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テニス選手はアーティスト![てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/05/23(水) 09:15

実は高校のとき、アトリエに通って絵の勉強を
していた。
小さい頃から絵を描くのが好きだったから、大学も
美術系、芸術系を目指そうかなって思ったから。
なんせ、高校で始めたテニスは当時特に手応えも
感じていなかったから、「大学行ってテニス」なんて
これっぽっちも考えなかった。
それより絵を描くことこそ、自分という人間を表現出来る
唯一の方法だと思っていたのだ。
 
アトリエには高3の夏休みの夏期講習から通ったんだけど
とにかく毎日通っては何枚も何枚も絵を描いた。
そこで技術的なことを学んだんだけど、毎日毎日
絵と向かい合い、それぞれの作品の出来に対する自分の
評価と周りからの評価のギャップに驚いたり苦しんだり
しながら、絵を描くことで自分を表現する方法を
学ぶことも出来た。
 
結局大学に落ちて、浪人しながらアトリエに通ったんだけど
そうなると更に「自分を表現する」ということにこだわり
「俺という人間は何だろう」って哲学的なことを考え始めた。
そんな時、高校の夏休みにも手伝ったテニスコーチのバイトの
仕事があったので、ちょっとしたバイトのつもりで参加。
それをキッカケにあっという間にテニスコーチに転向。
上京してテニスコーチの派遣会社に就職。
 
でもその会社でテニス選手という世界に出会った。
最初は周りの先輩コーチの真似して選手活動していたが
段々自分のテニスに手応えを感じ始めると、そのテニスを
いかに勝利に結びつけ、自分の実力を周りにアピール
出来るか・・・を考え始めた。
でもそういう風に思った時、ふとアトリエに通っていた頃を
思い出した。
選手活動も絵を描くことも同じだなって。
 
どちらもまずはとことん数をこなし技術を磨くこと。
そしてそれを自分で評価しなきゃいけないし、周りにも
評価されないといけない。
その両方から得た結果を「実力」として軸にし
更に発展させるための土台にしていく。
どちらも地道な活動が重要だけど、人の評価を受ける
ことから逃げてはいけない。
 
テニス選手を目指しているけど、試合で勝てる実力が
身に付くまでは試合に出ない・・・なんて言ってるヤツが
けっこういるんだけど、それじゃあいつまでも勝てない。
試合に出て、まずは実力不足ってことを試合相手からも
周りで見ている人からも批評されないと。
でも絵の世界でもそう。
自分の評価だけで満足していたら危険。
周りの評価を受け、それを受け止めなきゃいけない。
だけどどちらの世界も絶対誰にも譲れないポリシーも
必要なんだよね。
このバランスがとても似てるのだ。
 
さて、とことん選手活動してテニスコーチも20年やってきた
俺は、自分を表現出来るようになったか・・・。
いや、まだまだだ。
ただ高校生の頃の俺と違うことは、今の自分が好きであり
自分を信用しているということ。
まだまだ自分を探っていきたい。

テニスコーチ、はじめました。[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/05/18(金) 10:48

テニスを始めたのが高校1年生の時なのに
テニスコーチというものを初めて体験したのは
高校2年の夏休みだった。
それは父の知り合いのテニスコーチが夏の間の
1ヶ月間ほど、長野県の白馬で開催している
テニスキャンプのコーチの仕事だった。
 
お客さんは関西や関東、それから名古屋方面
などから泊りがけで来ては、テニスを楽しんだり白馬の
自然を満喫したりするんだけど、家族連れで来た方の
子供のレッスンをしてあげる・・・というのが俺の最初の
テニスレッスンだった。
だからきっちり教えてあげるというよりも、一緒に遊ぶという
感じかな。
グリップがどうとかフォームがどうとかいう話は
あまり行わなかったね。
それよりも子供たちと仲良くなって一緒に遊び、
レッスン終わった後に「楽しかった!!」って言って
もらえればそれで良かった。
その時俺は初めて「テニスコーチって面白いかも」って
思ったけど、まだその時は将来の仕事にしようと
までは思わなかった。
 
