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強くなった自分を想像している人へ[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/11/21(水) 16:02

強くなりたいと思ってテニス頑張っている人が殆どだと
思うんだけど、強くなった時のイメージはしたことある?
大会でいい戦績を残したり、優勝したりして尊敬の眼差しで
見られたり、他の参加者から恐れられる存在でいる自分を
想像したことある?
 
高校の時は俺がナンバー1だったんだけど、その俺が
さほど勝っていなかったので、どんぐりの背比べ状態で
周りにはダントツ強い選手はいなかった。
でも卒業してコーチになると、先輩コーチには色んな大会で
戦績を出している選手がゴロゴロいたので、そんな先輩達が
羨ましくて仕方がなかった。
一緒に試合へ連れてってもらっても、出場者の人達皆、その
先輩に挨拶したり尊敬の眼差しを送ったり、とにかく俺は
そんな先輩達がカッコよく見えて「俺もこうなりたい!」って
思ったもんだ。
試合会場を歩くと、「高西さん、さすがですね!」とか
「強いですね、高西選手!」って言われることを夢見ていた。
 
でも実際そういう羨ましい存在を目指して頑張り始めて
分かったんだけど、そこに行き着くまでって虚しさの連続
なんだよね。
だって強くなるためには、強い人たちのカテゴリーへ
飛び込まなければいけない。
でも強い人たちって、当然練習では相手にしてくれないし
試合会場では手厳しい。
意地悪されるとか面と向かって「下手くそ」って言われる訳じゃ
ないけど、なんとなくそう言われているような屈辱を
レベル差があり過ぎると練習でも試合でも感じるんだよ。
もちろん同じ会社の先輩コーチ達は知り合いだし、俺のことを
後輩として可愛がってくれるから、レベル差あっても
相手にしてくれるよ。
でもそんな同じ相手ばかりと練習している訳にはいかない
から、居心地悪くてもストレス溜まっても格上の人たちの
世界へ飛び込み続けないといけなかった。
 
アメリカとかスペインに行った時もそうだった。
語学がイマイチでもテニスが強けりゃ、どんどん強い人たちの
グループに溶け込んでいけるが、下手くそで尚かつ
その土地の言葉をまともに話せないと、相手にされない。
もちろん挨拶したり、オフコートで仲良くしたりは出来るよ。
でもそれを目的に海外へ来たわけじゃないんだから、
やっぱりテニスの結果が出てそれを認めてもらわないと
こちらも満足感は得られないんだよ。
 
でも強い人たちの中に飛び込み続けているうちに、
レベル差があっても何とかその中で上の人達にしがみついて
しぶとく食らいついていく方法を編み出していけるんだよ。
「強い人慣れ」っていうのかな。
最初は瞬殺されていたのが、段々競る場面も増えてきて
そしてある日、ひょんなことで格上に勝ったりするんだよ。
そうなって初めて、それまで虚しさを我慢し続けていた甲斐が
あったって思えるのだ。
このパターンを一度経験すると、もう上のグループに
飛び込むコツを掴んだので、スムーズにレベルアップ出来るし
格上の中で苦しむ事が自分の肥やしになるって思うから
その刺激が快感と思えるようになる。
 
強くなるって、結局こういうことなんだよね。
練習し続けていたら、ある日いきなり尊敬される存在に
なる訳はない!!
「強くなりたい!」って思っている人は、皆に凄いって思われる
自分をイメージする前に、自分が格上のグループで苦しみながら
もがいている状況や、挫折しそうな辛い場面をイメージして
覚悟しないといけないのだ。
だからこそ、それを乗り越えてトップにいる人たちは
カッコよく見えるんだよ。
 
でもね、ホントはそのカッコよく見えるトップの人たちも
更に上を目指すためには必死なんだよね。
強くなっている自分をイメージするんだったら、そういう
苦しい世界で常に生き続けている環境も一緒にイメージ
してもらいたいな。

皆、同じ道を歩いて行った[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/11/15(木) 11:20

今まで色んな選手と練習したり試合で対戦したり
してきたし、すごい選手達とも交流を持つことが出来た。
日本のトップクラスだけじゃなくて、世界のトップクラスの選手とも
ラッキーなことに話をしたり一緒に打ったりする機会を持つことが
出来たんだけど、やっぱりトップにいる人は違った。
当たり前な言い方だけど、トッププロの選手達は別の世界にいるのだ。
 
