていなかったから
週二回くらいでお金を払って選手が所属しているクラブに
練習しに行ったり、、先輩コーチにお願いして、コーチ役として
見てもらったりしたんだけど、スクールコーチを辞めてフリーに
なった時、こんな仕事でコーチに見てもらうことが多かった。
それは・・・若手選手のヒッティングパートナー。
将来有望な高校生の選手や、プロの女子選手のヒッティングを
する仕事なんだけど、フィーを頂かない代わりに、一緒にその選手に
付いているコーチからアドバイスを頂く・・・というもの。
 
選手の強化合宿なんかに付いていくと、3日間くらい
一緒にその選手と打つ代わりに、3日間俺のテニスもついでに
見てもらえるので、かなりいいアドバイスをもらえたりした。
夜、皆でご飯を食べる時にも、メインの若手選手よりも俺の方が
積極的に質問したりして、かなり有意義な時間を過ごせたよ。
 
そういったヒッティングの仕事がよく入っていた頃、俺はちょうど
ストローク中心のテニススタイルからネットプレーを混ぜた
オールラウンドテニスを目指して頑張っていた。
だからコーチにも「ネットプレーを混ぜていきたい」と伝えて
それを見てもらっていたんだけど、選手とのマッチ練習の後
そのコーチが一言
「高西君、今の1セットマッチで君は、ボレーに
3回しか出てなかったよ」と教えてくれた。
これを聞いて唖然としたもんだ。
自分の中で積極的に出ようと考えていて、ちょっとでも
ネットダッシュのチャンスがあれば出たつもりだったのに、
それが、たったの3回!?
 
確かに「これはネットダッシュだ!」と思ったのはネットへ
出たんだけど、結局その頃の俺はネットに出るパターンが
乏しかったため、チャンスと思えるのは、ゆっくりの浅いボールが
来た時だけ。
だから3回しかネットへ出られなかったのだ。
そこで、そのコーチともっとネットに出る機会を作る作戦を
一緒に考えてみた。
まずはサーブ&ボレー、それから相手の深いショットを
逆にノーバウンドカットしてアプローチ、そして相手のセカンド
サーブの時のレシーブダッシュなどなど。
 
その時の合宿の最中、色んな形からネットアタックする
パターンを教えてもらい、その時見付けたネットダッシュの
パターンがその後の自分のテニスに大きく貢献してくれた。
でもその発見はコーチがいてくれたおかげだし、事前にその
コーチへ自分の今後の要望を伝えておいたから生まれた。
言っておかなければ、そのコーチはネットにどんどん出ていく
やり方を伝えようとしなかっただろうし、俺は1セットマッチで
たった3回しかネットに出ていなくても、「ネットに出てる」ような
気でやり続けていただろうね。
 
選手にとってコーチの存在って必要。
もちろん優秀なコーチにこしたことはないけど、
そうじゃなくても、客観的な目で自分の現状を伝えてくれる
存在は絶対欲しいね。
だって素人でも、俺が3回しかネットへ出なかったことは
数えられるんだから分かるでしょ?
自分のやるべき事が「やってるつもり」になってないか、
皆もコーチかコーチ役の人に見てもらわないと危ないよ。

俺はスペイン帰りのコーチだ![てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/09/27(木) 10:40

24歳の時、一年間スペインで選手活動をした。
その間もテニスコーチの会社には在籍していた。
ありがたいことにこの会社は一年間の休暇をくれたのだ。
しかもそれだけじゃなく、スペインでの活動費用も
無利子で貸してくれたのだ。
でも当然その分、会社は俺の仕事に期待をしていて、
帰国後は会社の系列スクールでも一番大きくて、選手活動が
活発な昭和の森テニスクラブに配属先は決まった。
 