でもこのテニスキャンプの中で2回ほど一般の
参加者の方にもレッスンをする機会があったのだ。
まだテニス歴1年の若造が、大人達にテニスを教えるとは
何事か・・・と思うけど、なぜかそういうチャンスをもらって
しまったんだよ。
もちろんその時のレッスンは今でも覚えているけど
流れも内容もムチャクチャ。
慌ててテニス雑誌読んで、レッスンで行う練習内容と
説明する内容を決めたから、自分で経験して得た
情報じゃないんだよね。
それでも初心者の方達を対象に行なった
レッスンだったから何となくこなしてしまった。
しかもそこで「コーチ!」って呼ばれ尊敬されたり
テニスを教えてあげたことを感謝されたりなんて経験を
してしまうと、当時高校2年の俺はもういい気になって
「テニスコーチ最高!」って気分だった。
なんだか特別な存在になった気がしたんだよ。
 
結局その最初のテニスコーチ体験でいい思いをした
もんだから、高校卒業したあとそれがキッカケとなって
テニスコーチの道を歩むことになった。
でもね、実際本業としてテニスコーチを始めて、やっと
コーチってどういう仕事なのか分かってきた。
その場を楽しませるためじゃなく、受講してくれた方に
結果出させなきゃいけない責任があるってこと。
当時、高校生だった俺はその責任感が無かったな。
無難にこなすことと、自分が楽しむことのみ考えていた。
 
でも最初に感じた
「テニスコーチは特別な存在」って気持ちは今でも
大事にしようと思っている。
テニス頑張っている全ての人たちの為にもこの仕事の
素晴らしさを感じる。
でもねぇ、高校生の時に感じたことと違うことは、
テニスコーチって裏方なんだってこと。
あの頃は主役って思ってたなぁ・・・。
若かったなぁ。

スペインで試合漬け[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/05/14(月) 07:56

スペインのバルセロナで選手活動していた時は
ほぼ毎週試合に出場していた。
多くのアカデミーがあって、そこには将来、
プロテニスプレーヤーを目指す若者が世界はもとより
スペイン各地から集まっていたから、そういう選手たちの
実戦を積む場として、大会がたくさん開かれて
いたんだけど、それを俺が行っていたアカデミーは
選手の知らない間にコーチが勝手に申し込むのだ。
 
だから、週末の休みを終えて、月曜の朝にアカデミーへ
練習しに行くと「トモ、試合だから車に乗れ!」なんて
急に言われて慌てて試合会場へ連れていかれることになる。
慣れてくると、そういうもんなんだと思って月曜の朝は
試合モードでアカデミーに行くようになったんだけど、
「そんなの聞いてない!!」ってコーチに食ってかかる
選手もよく見かけたよ。
でもコーチの言い分は「君は選手としてここへ来たんだろ?
だったら、試合に出場しなきゃ」と言って、また選手に何も言わず
勝手に申し込むのだ。
 
レベルはその時の大会によって色々だけど、勝ち上がれば
ATP持っている選手と対戦できたりすることもある。
フューチャーズなんかの国際大会と時期が重なっていない時は
世界ランキングで300位とか400位の選手も調整の場として、
出場してくる場合もあるし、賞金が付く大会もあったからね。
でもそこまで勝ち上がるにはまず、下手くそな選手たちと
1回戦、2回戦で戦わなければならない。
 
その下手くそなレベルって自分も含まれているんだけど、
そういう同じようなレベルの選手と、まずは泥試合の戦いを
行なって勝ち上がっていくと、やっと強い選手と出会うことが出来る。
だけど最初の泥試合の段階で勝てないと悲惨だ。
「あんなのに負けたの?」なんて周りの選手から言われたり
するし、自分でもわざわざスペインまで来て、なんで
こんなのに負けてんだろうってかなり凹むんだよ。
 
この大会には必ずアカデミーからコーチが付いてきて
試合を全て観てチェックしてくれる。
だから、誰が本番の試合でどういうテニスをして、
どのくらい結果を出しているのか分かっている。
この大会であまり勝てないようだと、アカデミーの中での
クラスも落とされてしまう。
逆に結果を出し続けると、上のクラスに入れてもらえるのだ。
こういうシステムは選手にとっても分かりやすくて
良いんだけど、勝てないと精神的にも結構キツいんだよ。
俺も半年ずっと勝てなくてどんどんクラスを落とされた
からね。
 