もちろん俺がテニスを始めた高校の頃や、選手を始めた20歳くらいの
頃からもそう思っていたんだけど、実際凄い選手本人たちと会ってみると
ちょっとその頃に感じた「トッププロは違う」という感覚とは違うんだよね。
何が違うかというと、トッププロの人たちがいる世界って、
我々とは別の世界ではあるけれど、今いる世界と繋がっているって
ことが分かったのだ。
ただ遠い存在なだけで、道はちゃんと今いる場所から続いていて
その延長上に世界のNo.1の選手なんかもいるんだよ。
 
なんでそう思ったかというと、色んなトップの選手達と会って
話をした時に、共通して「俺たち(私たち)は皆とは違う」という
雰囲気というかオーラをぶつけてくるんだけど、その反面
その地位に辿り着くための努力をしてきたことや、色んな経験を
積んで成長したこと、それから多くの人たちにサポートしてもらった
おかげでトップの位置にいるってことも強調するんだよ。
言い換えれば、自分がトップに君臨しているのは才能とか
血筋とかよりも、環境と活動によって得られたってことなんだ。
それなりの事をちゃんとこなして道を歩き続けたから
であって、それをしない選手は当然勝てないし、自分たちも
それをこれからも続けなければ、当然落ちていく危険性がある。
トップにいながらそういう危うさも感じているように思えた。
 
確かに俺も、最終的には日本で100位以内に入ったんだけど
それって、高校生の頃の俺にしてみれば雲の上の存在で全く
関係のない世界だと思っていた。
でもいざ選手活動を始めて、一つ一つ実力を上げていくと、
ぼんやりとした霧が晴れて、徐々にそういう上のランキングへの
道が見えてきて、いつしか100位内で頑張っていた。
でもだからと言って「自分には才能があったんだ!!」なんて
思わなかったし、周りの選手も誰一人そんな事感じないし、
言う人もいなかったよ。
その地位に立ったのは、やるべきことをしてきたから当然の
結果だって感じたんだ。
 
でももし俺が高校卒業した後、そのままテニス選手にならなかったら
永遠に、100位以内の選手には手が届かないって思っただろうし、
世界のトッププロは才能があったから強くなった・・・って
思っていただろうね。
実際、自分もその道を歩み始めたからこそ、100以内の選手の現状に
気が付くことが出来たし、そこまでは達成しなかったけど、世界の
テニスは単なる延長上にあるってことに気が付いたのだ。
 
もちろん自分が立っている道が世界No.1まで続いていると言っても、
遠い存在には違いない。
でもテニスやっている以上、一歩でもトップ選手のエリアに
近づこうとする気持ちを持っておいてもらいたい。
そこに辿り着けるかよりも、一歩でも近づこうという
思いを持っておいて欲しい。
だって、今世界で活躍している選手たちも、最初はそうやって
世界No.1の遠い道のりを歩いたんだし、恐らくトップの選手たちは
勝てなくて諦めたりする人達を見たら、彼らもその道を
逃げずに歩き続けたら良いのにって思っていると思うよ。

お前は逃げているんだよ。[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/11/10(土) 10:30

選手として国内の大会を色々回っていると
参加している選手のメンバー殆どと顔見知りとなる。
もちろん「あれ誰?」という選手もたまにいるんだけど、そういう
選手は普段、高校とか大学の試合しか出ていなかったり
ずっとアメリカで活動していた選手だったとかで、違うカテゴリーで
活躍していたのであって、いきなり試合に出始めて急に
勝ち上がっていくという試合初心者の選手って、テニスには無いのだ。
「彗星のごとく現れる!」なんて言われる選手もたまにいるけど
そういう選手もそれまで他での実戦経験は豊富なんだよね。
 
結局テニスって、相手あってのスポーツだから、
極端な話、山にこもって厳しく激しいテニスの特訓を一人で
行っても絶対試合で結果は出せない。
強い選手と二人でこもって練習したとしても無理だね。
その強い相手選手だけには慣れるだろうけど、大会に出て色んな
タイプの選手を倒しながら勝ち進むことは出来ないと思う。
むしろ格下にも負けやすい選手になってしまうんじゃないかな。
 
でも結構そういう考えの選手というか、選手志望の人って
多いんだよね。
「勝ちたい!」「強くなりたい!」って気持ちは一人前に
持っているんだけど、試合にどんどん出場したり、色んな選手と
練習したりすることを避けてしまうのだ。
そういう人って結局自分の頭の中でテニスの強さとは何かという
勝手な定義を作ってしまい、後はそのイメージ通りのショットが
打てるまでは試合に出場しない・・・なんて言って、結局その
自分勝手な定義を基に練習ばかりしている。
そしてその考えを否定されるのを避けて、あまり周りと接しないか、
接するとしても特定の人か、同じようなタイプ同士か。
とにかく活動範囲も練習相手も極々限られた範囲となる。
 