そこではもちろん一般のスクールコーチもやったんだけど
主に、若手のコーチや選手を育成するアカデミーと
将来テニス選手を目指す小学生を中心にしたジュニアの
選手育成チームのチーフコーチとなる。
会社の期待に応えようと、俺も頑張ってスペインで学んだことを
活かせるよう全力でレッスンを行なったよ。
 
スペインでは色々ともがき苦しんだ時期もあったが、最終的には
大きくジャンプアップすることが出来たし、帰国後も試合で結果も
出始めていたから、俺のスペインでの経験や学んだ考え方には
絶対的な自信を持ってジュニア選手の育成に取り組んだ。
練習のメニューやトレーニングの組み方、テニスの上達の
仕組みなど、徹底して子供たちだけじゃなく一緒に行うコーチ達、
そして親たちにも、俺のやり方を自信持って語った。
そのおかげで皆、大きな夢を描いて一生懸命頑張って
くれた・・・ように見えたんだけど、俺はそこで大きなミスを
犯していたんだ。
 
初めて担当する子供達やその親に対して、自分のコーチングや
テニスに対する考えを述べる、これはとても重要なこと。
でも、知らず知らずそれまでやってきた子供達の
テニスを否定するようなことをやっていたのだ。
もちろん、俺の口から「今までやってきたやり方は間違っている!!」
という言葉を言ったことはない。
でも、子供達やその親たちには、スペインでやってきたテニスの
素晴らしさを語るばかりで、これまでやってきた事に触れないというのは
今までのやり方、そして日本のやり方は間違っている・・・と
受け止められるのだ。
そして「日本のやり方」とは前任のコーチ達のことに繋がるんだよ。
 
俺がスペインから帰ってくるまでは、当然違うコーチが
アカデミーもジュニアも担当として一生懸命頑張って教えていた。
その彼らも、全力で取り組んで子供達をここまで成長させてくれた。
子供達はそのコーチ達を信じて、それまでテニスを一生懸命
頑張っていたのだが、そこで「スペイン帰り」という聞こえの良い
肩書きで、しかも現役選手である俺が担当となり、そこで
「このやり方、いいでしょ!」と熱く語ると、そりゃ従ってくれる。
だから子供達は素直に頑張ってくれた。
頑張ってくれたんだけど、そのうち子供達がレッスン中に話す
俺との会話の中に前任のコーチのことがチラホラ出てくるようになった。
「前のコーチがこう教えてくれたんだけど、それやっていいの?」
いつの間にか、子供達は前のコーチが教えてくれたことを
しちゃいけないのかなって思うようになっていたのだ。
これはショックだった。
子供達にも前任のコーチにも本当に申し訳ないって思ったよ。
 
テニスって積み重ねが大事。
多くの指導者とか尊敬する選手に出会って、そこで新しい技術や
情報を教えてもらったとしても、それまでのテニスを捨ててはいけない。
また一つ引き出しを作り、それにより選択肢を増やすという形で
成長していかないといけないし、またその選択肢を選んで使い分けが
出来る選手にならないといけない。
スペインから帰ってきた俺も、スペインのテニスを熱く子供達に
語るだけではなく、日本でそれまでずっと頑張り続けた彼らに、
今までどういうテニスをしようとしてきたのか聞いてあげることと、
そこに俺は、何を加えてあげられるかという話をしないといけなかった。
これからの道を作ってあげるつもりが、いつしかそれまで子供達
が前任のコーチとで共に歩んで来た道までぶっ壊そうとしていた。
 
レッスンは選手が主役。
コーチである俺がいつの間にかスペインでやってきたことで
有頂天になり、いつしか主役を気取っていたんだ。
よくよく考えると、その時の俺の考えも、スペインで培ったテニスでも
あるけど、その下にはずっと日本でやったことも、アメリカで
学んだことも積み重なってるんだよね。
コーチをやっている人には、そういうことを考えてもらいたいし
コーチに習っている選手は、今までの自分の積み重ねを全て
活かせるようになってもらいたいもんだ。
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