そうなると、この毎週ある試合に出場するのも
嫌になってくるんだよ。
エントリー代はさほど高くなかったと思うけど、それでも
出ては初戦負け・・・なんてのが続くと払いたくなくなるし
何より、コーチから評価されなくなるのが辛かった。
 
それでも毎週出場し続けた結果、半年経って徐々に
勝ち上がれるようになり、コーチからも「強くなったね!」
って褒められるようになった。
でも勝ち上がれない選手の中には「もう俺は出ない!」と
大会出場を拒否する選手もいた。
そんな選手は代わりに練習を気合入れて頑張ってたけど、
練習の出来はコーチも評価しないし、本人も練習だけでは
いつまで経っても自信を得ることは出来ない。
結局試合に出続けながら、周りからの評価も自分に対しての
自信も得ないとダメなんだって思ったよ。
 
どういう練習方法が大事か・・・なんて話になるけど
その前にこういう試合漬けの超実戦モードの環境を
作れるかが選手には重要。
でもせめて、当日の朝じゃなくて、2,3日前に試合があるか
どうかを教えて欲しかったなぁ。

試合に出たくない[てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/05/04(金) 10:10

遠征に行くのは嫌いだった。
詳しく言うと、何かストレスを感じる部分が若干
あったと言うべきかな。
大部分は「よし!勝ってやる!!」とか「俺の実力を
見せてやろう!!」って感じでワクワク感なんだけどね。
でもそれは、俺がシード付いているようなレベルの大会は
そうでは無いんだよ。
予選突破も難しいようなレベルの高い大会の遠征では
決まってストレスを感じる部分があった。
 
フューチャーズなんかの国際大会は特にそう。
当時は前日に現地へ行って「予選に出場したいです」という
サインをして、その夜に出場できるかどうかが決まるんだけど
心のどこかに「出られませんように」という気持ちが
正直あったのだ。
でもそれで実際出られなかったら、かなりショックなんだけど
ホッとしている自分もあったんだよ。
 
なんでそんなストレスを感じるかというと、居心地が
良くないからだ。
予選に入れるかどうかの選手として、大会の会場に
いるのが屈辱だったのだ。
「俺を馬鹿にするような目で見るんじゃない!」って。
誰もそんな目で見てはいないんだけど、
やっぱり会場にいる以上は注目される選手でありたいし、
本戦出場選手としてどこまで勝ち上がるかを
考えたいのに、予選一回戦を勝てるのか、それどころか
予選に出場できるのか・・・なんて立場にいる自分に
腹が立ってくるのだ。
 
だから予選に出られるかどうかのサインをするために
並んで待っている時、本戦出場選手達のグループを見ると
何とも言えない思いだった。
でもその時の自分の実力ではかなり厳しい・・・となると
その場から退散したくなってしまったのだ。
 
そんなストレスを感じながらも、俺は出来るだけ
フューチャーズに出場する機会を作った。
スペインにいる時も、コーチを連れて選手たちでチームを
作って遠征行くのに混ぜてもらったし、日本国内でも
可能な限り出場した。
相変わらずサインの時には「出られませんように」という
気持ちがほんの少し持ったままだったんだけど
出場し続けた理由は、そんな少しのストレス以上にやっぱり
得るものが大きかったからだ。
 
単純に考えられないようなレベル差の選手と対戦する
ことも出来たし、時には一緒に練習することも出来た。
フューチャーズなんて3週、4週と大会が連続で続くから
そのうちそういう選手と友達になったりする。
それから予選の一回戦でも勝つと、やっとそこが自分の
居場所として感じられるようになるし、そうなった時の
充実感って優勝狙えるような大会で決勝進んだ時なんかと
また違うものがあるんだよ。
フューチャーズで予選決勝まで行った時なんかは、まるで
自分はもう本戦選手って気持ちだったしね。
 
それが分かっていたから、ストレスを感じながら嫌いな
レベルの高い大会の遠征を続けていたのだ。
その大会にエントリーしなければ、ストレスを感じないで
済むし、自分が優勝できそうな大会ばかり選べば、
居心地のいい会場で大会期間中、ずっと過ごすことが出来る。
でもね、ストレス抱えながら下っ端としてコートを駆け回り
そこから少しでも這い上がれた時の充実感を一度
味わうと、やっぱりそういうハイレベルな大会の遠征は
止められなくなるのだ。
 