そういう人達って実は最初の頃は、頑張って色んな大会に
出場したり、色んな選手と練習しようとしていたと思うんだよ。
でも試合の度に一回戦負けが続くし、その一回の試合だけで
数千円のエントリー代が飛んでいくような、惨めな思いが続くと
試合に出ることを避けようとし始める。
勝ち進んでいる選手達を前に、惨めな気持ちが湧いて、劣等感に
苛まれてくるのだ。
その劣等感が徐々に試合を遠ざけ、またその気持ちがいつしか
「一人でこっそり練習して秘密兵器を作ってやる」
という一発逆転変身願望的発想を生み出すが、結局そういう発想が
更にその選手のテニスを薄っぺらにして実力はより落ちていく。
 
そういうタイプは「200キロのサーブが手に入れば・・・」とか
「一発で決められる強力フォアハンドストロークが打てれば・・・」
と速いサーブとか打ち込みフォアハンドばかり練習するパターンに
なり、結局対戦相手の事なんか全く考えないし、自分が苦しい
状況になった時のことも考えない。
ただただ、自分自身が良いショットで決める・・・そのことのみを
追求して練習している。
 
でもね、テニスは「自己ベスト」を探求するスポーツとはちょっと違う。
マラソンのように日々黙々と努力を重ねていけば、自ずと結果が
出る訳じゃないからね。
強くなりたきゃ試合に出続けろ。
強くなりたきゃ練習相手を増やせ。
負け続けても、惨めな思いをしても、劣等感を抱いても
自分より強い相手を求めて動き続けなきゃダメだ。
武器を用意してから試合に出場するんじゃなく、負けながら
叩きのめされながら、惨めな思いをしながら武器は磨かれ、
そして強くなっていくのだ。
現場を離れちゃいけない。
試合を避けている人、同じ人としか練習しない人、
そろそろ逃げていることに気付かなきゃダメだよ。

反省するより学習しろよ![てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/10/30(火) 10:37

「学習」と「反省」って似ているようでちょっと違うと思う。
まず「学習」って何となく前向きな感じがしない?
何か失敗しても、そこから対応策を学んで、次はより良い結果を
導く力が「学習」って感じがするんだけど、どうしても
「反省」って言葉は、失敗を認めて、そこからいい方向へ
向かいたいんだけど、何となく気持ちは落ち込んだままっていうか
悪い流れをそのままにしている状態をイメージしてしまう。
最悪、自己嫌悪に陥るって感じかな。
 
テニスでも、何か失敗した時に学習力を使ってそこから
立ち直る場合と、反省はしているけど、その反省によって
嫌な流れを引きずって更にダメになっていくパターンがある。
どちらも失敗したことを対処しようとしているんだけど、その違いは
どこにあるんだろう。
 
例えば試合中にダブルフォルトをしたとしよう。
その時、ダメな反省の仕方をする人は
「俺はこういう時にダブルフォルトをしてしまうヤツなんだ」
「なんてダメなヤツなんだ」
ってダブルフォルトした自分についつい感情的になって
イライラしたり落ち込んだりして自分不信に陥る。
そしてそれが次のサーブの時も
「またやってしまうかも・・・」って自信を無くすキッカケになり、
またそのことを反省しながら、どんどんダブルフォルトが続く。
 
ではダブルフォルトの後に、学習力を働かせるとどうなるかと
言うと、どうしてこの状況でダブルフォルトが起きたかを考え、
その原因を元に次は同じ過ちを繰り返さないようにすること・・・が
学習力を働かせたプレーとなるんだ。
となると、「反省」って言うのはミスしたことを認めるんだけど、
それによって「自分はミスする人間だから何とかしなくちゃ」という
不安や焦りも生まれやすい行為であり、それに対して「学習」は
ミスの原因を見付けて、それに対して対処するから
言い方悪いけど、自分の非を認めない感じかな。
「悪いのは自分」というより、「自分が悪くなる時の原因はこれ」
という考え方だから、「ミスした原因は自分ではなく他にある」という
責任転嫁な考え方だね。
だから、感情的な要素が混ざりにくいため、力んで体が硬くなったり、
ビビって振り抜けなかったりするような、感情的になり過ぎる事で
生じるミスは、学習力を使った立ち直り方の方が少ないので
試合中の考え方としてはかなり有効な手段である。
 
だから試合中、ミスしても反省なんてしなくても良いのだ。
「俺は悪くない。」
そう思いながら学習力を働かせて、ミスした原因を他で見付ける
方が、ずっと自分の実力を発揮しやすい。
ダブルフォルトしても、自分が悪いんじゃなくて、セカンドサーブの時に
感じるプレッシャーが腕を縮こませてトスを低くしたり、スィングを
ちゃんと振り抜けないようにしたからそうなったのであって、それを
対処すれば全然問題ないんだ・・・って思えば良いのだ。
 
でもねぇ、だからと言って全く反省しない訳にはいかないんだよ。
だって勝負事だから、大事なポイント失うとショックだし、いくら
他にミスした要因が見付かっても、ミスはミスだからね。
やっぱり人間らしく、反省して自分のダメな部分を自覚するという
行為はある程度必要。
ただし!反省するのはポイントを失った直後だけ!!
すぐに学習力を働かせ、感情を除外して次は何をすれば同じ過ちを
繰り返さないで済むかを考えよう。
間違っても、次のポイントのサーブやレシーブの段階まで
ウジウジ言いながら引きづらないようにね。

テニスとサッカー[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/10/25(木) 09:59

高校に入ってからテニスをスタート。
それまでは何をやっていたかと言うと、サッカーだね。
小学校3年の時から中学校まで頑張った。
 
テニスからサッカー、随分と違うスポーツに変わったので
色々と戸惑ったことも多かったけど、テニスがどういう
スポーツか分かってきた今現在、改めて両方のスポーツを
見比べると意外と面白い。
 
まずサッカーとテニスの違いで一番の違いは何かと言うと、
タイムアップがあるか無いかだね。
テニスはリードしていても、そこから更にポイントを
追加していかないと試合は終わらない。
逆に言えば、大量リードされていても、そこからコツコツと
反撃して追いつくことも可能なのがテニスの面白さというか
怖さだね。
 
それから運動能力が結果に反映されやすいのはサッカーで
テニスは意外と反映されないこともある。
もし誰にも負けない体力や脚力を培ったとしても、テニスは技術が
乏しければその体力と脚力が生かされることは難しいのだ。
試合の中で、体力を使い切って負けてしまった・・・って試合は
どのくらいある?
体力がまだ残った状態なのに終わってしまうのが、テニスの特徴。
その点、サッカーは体力や脚力が優れていたら、ある程度結果に
結びつきやすいし、その体力と脚力がある程度技術をカバー出来る。
体力は使い切るくらいじゃないと勿体無いのがサッカーなんだよ。
もちろんどちらの競技も、レベルが上がるほど、体力、脚力、そして
技術全てが求められるんだけどね。
 
じゃあ共通点はなんだろう。
球技という共通点?いやいや、そんな単純なことより、
もっと戦術的な共通点は何かと言うと、それは
「安定したディフェンスが効果的な攻撃を生む」ということ。
ディフェンスが良ければ、相手がより攻撃に力を入れる。
するとそこにチャンスが生まれ、攻撃がやりやすくなる。
テニスの場合は、相手がより攻撃的になればミスをしやすく
なるので得点に繋がるし、サッカーの場合はディフェンスが
手薄になるので、カウンター攻撃のチャンスが生まれる。
カウンター攻撃に関してはテニスも同じで効果があるよね。
ムキになってネットプレーに出てきてくれるとパスを抜きやすい。
とにかくディフェンスを充実させることで、相手がこちらの
ディフェンスを崩そうと感情的になってくれると、得点に結び
つきやすいってことは案外似てるんじゃないかな。
 
どちらも、チャンスは少なく、そのチャンスが来るまで
待てるようにならないといけないってことも共通だね。
テニスの場合は黙々と、相手に攻められない程度の
安定したラリーで、流れが来るのを待てなきゃいけないし、
サッカーの場合は中盤のパス回しが安定して出来なきゃ、
そこからパスを一気に前へ送り出すチャンスが待てないでしょ。
安定したディフェンスと安定した形でチャンスのタイミングを
待つこと、そしていいリズムを作っておいて、ここぞという時に
一気に攻めて効率良くポイントを取る。
そういったゆったりした流れからの攻撃って、どことなく共通した
感じがするんだよね。
 
あっ!もう一つ共通点があった。
サッカーってゴールシーンが人気でしょ?
シュートを決めるその瞬間が一番華やかでカッコイイ。
テニスも強烈なショットが決まったシーンは同じように
カッコイイんだけど、どちらも言えることはそのカッコイイ
ゴールや決まったショットの前に、そのゴールや決めのショットを
作り出すための地味だけど大切な脇役たちの仕事があるんだよね。
それがあるから、サッカーのゴールが生まれるし、テニスの
ショットもエースが決まる。
リードされて焦っているときは、どうしてもその脇役たちの仕事を
忘れがちになるのも、共通点としてある。
ま、そうなってくると、全ての対戦型スポーツに
共通しているのかも。
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