でもその充実感を知らないでいると、ストレスを感じる
こういうレベルの大会にトライすることを避けていたかも
しれない。
そういう選手生活を送っていたら、間違いなく今の自分の
テニスはないよなぁ。
 
それにしてもATPポイント取りたかった・・・。
せめて一度でいいからフューチャーズの本戦に
上がりたかった。

得意なフォアが打てなくなった!![てにすまん 高西ともブログ]

投稿日時:2012/05/01(火) 08:46

高校でテニスをスタートさせた時は
フォアハンドばかり練習させられた。
バックハンドに来たら、気合入れて回り込み
全部フォアハンドで打ち込む。
そんな練習を徹底してやったもんだから
フォアが得意になるのは当たり前。
 
卒業してからテニスコーチをしながら選手活動を
始めた時にもフォアは頼りになるヤツだったよ。
周りの先輩コーチは皆とてつもなく強くて、手も足も
出なかったけど、フォアだけは何とか打ち合うことが
出来たからね。
 
俺のこのフォアを更に磨いて、大きな武器にして
強くなってやる!!って張り切ってたら、そのうち
フォアが全然打てなくなってきたのだ。
今まで、このフォアがあったからこそ、高校時代も
弱小テニス部ではあったけど、学校でナンバー1だったし、
テニスコーチという仕事もまあ何とか出来たわけだ。
その他のボレーやバックハンドストロークなんて
ダメダメだったからね。
 
だから焦って必死に練習したよ。
でもなかなか良くならない。
その焦りが余計に空回り状態になってしまい、
酷くなる一方。
そうなった理由はなんだったんだろう・・・・。
その当時は全く理由が分からず、先輩コーチに打ち方を
見てもらったり、ビデオカメラで撮影して、チェックして
みたり、強い選手のフォームを真似してみたり
したんだけど、今考えると理由は簡単だ。
 
それは・・・迷いだね。
高校時代は「全部フォア」って決めていたから、
相手がどこにどう打とうと、瞬時にフォアで構えて
フォアで打つって行為を繰り返していれば良かった。
打つショットも全て「打ちまくる」だったから、単調で
やりやすだった。
 
でもそれが、コーチになった時から、
「ボレーも練習しなきゃ。バックハンドストロークも
打てるようになりたい!」と思って、色んなショットを
幅広く練習し始めた。
その結果、相手が俺のバックに打った瞬間
「回り込んでフォア?バック?」と一瞬迷うようになったのだ。
相手の浅いショットを処理するときも、
「フォアで一発決め?それともアプローチしてボレー?」
と頭の中に疑問文がある状態で打ってしまっていたのだ。
 
でもそういうパターンって誰でも選手をやってれば
経験することなんだよね。
俺の場合も、他のショットなんかやらないでフォアを徹底して
いればフォアハンドの調子は落ちなかったかもしれないけど
練習する相手とか試合の相手が、自分と同じレベルの
高校生だったのが、バックのスライスでとことん繋いできたり
ボレーで前に出てくるような幅広い大人テニスをする選手に
なったから、フォアハンドの打ちまくりでは対応出来なくなって
変わらざるを得ない状態だったんだよ。
 
だからその当時、まっ先にやらなきゃいけなかったことは
フォアハンドをビデオで撮ったりすることよりも、バックに
ボールが飛んできても、どこまで回り込んでフォアを打つか
境界線をちゃんと定めることだったのだ。
短いボールが来たときにも、エース狙って打ち込むパターンと
アプローチで詰めるパターンと分けて、それを使い分け
出来るようにする練習が必要だったんだよね。
 
他のショットを練習したりすることで、自分のテニスの
バランスが崩れてくる。
でもテニスのレベルが上がってくると、その辺の調整が
重要だよね。
高校当時の俺は、フォアハンド10、バックハンドとボレーは0って
感じだったんだけど、今はフォアハンド3、バックハンド3、
そしてボレーが4って感じかな。
得意ショットが急に打てなくなって悩んでいる人は、
他のショットとの関係を上手く調整してみよう。
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